あらすじ
人生、いかに老い、いかに死ぬか。
2500年前の古代ギリシアでは森羅万象が哲学の対象となったが、「老い」もまたその一つ。人はいかに老い、いかに死ぬか。古代ギリシア・ローマの哲学者や文学作品などから、「老い」をめぐる百花繚乱の考え方や味わい深いエピソードを集めた。
古代ギリシアにも認知症があり、老いを免れたいと願う人々がいて、神々は性的快楽の男女差を論争した。プラトンはポジティブ老年観、アリストテレスはネガティブ老年観と師弟で正反対の考え方なのが面白い。死んだらどうなるかという問いに、プラトンは魂は不死で輪廻転生する、原子論は魂も肉体もバラバラの原子になると語った。プラトンいわく「哲学とは死の練習」なのだ。ちなみにプラトンは80歳で書きながら死に、ソクラテスは70歳で刑死、アリストテレスは62歳で病死、キケロは63歳で暗殺、セネカは皇帝ネロの命で69歳で自害した。哲学者の死にざまも興味深い。
理想の死生観として、ローマの哲学者キケロの言葉に耳を傾けたい。「果物でも、よく熟れていれば、みずから落ちるように、命もまた、老人からは成熟の結果として取り去られるのだ」――。完熟の老いをいかに迎えるか。人生と向き合い、黄落期を豊かにする一冊!
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Posted by ブクログ
解説にこうある。
プラトンはポジティブ老年観、アリストテレスはネガティブ老年観と師弟で正反対の考え方なのが面白い。
年配の知り合いのおじさんにこれをぶつけてみた。
今も続いている友達はポジティブ老年だ。
喧嘩別れではなく賞味期限が切れた様に疎遠になった友人たちは、ネガティブ老年だ。
もっともポジティブ老年は、自分達を老年とは思っていない。
本書でも老年をいくつからと定義するのかは明確ではない。
60歳以上、いや70歳以上。
40歳台で、トシだ、トシだと言ってる人もいた。
典型的なネガティブ老年だろう。
旧松下電器では、
45歳以上いらん、50歳以上やめろ!
と言う中村改革で人斬りがされたと聴く。
45歳以上は老年なんだろう。
いや50歳以上なら確実に
老年 老年 老年
老排除
だったんだろう。
閑話休題
読み始めると敷居が高いと思った本書だが、
読みやすい気がした。
ギリシャの哲学者がどう定義しょうが、ポジティブ思考/志向の方が楽しい。