1985年から2019年までに、原爆資料館(広島平和記念資料館)を見学した、修学旅行生は、およそ1352万人だそうです。
その1352万人という、莫大な数の、かつての中学生たちは、その時、どのような思いを抱いたのでしょうか?
本書で描かれるのは、修学旅行を通して、多感な中学生それぞれが感じた、「
...続きを読むひろしま」についての物語。
『ワタシゴト』は作者の造語なのですが、これには二つの意味があり、一つは、「渡し事=記憶を手渡すこと」で、もう一つは、「私事=他人のことではない、私のこと」で、今回、この造語が、「ひろしま」について、とても言い得ているように思われ、心に留まりました。
例えば、渡し事については、
焼けて骨になった、中学生の体の下にあった、まっ黒な弁当箱。
右肩の下あたりに染みがあり、背中が裂けて、千切れて、変色しているが、繊細なレースがとても綺麗なワンピース。
約75年前、公園には、いくつもの町があったこと。
『この公園の下には、町が眠っとる。ひとも眠っとる。ここを歩くときは、そおっと歩くんよ。すみません、すみません、言うてね』
「ひろしま」の記憶を手渡すというのは、たくさんの人の命が失われた悲劇を繰り返さないことも、そうですが、その一人一人の生きた証を想像して、志半ばに人生を終えなければいけなかった瞬間、どんな思いで、どんな事をしていたのかを、考えなければいけないことも大切だと痛感するとともに、そこにあるのは、ささやかな幸せに満ちた日常生活だったことも、決して忘れてはいけないと思いました。
また、私事については、
「そこに着いたら、事前学習のことは、いったん忘れて、まっ白になれ。そのうえで、そこから聞こえてくるもの、見えてくるものを、全身で感じろ」
「いままでのぼくなら、もしかして。でもいまは、もう少し自分のなかに沈めておきたい」
「見えないものは信じない、と思ってきたけれど、ほんとうにそうなのか」
「ひと月に一回、ここに来て、みんなのこと考えるんよ。それがわたしの、この世でのつとめじゃねえ、きっと」
中学生の感じ方は、人それぞれだけれど、何か忘れたくないものがあるのは、共通しているようで、また、それは簡単に答えが出るようなものではなく、しばらく自分自身のなかに留めておきたいと感じる、それこそが、『他人のことではない、私のこと』にしているということなんだと、思いました。
また、元中学校教員「赤田圭亮」さんの、『私のひろしま修学旅行』での、語り部の松田さんと、それを聞いていた、当時中学生のH君のエピソードも印象に残り、そこには赤田さんの書かれた通り、「学校の日常生活では、けっして掬いあげることのできないものが、『ひろしま』にはある」事を、強く実感し、私の、過去の修学旅行は広島ではなかったのですが、実際に、見て聞いて感じることの意義は、何ものにも替えがたいものがある事を、本書を読んで痛感いたしました。
物語の内容は、児童書ということで、大人が読むと軽い感じに思われるかもしれませんが、最初に書いたように、1352万人の方がこれを読んで、「ああ、そういえば、こんな似たような思いを抱いたな」とか、「この時、自分の人生に擬えて、考え方を改めたんだよな」とか、そうしたところから、その人なりの『ワタシゴト』のきっかけになれば、いいのではないかと、私は感じました。
それから、私の場合、「戦争中でも楽しいことはあった」という、ごく当たり前な事を気付かせてくれました。恥ずかしながらですが、気付くことができて、涙が出そうなくらい嬉しかったのです。
『ええねえ、手つないで歩くの。うれしいねえ、こんなに若いあなたと、手つなげて。むかしはね、友だちと、こうして毎日うたいながら川岸を歩いたんよ。いろんなうた、うたって。戦争中じゃったけど、楽しいことは、いろいろあったんよ。写真館で仲良しが集まって、写真とってもろうたり。こうしていると、あのころみたいじゃね』