池田雅之のレビュー一覧
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1890年にアメリカから来日したラフカディオ・ハーン(後に帰化して小泉八雲)が日本各地(主に山陰)を遊行した記録をまとめた本。
ハーンは本書の中で日本、日本人について絶賛している。日本の美しい風景、ありのままの情景、日本人の伝統的徳目、慎ましい態度、愛嬌、信仰、迷信にいたるまであらゆるものを褒め尽くす。
それらの動機にはハーンの西洋的価値観、特に一神教への反発やハーン自身の個人的原体験があると言われており、あまり冷静かつ客観的なものだとは言えない。ただそれでも、明治中期のありのままの日本を描いた資料として有用である。
そうした文化資料的側面は一度置いても、単純に旅行記として面白い。ハーンの独特な感性に基づく仔細な光景描写や、ハーン自身が教師として接した日本人の言動は文作品として高いレベルにあると思う。
ハーンが嘆いた「西洋にかぶれた」今の日本が持っていない美しさが切り取られてそこにあると感じた。
とは言え、現在の限りなく西洋化した日本をこの時代の姿に戻すことなどできはしない。それに日本人が置き去りにした伝統や原体験的姿勢は、間違いなく今の日本人にも受け継がれている。
良くも悪くもそれらは現代の日本という国に影響を与えている。それらは間違いなく、強みにも弱みにもなっている。
重要なことは、この源泉を知ることだ。何が今の没落してしまった日本の原因なのか、反対に何が復活への鍵を握っているのか。それを知り、理解した上で何かを残し、何を捨てるのかを戦略的に策定しなければならない。
なんとなくの流れで生き残れるほどこの世界はぬるくなくなっている。日本人ひとりひとり、老若男女問わずに危機感を持ち、それを考えるべきだ。個人的にはそう考える。そして本書のような本がそのヒントになり得るだろう。 -
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ネタバレ目次
・はじめに
・東洋の第一日目
・盆踊り
・神々の国の首都
・杵築――日本最古の神社
・子供たちの死霊の岩屋で――加賀(かか)の潜戸(くけと)
・日本海に沿って
・日本の庭にて
・英語教師の日記から
・日本人の微笑
・さようなら
まずラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に「ありがとう」と感謝を述べたい。
当時、極東の未開国扱いだった日本の良いところをこんなに見つけてくれて、世界に発信してくれて。
今、誰かが「神の国・ニッポン」などと言おうものなら炎上間違いないけれど、彼が日本にいた明治の後期、日本はまだ神と共に在る国だったんだなあ。
それは、神である天皇のために死ぬなんてことでは全然なくて、神の前に恥ずかしくない存在であるために、自身に誇りをもった生き方であったように思える。
今の殺伐とした日本の姿を見たらハーンはなんと思うだろう。
生活の隅々に神仏の存在を感じながらも、ハーン自身は仏教より神道を上と見ている。
”仏教には、膨大な教理と深遠な哲学があり、海のように広大な文学がある。神道には、哲学もなければ、道徳律も、抽象理論もない。ところが、あまりにも実体がないことで、他の東洋の信仰ではありえなかったことであるが、西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのである。”
確かに浸透には抽象理論がないと思います。
だって、「やまとことば」には、抽象的概念を表現する言葉がありませんから。
ということは、古代の日本人は、抽象的な理論を考える手段がなかったということです。
だからこそ中国の文化に触れて、目からうろこの大興奮だったのではないでしょうか。
「日本の文化に比べれば、西洋の文化のなんて野蛮なこと!」と、ハーンはかなり力を込めて主張する。
