【感想・ネタバレ】8月の果て(下)(新潮文庫)のレビュー

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ 2022年11月18日

小説って、こんなことまで表現できるのか。衝撃。
血と絶望と怒りと苦しみの物語、否、歴史。
今をなお、殺され続けている彼らの苦しみをこの物語は救う。
最後にたどり着くのは「自由!」
祈りのような小説だ。

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Posted by ブクログ 2021年07月17日

韓国朝鮮近現代史―日韓併合、満州、慰安婦、朝鮮戦争ーを背景に、著者柳美里さんのマラソンランナーである祖父とその家族は駆け抜けていく。

すっすっはっはっ
呼吸音を響かせながら、肉体は血と汗を流し、息苦しいまでの情念と“恨”(ハン)が物語の言葉を絞り出していく。

すっすっはっはっ 
オノマトペが彩る...続きを読むこの小説にまるで憑かれるように読み進める。特に下巻は加害側としての責務に思いを抱きながら、最後まで駆け抜ける。

すっすっはっはっ
その先に待っていたもの、光の先へ・・・これが「八月の果て」なのか。


ただただ眩く美しい。

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

下巻は上巻にもまして、重たく感じられました。まずは、下巻の冒頭で、雨哲が30歳前にして目をみはる成績と最高のコンディションでむかえるはずだった東京オリンピックが戦争の影響により中止となった場面から彼の人生がはげしく転がり落ちていきます。一方、血を分けた弟の李雨根(イ ウグン)は、抗日を叫ぶ義烈団に参...続きを読む加するため兄以上の足を持ちながらもマラソンをあきらめて、朝鮮を離れ、拠点である上海に赴きます。こうして李雨哲の兄弟・家族は戦争終結間際に散り散りになったあと、故郷に集散していくさまが人と土地の結びつきを記憶・心理から結び付けられていて、郷愁のありようを示してくれています。そこに気持ちが揺さぶられました。

続いて、雨哲・雨根兄弟と同じく密陽で生まれ育った13歳の少女・金英姫(キム ヨンヒ)が日本人に騙されて、重慶に連れて行かれ、慰安婦として終戦を迎えるまでの1年半を強制労働させられるサイドストーリーが展開します。家庭内の不遇から自らの意思で故郷を離れたものの、同じように騙されて慰安婦となった韓国人女性が次々と病死・自殺をしていく中で、軍人を相手に躯体を酷使し、心も押し殺してしまった少女。勝手に日本人名「ナミコ」を与えられ、身体を蝕まれたことの苦悩。身体に戦争を植えられてしまった…。船から海に身を投げる直前の彼女の叫びが、私の心に一番の重みと震えをもたらしてくれました。涙が止まりませんでした。彼女にとっての戦争の終わりは、平和の到来を意味しなかったのです。この感情は、感動という言葉で表現し切れるものなのだろうか?

(以下、抜粋)
『ナミコは手の届かない思いに堪えるために、何度も何度もうたった。うたいやめるのが怖かった。雨が止んだら船室で眠ろうと思ったけれど、スァースァースァー スァースァースァー チャーッチャーッチャーッ、雨が注ぎ込んだ口から嗚咽があふれて歌が途切れた。金英姫!ナミコは自分の名前を叫んだ。アボジ(とうさん)! アボジがつけてくれた名前だけはだれにも犯されていません。オモニ(おかあさん)! オモニが呼んでくれた名前には指一本触れさせていません。金英姫! 十三歳の処女の名です。ナミコは金英姫という名前を抱きしめた。金英姫! ナミコは海に飛び込んだ。』(307〜308ページ)

金英姫をめぐる話が前半で終わると、李雨哲をとりまいた家族の一人ひとりがどのようにして生き、死んでいったかが丁寧に結ばれていきます。雨根が第二次大戦後の赤狩りの犠牲となり殺されます。同じ民族でありながら思想と勢力争いの構図によって民族が分断された苦悩を、政治学的知見ではなく日常生活の中での分断を意識して描かれているとことにとてつもない価値とわたしにとっての新しい発見がありました。雨哲は日本で家族を持つ一方、後妻と家族を連れて日本に入ります。パチンコ事業を成功させ、孫である美里(著者)とのかかわりも描いた上で、最終的には美里さんが生きる現代にまでたどりついて物語が終わります。

戦前戦後の厳しい時代を生き抜きながら自らの血をこの世に残した李雨哲。一方、左翼闘争に巻き込まれて散り血を残せなかった李雨根と彼を慕った金英姫。降霊を目的とした祭礼の模様が事細かに描かれる第29章を読むと亡き者の悔いや恨みの重みによって気持ちが暗くなりました。物悲しさが底流をなすこの作品で、上巻をつうじて思った「生、死、愛、念、恨」のすごみを再認識したのですが、その次にえがかれたわずか3ページほどの最終章を読み終えた後の読後感は、なぜか「さわやか」なものでした。走る息遣いの合間にこめられた生きることの意味。そしてこの本を締めくくる最後の言葉、「自由!」にこめられた意味が、私の頭の中のリベラルな思想とシンクロをしたからなのかもしれません。

上巻の感想を書いているときに、私はこの本を読むことで心を火傷したと書きました。それは多分、柳美里が今まで私の目にしたことのないハングルで表現される擬音や様態が新鮮であったことが、深く刻み込まれたのと同時に、感想・感動が自分の脳みその浅いところを常に漂い、何かにかけて『8月の果て』を思い出さずにはいられなくなることに他ならないのではないか、そんな作品なのです。心が動かされたことは確かです。でも感動という言葉でも、この晴れやかだけれども痛くてつらい読後感を表現できていないのです。一つの単語でこうした感情を表すことのできる日本語を、私は知らないのです。いうなれば、以前感動文を書いたリンドバーグ女史による『海からの贈物』をさらに生々しく、人間臭く、不器用に生き延びて、血をつないでいく人々を描いた作品が、この『8月の果て』だともいえるのかもしれません。

歴史を振り返り思う返すことは、将来行ってはいけないことを教えてくれるからに他なりません。この『8月の果て』は教科書や歴史家の語る総合的な国対国の関係では紐解けない、個人のレベルで織り成される歴史絵巻なのだと思います。大きく動き、作られていく歴史の中で、個人とは小さな単位だけれども積み重ねられたものは重みはあるのだとおもいます。

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