加藤重広のレビュー一覧
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日本語学者であり「語用論」の専門家である著者による、「我々はなぜ相手を怒らすことを言ってしまうのか」をアカデミックな視点から解説した本。
著者によれば、我々が普段生活していて不愉快に感じる発言には必ずそのロジカルな理由があるという。相手の言葉に微妙に現れている感情や思いを感じ取って不快に思う。
著者の説明はわかりやすく、また納得できるものが多かった。例文も多く載っており実用性に優れる。
これまでに持たなかった観点から日本語というものを見つめ直すきっかけになった。
特にロゴスとパトスの解説は秀逸。
アリストテレス等の著書でこれらの概念は一通り理解していたつもりだったが、ロゴスは結局向こう側 -
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言語学者が「それって正しい言い方なの?」と聞かれると、歯切れ悪くなる理由が縷々語られた本(笑)
一言で言ってしまえば、言語学者は、「規範より記述」を学問的態度として叩き込まれるから。
言葉の変化には、過去の用法から見てどんなにおかしなものでも、そのように変化する何らかの理由がある。
言語学者は、決して若者に阿って、物わかりのいい人ぶって、変化を追認しているわけではない―、と言いたいのかな?
あとは、「文法上の正しさ」と「使用の適切さ」が混同されたり、その文法さえ、完全な体系でなかったりすることも、「この言い方は正しいの?」に歯切れのいい答えができない要因であるようだ。
「雰囲気」が「ふいん -
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ら抜き言葉、“はつまご”それとも“ういまご”?、“憮然”の意味の変化など、歴史やことばの成立過程をもとに「誤用」に関する謎を解き明かしていく。
本文で筆者は『安易に言葉の「正しい」か「間違っている」かを判断することはできない」と説く。誤用だと思っていても、時代とともに使用する人が増えればそれが正となる。言葉は社会と生活のなかで形を変え、新しく生まれ変わることもあれば消え去ることもある。言葉は柔軟で日々変化に富む、まるで生き物のようだと思った。
あらゆる時代の本を読んでいると多種多様な言葉に出会う。読みやすさ・読みにくさは、時代による言葉の移り変わりが影響していることも多い。今私たちが当然の -
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タイトルだと啓蒙書っぽいけど、実際には言葉(主に日本語)について分析した一冊。
ロゴスとパドスについて、そして実際の使用法について記述している。
長くなるので詳細は割愛するけれど、その中で「全然おいしい」や、「お越しになられました」みたいな二重敬語は必ずしも間違いではないと書かれていた。
論拠として、「全然おいしい」は明治以前から使われてる表現だし、二重敬語もたとえば謙譲語と尊敬語の混じったものなどはTPOによるものだとしている。
自分が聞くと違和感がある表現はとかく切り捨てるみたいな風潮があるけれど、言葉は生き物だから時代によって変わっていくものだし、ある程度ゆとりをもって接していき -
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[ 内容 ]
謝罪の場面で真意が伝わらず怒らせる、誤解を与える、だらだらと長く続く言い訳文、空気の読めない発言、どこか変な敬語、…。
こうしたコミュニケーションの行き違いを生じさせる言い方や表現は、ニュアンスや印象論で語られがちだが、実は言語学的な理由がある。
本書では、「まずい」具体例を数多く取り上げながら、言語学の中でも文脈を科学する新しい分野である語用論を背景にその理由を分析していく。
知っておきたい、日本語が陥りやすい表現の落とし穴とは。
[ 目次 ]
序章 なぜうまく伝わらないのか?
第1章 ことばの危機管理
第2章 誤解されることば
第3章 ロゴスとパトスを使いこなす
第4章 読 -
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「いただいてください」は「召し上がってください」と改めるのが正しいとされる。但し、本書は単なる○×では留まらない。さらなる掘り下げがある。たとえば「いただく」と言っても自分でお茶を買い自分で飲む場合はへりくだる相手がおらず、場合によっては厳密な謙譲語から逸脱する用法となっている。いただく=謙譲語と断定してしまうのは、過剰な一般化であり単純化。一般化は度が過ぎれば寧ろ雑、雑駁になりうる。目上に「ご苦労様」が失礼な理由。「生きざま」が不適切なワケ。敬語のサイレントキラー。ら抜き発祥の経緯・・・・・・・すべてが明解に示されている。誤用の先にあるものを見据えながら、これからの日本語の行方を示唆している
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Posted by ブクログ
前半には 身近に見られる引っかかりを感じる言葉遣いを例にあげながら、どの様に意思疎通の失敗が起こるのかを解説。
後半は筆者の専門領域である語用論に踏み込み、前半の様な誤解が起こる仕組みを、ロゴスとパトス、「空気を読む」などと言われる話者や場の了解事項などの枠組みで捉え直し、どうやって気持ちを害さず言いたいことを的確に伝えられるのかを検討している。
敬語の誤用に対する筆者の立場は非常に大らかで、巷の言語系クイズ番組にも批判的。
ちょっとした言葉のアヤで関係がこじれがちな仕事に携わる者として、誤解や不快感をできる限り回避しようとする、言葉の危機管理の方策は参考になった。