例えば花を活けるということについても、以下のとおり。
”(日本の生け花は)ただ花瓶に枝を投げ入れているだけではないのだ。枝を剪定し、形を決め、美しく生けるまで、もしかしたらまるまる一時間はかかっているのかもしれないのである。だから今となっては、西洋人が「ブーケ」と呼んでいる花束などは、花を生殺しにする卑劣な行為であり、色彩感覚に対する冒瀆であり、野蛮で忌々しい蛮行に他ならないと思うようになった。”
いやいや、さすがにそれでは敵を増やすだけじゃろう。
”都会の人ならホトトギスの声を耳にすることもなく、一生を終えることになるかもしれない。鳥籠で飼おうとしても、ホトトギスは鳴かないまま死んでしまうからだ。”
なるほど。
そのうえでの、三武将のホトトギス句なわけね。
勉強になりました。
教師としてのハーンの言から2つ。
”教師は、自分の考えを生徒に押しつけようとしたりはしない。教師は、決して頭から -
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小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが来日当時の日本の文化・生活をつづった随想録。文体は生真面目だけど日常的な言葉遣いで読みやすいです。
西洋化しきっていないかつての日本を事細かに描写していて、実際に見たわけではない風景ながら郷愁を感じられます。
……はいいのですが、随所に挟み込まれる西洋出身の筆者による舌鋒鋭い西洋disで目を白黒させられてしまった。
キリスト教文化に馴染めなかったという小泉八雲がこんなにも日本を愛しているのを見ると、生まれたまま漫然と日本人でいることが申し訳ないというか、自己の郷土愛というものを顧みなければならないような気分になりました…。 -
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目次:
はじめに
東洋の第一日目
盆踊り
神々の国の首都
杵築(きづき)――日本最古の神社
子どもたちの死霊の岩屋で――加賀(かか)の潜戸(くけど)
日本海に沿って
日本の庭にて
英語教師の日記から
日本人の微笑
さようなら
ラフカディオ・ハーン略年譜
訳者あとがき
※ 本書は、「訳者あとがき」にあるように、「『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan,1894)の翻訳アンソロジー」、つまり抄訳である。「序文」を含め凡そ27篇の原書のうち、本書が訳出するのは11篇に過ぎず、それゆえの「新編」であることを注意されたい。訳者が27篇からこの11編を選んだ見識を、私は信頼し、また評価したい。
原書の邦訳としては、同じ角川の『日本の面影』をはじめ、『日本瞥見記』『神々の国の首都』『明治日本の面影』(順不同)など、さまざまなエディションがあるらしいので、目的にあった1冊を手にとられるとよいだろう。
それぞれに一長一短はあろうけれども、現代の読者への普及という点では、この『新編』はその役割を十分に果たしている。個人的な感想になるが、翻訳に特有のぎこちなさに由来するストレスがなく、それでいて、原書の英文かくありなんと想像力をかき立てる佳作である(偉そうにすみません)。 -
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「菊花の契り」が読みたくて買った一冊。
菊花の契り・・・この言葉でなんとなくニュアンスが分かる人とは友だちになれるかもしれない。(なりたくないと言われるかもしれない。)
それはそれは楽しみにして読んだんですが、この本の「菊花の契り」は裏切りませんでした。
うっはー!!
な感じでした。(どんな感じ)
ほかの話も面白かったです。
ちなみに、その後ほかの本で読んだら、もおおおおお怒るほどつまんなくなってて!
なんじゃこりゃー!!
