日笠俊男のレビュー一覧

  • B-29少数機空襲-1945年4月8日狙われたのは玉野造船所か-

    Posted by ブクログ

    ⭕️玉野市の空襲
    日笠俊男「B−29少数機空襲ー1945年4月8日狙われたのは玉野造船所かー」

    9.27「岡山空襲から平和を考える会」に参加した。
    岡山市は1945年6月29日の「岡山大空襲」により旧市街地の約73%が罹災し、1,700人を超える尊い人命が失われた県内最大の戦災都市であることから、 「岡山戦災の日」を定め、毎年、官民ともに平和事業を展開している。
    今回、これを学ぶ中でボクの地元にも空襲があったと聞かされた。実はぼんやりとだが「あったらしい」ことは聞いたことがあったのだが、全容は知らないままだ。どうしてだろう?
    ボクは教師として、子どもたちに広島長崎の原爆、東京大空襲、15年戦争さらには平和憲法についてなど意識的に教えて来た。平和を尊ぶ主権者として育ってほしいと願ったからだ。学年の百数十人で「ぞうれっしゃがやってきた」の大合唱に取り組み、父母のみなさんに披露したこともある。
    それなのに地元の空襲被害は意識の外にあった。どうしてだろう?
    考えていく中で本書の存在を知った。
    日笠俊男という教師の大先輩の仕事であった。彼が追い求めた研究が何冊もの本になっていた。岡山空襲資料センターを立ち上げ代表として研究を続けたのだ。

    本書を読んでボクの疑問の答えの大きな部分がわかった気がする。ボクの市ではこの歴史をほとんど取り上げてこなかったということだ。命を失った被害者があるのに、玉野の空襲は行政も市民もスルーしてきた。岡山市とはまったく違った状況である。
    どうしてそうなってしまったのかというと、この空襲は軍機として秘匿することが求められたからだ。玉野市の三井造船所は当時軍用輸送船、潜水艦、特殊潜航艇などを製造する重要な軍需工場であった(現在でも自衛艦を作る)。
    ここに大元がある。だから空襲の実態はきちんとは記録されていないのだ。
    日笠さんは米国立公文書館の公開資料にもあたって、記録の曖昧さを解明しようとし、この本ができたのだということだった。とんでもない仕事に挑み続けた人物だったのだ。
    玉野市はこの夏、「玉野市生まれの自衛隊護衛艦『ゆうべつ』が里帰りする」とこともあろうに夏のイベントの一つのようにその入港を宣伝した。

    市民はほとんど空襲のことを知らない!
    それでも県下にいくつかある平和都市宣言都市のひとつなのだ。

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    2026年10月23日