と思いました。
角川ソフィアがいいよ。角川のほうはダメだった!←言ったったー。
上田秋成の菊花の契りも読みました。
文章がしつこくってダメだった。
菊花の契りはほかに、「守られた約束」とか、「約束」とかいうタイトルをつけられることが多いそうです。
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『ばけばけ』も終わりに近づいてきましたが、今ごろやっと『日本の面影』2巻目です。
英語原本は2巻本、700ページあるそうで、全27編のうち、10編を収録。
解説によると全訳ではなく抜粋らしく、翻訳も訳者いわく「私の解釈、読み方の提示(ダイナミック・トランスレーション)」とのことで、大胆に現代語訳されているようです。元々が明治の英文だからなあ。
鎌倉、江ノ島、横浜、美穂関、日御碕、隠岐島、八重垣神社などの紀行文、狐信仰、お正月と節分、幽霊とお化けなど日本文化についての考察など。
約130年前の日本なので、鎌倉や江ノ島と言っても現在の姿とはかなり異なる。
円覚寺、建長寺など行ったことがある場所も、大仏や建築を見る視点がそもそも違う。
軽く読める旅エッセイではなく、学術研究のようなところがあるので、だいぶ読みやすくなっているものの、原文はさらに難しかったのではと思う。
狐信仰が中国に由来するとか、しめ縄が『古事記』の天の岩戸に起源があるとか、日本人でも知らなかったよ。
「幽霊とお化け」に出てくる「甲斐の国、身延村」にある「日蓮宗のお寺の参道沿い」に幽霊が「小ぢんまりとした食べもの屋」を出したという話が気になりました。このお寺って身延山久遠寺だよね。
そして、巻末付録におまけのように小泉セツ『思い出の記』が収録されているんですが、これが感動的な名文。
文章として意味がわかりにくいところや拙いところがあるので聞き書きなのかなと思いますが、50ページに満たない短い文章の中に『ばけばけ』が半年かけて描いてきたものが全部つまっている。
というか『ばけばけ』に原作があるとしたら、『思い出の記』がメインテーマなのでしょう。
主題歌『笑ったり転んだり』は、あえて脚本を読まないで『思い出の記』だけ読んで書かれた曲だというのも納得。
「一国」(頑固の意味?)で変わり者でもあったヘルンさんのことを語るセツから溢れる愛、ヘルンさんがセツや日本に捧げた優しい眼差し、「尊い」とはこういうことかという二人の関係。
『ばけばけ』の描き方には賛否両論あるようですが、私的にはあと一年くらいただスキップしたり、散歩したり、探偵ごっこやってくれてもいいよと思うくらい楽しませてもらいました。
『ばけばけ』東京編は『思い出の記』の雰囲気をかなり忠実に再現していると思われるので、残り数話が楽しみです。
(174ページ)
西田さんは、明治三十年三月十五日に亡くなられました。亡くなった後までも「今日途中で、西田さんの後姿見ました、私の車急がせました、あの人、西田さんそっくりでした」などと話した事があります。似ていたのでなつかしかったと言っていました。早稲田大学に参りました時、高田さんが、どこか西田さんに似ていると言って、大層喜んでいました。
(190ページ)
交際を致しませんのも、偏人のようであったのも、皆美しいとか面白いとかいう事を余り大切に致し過ぎる程に好みますからでした。このために、独りで泣いたり怒ったり喜んだりして全く気ちがいのようにも時々見えたのです。
(191ページ)
それでも箪笥を開ける音で、わたしの考えこわしました、などと申しますから、引出し一つ開けるにも、そうっと静かに音のしないようにしていました。こんな時には私はいつもあの美しいシャボン玉をこわさぬようにと思いました。
以下、引用。
30
大仏様の美しさ、気高さ、この上ない安らかさは、それを生み出した日本人のより高い精神的生活を反映している。大仏様の縮れ毛や仏教上の象徴的な印が示しているように、インドの仏像からの影響は見られるものの、その技法は日本的なものである。
42
この島には、弁天様の物語もある。弁天様は美の神、愛の化身、雄弁の女神でもある。「海の女神」と呼ばれているのも、ゆえなきことではない。海こそは、古の時代からの最も卓越した「語り手」なのだ。海は、永遠の詩人、波の韻律でもって、世界を揺り動かす神秘に満ちた讃歌の「歌い手」なのではなかろうか。その海の妙なる調べは、いかなる人間といえども、これを真似ることはできないであろう。
68
まだ年端もいかない女の子たちが、縫物、織物、編物、刺繍などの手ほどきを受ける年齢になると、自分が生まれて初めて拵えたものを、この宝寿寺に持参し、「見目うるわしく」して「祈りを捧げる者を見守り給う」この心やさしい観音様にお供えするのである。
87
しかし、庶民の信仰と教義とが一致しているような国が、どこにあるだろうか。神学者や聖職者たちは、教えや教理を編み出しては、広めている。ところが、善良な人間というものは、自分たちの心にかなった神様を作り出すことにこだわるものである。そうしてみずからが作りあげた神こそが、崇敬に足る神様といえるのである。
100
恥ずかしがりやの学生が、自分の心の秘密を私の母国語である英語で竹の上に刻んでいるのだ。書いた当人は一西洋人がそれを見るなどとは夢にも思わなかったであろう。”I wish You, Haru!” (ハルと結ばれんことを!)。この同じ文句を一度だけでなく、四度も五度も竹に彫り込んであるのだ。しかし、どれにも前置詞のforが抜け落ちている。
107
神の家来である狐に対する信仰が、神そのものに対する信仰にとって代わってしまったのである。
110
狐信仰は、元々、中国に由来するものだが、日本に伝わってからまず神道の信仰と奇妙な具合に混ざりあい、次に仏教の呪法などの観念によってさらに変質し、信仰の幅も広がっていった。しかし一般の民衆にとっては、おそらくただ単に狐が恐かったためにお参りするようになったというのが妥当な見方であろう。農民たちはいまだに怖いものを崇めているのだから。
113
古代の神道の神話では、「食物の神の霊」についてはきわめて明解だが、狐についてはまったく触れていない。ところが出雲の農民たちは、ヨーロッパのカトリック諸国の農民と同様、自分たちで神話を作り上げてしまう。稲荷を悪い神として信仰するのか、それとも善い神として拝むのかと尋ねられれば、農民たちは稲荷は善い神なので、稲荷狐も善良だと答えるに違いない。
118
意匠の意味が最も明白な図柄──西洋の骨董屋にとっては、非常になじみのある動植物の生態を描いた見事な作品──のもつ道徳的な意味あいは、一般の西洋人には少しも理解されていない。例えば、安価な宿屋の襖絵に描かれている一筆書きのごくありふれた図柄──海老、松の芽ぶいた枝、渦巻く水の中をよたよたと泳ぐ亀、つがいの鶴、竹の若い小枝など──を取りあげてみるとよく分る。
121
西洋人には、竹のもつ象徴的な意味の謎について、理解するのはむずかしかろう。その意味の謎は、一種の日本語の語呂合せに象徴されているからである。「節(せつ)」と発音する漢字には、二つの意味があり、一つは竹の「ふし」を意味し、もう一つは、「徳」「貞節」「忠誠」を意味する。それゆえ、竹は「幸運」の象徴として用いられているのだ。日本の女の子によく「節」という名前がつけられていることに気づくであろう。それはちょうどイギリスの女の子に「フェイス」(誠実)とか「ファデリア」(貞節)とか「コンスタンス」(忠誠)という名前をつけるのとよく似ている。
122
まずはじめにこの注連縄の起源は、神代の時代の太陽神、天照大神の天の岩戸隠れの神話まで遡ることができる。今さら説明の必要もないであろうが、『古事記』によれば、天照大神はお隠れになった天の岩戸から誘い出されたが、再び戻らないようにと、ある神が岩戸の入口を塞ぎ、縄の網を張りめぐらした。それが注連縄の起源だといわれている。
126
しかし、鬼がなぜひいらぎの葉や鰯の頭をこわがるのか、誰もそのわけを知らないようだ。この不思議な慣習の起源についても、庶民の間ではまったく忘れ去られてしまっている。上流階級の家庭でも、こうした風習は残ってはいるが、今日のイギリス人にヤドリ木やツタの魔力を信じている者がいないのと同様に、この節分の迷信を信じている日本人はいない。
150
毎度おなじみの見せ物の中でも、今夜は蛇を帯のように体に巻きつけた蛇使いの女が出ていないのが、残念だった。おそらく、もう季節が蛇には寒すぎるためであろう。
157
その少し先では、一人の男が、人間の女の顔を持つ二匹の蛇に呑み込まれている。二匹は白と青の蛇で、白蛇はかつてのその男の本妻、青蛇の方は愛人ということであった。
169
二人は、だれにも気づかれることなく、町をあとにしました。それから甲斐の国、身延村へ向かいました。そこには日蓮宗の有名な寺があります。
やがて二人は、お寺へ続く参道沿いに、小ぢんまりとした食べもの屋を出しました。
174
西田さんは、明治三十年三月十五日に亡くなられました。亡くなった後までも「今日途中で、西田さんの後姿見ました、私の車急がせました、あの人、西田さんそっくりでした」などと話した事があります。似ていたのでなつかしかったと言っていました。早稲田大学に参りました時、高田さんが、どこか西田さんに似ていると言って、大層喜んでいました。
182
熊本で始めて夜、二人で散歩致しました時の事を今も思い出します。ある晩ヘルンは散歩から帰りまして「大層面白いところを見つけました。明晩散歩致しましょう」との事です。月のない夜でした。宅を二人で出まして、寂しい路を歩きまして、山の庵に参りますと、この上だと言うのです。草の茫々生えた小笹などの足にさわる小径を上りますと、墓場でした。薄暗い星明かりに沢山の墓がまばらに立っているのが見えます。淋しいところだと思いました。するとヘルンは「あなた、あの蛙の声聞いて下さい」と言うのです。
190
交際を致しませんのも、偏人のようであったのも、皆美しいとか面白いとかいう事を余り大切に致し過ぎる程に好みますからでした。このために、独りで泣いたり怒ったり喜んだりして全く気ちがいのようにも時々見えたのです。
191
それでも箪笥を開ける音で、わたしの考えこわしました、などと申しますから、引出し一つ開けるにも、そうっと静かに音のしないようにしていました。こんな時には私はいつもあの美しいシャボン玉をこわさぬようにと思いました。
193
「アラッ、血が」あれを何度も何度もくりかえさせました。どんな風をして言ったでしょう。その声はどんなでしょう。履物の音は何とあなたに響きますか。その夜はどんなでしたろう、私はこう思います、あなたはどうです、などと本に全くない事まで、いろいろと相談致します。二人の様子を外から見ましたら、全く発狂者のようでしたろうと思われます。
『怪談』の初めにある芳一の話は大層ヘルンの気に入った話でございます。なかなか苦心致しまして、もとは短い物であったのをあんなに致しました。「門を開け」と武士が呼ぶところでも「門を開け」では強味がないと言うので、いろいろ考えて「開門」と致しました。
196
「パパ、カムダウン、サッパー、イズ、レディ」と三人の子供が上り段のところから、声を揃えて案内するのが例でした。いつも「オールラィト、スウィートボーイズ」と言って、嬉しそうに、少し踊るような風で参りますのでございます。
205
方角では西が一番好きで書斎を西向きにせよと申した位です。夕焼けがすると大喜びでした。これを見つけますと、直に私や子供を大急ぎで呼ぶのでございます。いつも急いで参るのですが、それでもよく「一分遅れました、夕焼け少し駄目となりました。なんぼ気の毒」などと申しました。子供等と一緒に「夕焼け小やけ、明日、天気になーれ」と歌ったり、または歌わせたり致しました。
207
私はよく朝顔の事を思い出します。だんだん秋も末になりまして、青い葉が少しずつ黄ばんで、最早ただ末の方に一輪心細げに咲いていたのです。ある朝それを見ました時に「おお、あなた」と言うのです。「美しい勇気と、如何に正直の心」だと言うので、ひどく誉めていました。枯れようとする最後まで、こう美しく咲いているのが感心だ。誉めてやれ、と申すのでございます。
209
活発な婦人よりも優しい淑かな女が好きでした。眼なども西洋人のように上向きでなく、下向きに見ているのを好みました。観音様とか、地蔵様とかあのような眼が好きでございました。私どもが写真をとろうとする時も、少し下を向いて写せと申しましたが、自分のも、そのようになっているのが多いのでございます。
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岩波少年文庫『雪女 夏の日の夢』に載っていた随筆がとても良かったので、一度ちゃんと読んでみようと思っていたラフカディオ・ハーン。
朝ドラ『ばけばけ』が始まる前にと思っていたのに後追いになってしまいましたが、並走しながら読むと理解が深まります。
原本の『日本の面影』は27編あるそうですが、そこから11編を部分的に訳出したアンソロジーとのこと。
『雪女 夏の日の夢』でも読んでいますが、文章がとても美しいです。松江の朝の風景など、朝靄の描写が印象画のようです。
メモっていても一文がとても長いので、原文はもっと長く、形容詞の多用された難解な文章なんだろうと思われますが、読みやすく訳されています。
『ばけばけ』視聴者的にいうと、
松江の朝を描いた場面、「水飴を買う幽霊」の話は『神々の国の首都』
「鳥取の蒲団」、「子捨ての話」は『日本海に沿って』に出てきます。
(「鳥取の蒲団」はここでは宿の女中さんから聞いた話となっていますが、八雲の息子さんの手記によると、セツ夫人から聞いた話で、セツ夫人は前夫からこの話を聞いたそうで、えっ、そこ史実だったんだ!という驚き。)
のちの『怪談』のように再話文学としてではなく、随筆の中に挟まれるように怪談が紹介されているのですが、ラフカディオ・ハーンにとって怪談は、日本人の宗教観、文化、精神を理解する上で大切なものだったんですね。
というか、神道や仏教に対する知識や理解が私のはるか上で驚きます。
鶯が「法華経」を唱えているなんて考えたことなかったよ。
(154ページ)
風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っているのである。日本人の本能も活力も直観も、それと共にあるのである。
おそらくセツ夫人と新婚時代に出雲や潜戸に行っているんですが、出雲はわかるとして、子供の幽霊の伝説がある場所に新婚旅行で行く夫婦……。ここドラマでもやってくれるのかな。
『日本の庭にて』は現在、小泉八雲旧居として公開されている武家屋敷(『ばけばけ』ではオープニングに出てきます)の庭の話。
(217ページ)
特に忘れてはならない大事なことは、日本庭園の美を理解するためには、石の美しさを理解しなければならないということだ。
石にもそれぞれに個性があり、石によって色調と明暗が異なることを、十分に感じ取れるようにならなくてはいけない。
『英語教師の日記から』には「日本の学校には懲罰というものが存在しない」と書かれてるんですがほんとかい? 日本の公立校は『クオレ』に似てるってほんとかい?
『教育勅語』公布の話なんかも出てきて興味深いです。
『さようなら』は松江を去るときの話。
小谷くんのモデルとなった大谷正信くんが中学校代表としてお別れの辞を述べています。
送別会でハーンは「天皇のために死にたい」という生徒の願いを「気高い望み」としつつ、「日本では命を犠牲にするようなことは起こらないだろう」と信じる、そんなときは「国のために死ぬのではなく、国のために生きてほしい」と語っているのも興味深いです。
全体的に日本を高く評価しすぎではないか(ハーンさん盛りすぎではないか)、と思わないでもないですが、西洋人だからこそ見える日本の美しさ、日本人の精神性が記録されていて、これを現代の日本は失ってしまったんだろうか、忘れてしまったんだろかと考えさせられます。
(261ページ)
出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命(さだめ)のような気がする。ことのほか日本では、無常こそが物事の摂理とされ、変わりゆくものも、それを変わらしめたものも、変わる余地がない状態にまで変化し続けるのであろう。それを思えば、悔やんでも仕方のないことだ。
以下、引用。
7
ところが、日本人の生活の類まれなる魅力は、世界のほかの国では見られないものであり、また日本の西洋化された知識階級の中に見つけられるものでもない。どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在するのである。その魅力は、喜ばしい昔ながらの慣習、絵のようなあでやかな着物、仏壇や神棚、さらには美しく心温まる先祖崇拝を今なお守っている大衆の中にこそ、見出すことができる。
8
さらに、西洋人のより広範な物の見方からすると、たとえどんなに東京などでは軽蔑されていようとも、もっとも大衆になじんだ迷信とは、希望や恐怖や善悪の体験、いうなら霊界の謎を解こうとする素朴な努力の、紙に書かれていない文学の断片として、珍重すべき価値があるのである。
これらを始めたとする数多くの美しい光景は、すべて迷信といわれている想念から生まれ出てくるものであり、その想念が「万物は一なり」という崇高な真理を、きわめて単純な形で繰り返し解いてきた賜物なのである。
9
「人間は、知識よりも幻想に頼る存在なのだ。思索する上で、たいがい批判的で破壊的な理性よりも、全体的にみて建設的な想像力の方が、われわれの幸福に貢献するのではないだろうか。人間が本当に困ったときには、気取った哲学理論よりも、粗野な人でも、危険時や困窮時に思わず胸に握りしめる粗末なお守りや、貧しい人の家にもご加護を注ぎ、守ってくれると信じられている御神像の絵の方が、実際に心を癒してくれるものである。」
レッキー
15
表意文字が日本人の脳に作り出す印象というのは、退屈な、ただの音声記号であるアルファベットの組み合わせが西洋人の脳に作り出す印象と、同じものではない。日本人にとって、文字とは、生き生きとした絵なのである。表意文字は生きているのだ。それらは語りかけ、訴えてくる。そして、日本の通りの空間には、このように目に呼びかけ、人のように笑ったり、顔をしかめたりする、生きた文字が溢れている。
20
認めにくいことかもしれないが、もしかしたら読者が心底ほしいものは、店に置いてある商品ではなく、その店であり、店員であり、のれんも住人もひっくるめた、店々の並ぶ通りである。さらには、町全体であり、入江であり、それを取り巻く山々であり、雲ひとつない空にそびえる富士山の美しい白い頂ではなかろうか。実のところ、魅惑的な樹木、光り輝く大気、すべての都市、町、寺、そして、世界でもっとも愛らしい四千万人の国民も一緒に、日本全体をまるごと買ってしまいたいのだ。
80
実のところ、私も鶯には手が出せないでいた。わが家の可愛い愛鳥は、しばらく床に伏していた一外国人教師の無聊を慰めようと、出雲の知事の麗しき令嬢が気遣って送ってくれた贈り物であった。
107
日本で見る落日は、熱帯で見るそれとは違う。日本の陽光は夢のように穏やかで、その中にはどぎつい色彩は見られない。この東洋の自然の色には、強烈なものを感じさせるものがない。海を見ても、空を眺めても、色彩というより色合いとでも言ったらいいような、霞むようなほのかな淡い色調を感じるだけである。素晴らしい日本の染色を見ればわかるように、この民族の色彩や色合いに対する洗練された趣味には、けばけばしいものがなにもない。それは、この国の穏やかな自然が、落ちついた繊細な美しい色彩を帯びているところに、大きく由来しているからではなかろうか。
111
それにしても、どうして紙を水の流れの中に流すのだろうか。ある天台宗の立派な老僧から教わったところによると、もともとこの儀礼は、水に溺れた死者の霊を慰めるものであったようだ。しかし今では、このように心優しい人々が、地上の水はついには冥界へ流れ落ち、お地蔵様のいる賽の河原を流れてゆく、と信じるようになったからである。
112
川向こうの家では、部屋の中の照明が幅広い障子を柔らかな黄色に染め、その明るい紙のおもてに、すらりとした女の影がしとやかに動いている。私は心から、日本にはガラス窓が普及しないでほしいと願っている。そうなれば、このような美しい影を見ることができなくなるからである。
154
神道を単なる祖先崇拝だとする者もいれば、それに自然崇拝が結びついたものだとする者もいる。
ところが、神道の真髄は、書物の中にあるのでもなければ、儀式や戒律の中にあるのでもない。むしろ国民の心の中に生きているのであり、未来永劫滅びることも、古びることもない、最高の信仰心の表れなのである。
風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っているのである。日本人の本能も活力も直観も、それと共にあるのである。したがって、神道をわかろうというのなら、その日本人の奥底に潜むその魂をこそ学ばなければならない。なにしろ日本人の美意識も、芸術の才も、剛勇の熱さも、忠誠の厚さも、信仰の感情も、すべてがその魂の中に代々受け継がれ、はてには無意識の本能の域にまで至っているのである。
自然や人生を楽しく謳歌するという点でいえば、日本人の魂は、不思議と古代ギリシャ人の精神によく似ていると思う。
184
たしかに、いつまでも人の心をとらえて離さない印象とは、瞬間的なものなのかもしれない。人は時間よりも分単位、分よりも秒単位で憶えているものだ。一日まるごと記憶している者がどこにいよう。人生の中で記憶に残ると幸福な時間とは、そうした瞬間の集結したものだ。
人の微笑みほど、はかないものがあるだろうか。それでも、いったん消え去った微笑みの記憶は、いつ消えることがあろうか。あるいは、その記憶が呼び覚ます、あのやさしい愛惜の思いは、いったいいつになったら消え去ることがあろうか。
217
ここであえて「外庭」と呼ぶのも、日本では大きな屋敷になると、一階と二階の間に「内庭」のある家があるからである。
もうひとつ、特に忘れてはならない大事なことは、日本庭園の美を理解するためには、石の美しさを理解しなければならないということだ。少なくとも、理解しようと努めなければならない。石といっても、人の手で切り出されたものではなく、自然の板並みで生まれた自然石のことである。石にもそれぞれに個性があり、石によって色調と明暗が異なることを、十分に感じ取れるようにならなくてはいけない。そうでないと、日本庭園の美しさの真髄が心に迫ってくることはないだろう。
259
夏の日射しが奇妙な形をした灰色の石の上に照りつけ、長いこと愛され続けてきた木々の茂みの間から木漏れ陽をちらちらともらし続けている。そんな陽光の中にさえ、亡霊に愛撫されているような優しさが存在している。この庭はもうすべて過去の庭なのだ。そして、未来はこの庭をただ夢として認識することだろう。もはやどんな天才でも再現することのできない、忘れ去られた芸術の結晶として。
261
出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命(さだめ)のような気がする。ことのほか日本では、無常こそが物事の摂理とされ、変わりゆくものも、それを変わらしめたものも、変わる余地がない状態にまで変化し続けるのであろう。それを思えば、悔やんでも仕方のないことだ。とにかくこの庭の美しさを創り出した、今は失われてしまった芸術は、万物に慰めを与えている経文の一節、「草も木も、また岩も足も、まさに一切涅槃に入るべし」を奉じている宗教が生み出した芸術でもあったのである。
278
子供たちはさっきから、日本の国家「君が代は」と、スコットランドの曲につけた日本の唱歌を二つ習っているのだが、そのうちのひとつ「蛍の光」は、こんな東洋の片隅にいる私の胸中に、数々の楽しい思い出を呼び起こしてくれた。その歌とは、〝Auld Long Syne〟であった。
325
しかも、この名品は、たんなる生徒が教師に示す親愛や忠誠のしるしとしてだけではありません。皆さんの多くが、心からの願いとして天皇陛下のために死にたいと作文に書いた、あの美しい義務感の象徴でもあります。その願いは神聖なものです。皆さんが認識している以上に尊いものです。それは、これから年をとり、経験を積めば、きっとわかることでしょう。
現代は、急速に大きく変化を遂げています。これからの成長過程では、ご先祖の信じてきたことをすべて鵜呑みにするわけにはいかない、と思うことも多くなるでしょう。それでも、先祖の思い出を今なお尊重しているように、少なくとも祖先への信仰だけは忘れないでいてくれることを、心より信じています。ともかくあなた方の周辺で、どんなに新しい日本が変わろうとも、皆さんのものの考え方が時代とともにいかに移り変わろうとも、あなた方が聞かせてくれた、あの気高い望みだけは、どうぞ失わないで下さい。神棚に灯る小さな灯明のように、どうかその心の中にその明かりを、清らかに明々と灯し続けていただきたい。
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同じように気高く、市民生活の指針ともいえるその願いとは、国のために死ぬことではなくて、国のために生きることです。