注!内容に触れています
「剱岳に初登頂したのは誰か?」、「平安時代の初登頂ミステリーに挑む」って、そりゃいくらなんでも面白そすぎだろ!って読んだ本。
……だったんだけどー。
なぁ~んか、イマイチ、エキサイティングじゃない(^^ゞ
この本のハイライトって、絶対、第8章の著者が初登頂(というか、恐らく「開山」) ルートと推測する、立山川を遡行→「ハゲマンザイ(という場所)」から早月尾根に上がるルートを登った時の記録だと、(自分は)思うのだ。
でも、それって、250ページくらいあるこの本で、25ページくらいしかない(^^;
それ以外は、著者による「剱岳ファーストクライマーの謎」、つまり、
「いつ:山頂に立ったのは何年か」
「誰が:山頂に錫杖頭と鉄剣を置いたのは誰か」
「どのように:どのように山頂を極めたのか」
「どの:どのルートから山頂にたどり着いたのか」
「どこに:山頂のどこに錫杖頭と鉄剣を置いたのか」
「なぜ:なぜ山頂に立とうとしたのか」
という推理について、資料をあたったり、人に聞いたり、劔に行ったりして繰り返すばかりなのだ。
いや。そのことに興味はなくない。
著者が様々な経緯を経て、その推理が変遷していくのも。
だって、だからこの本を読み始めたんだもん。
でもさー。それは、劔岳なのよ(^^ゞ。
劔だからこそ、最初に登ったルートがどこか? それはどんなところなのか?というのはすごく興味がある。
つまりだ。
それと比べちゃったら、最初に山頂に立ったのが誰か?とか、錫杖頭と鉄剣をどこに置いたのか?等って、正直どーでもいいのよ。←身も蓋もない(^^;
ぶっちゃけ言っちゃうなら、この本って、その山が劔じゃなかったら、エンタメ本としては出版されてなかったと思うの。
どこかの1500メートルくらいの地味ぃ~な山だったとしたら、民俗学的な学術書的な出版のされ方をされていたように思うのだ。
立山川から早月尾根へのルートを実際に登った時のことは、実際にテレビ番組になったらしいが、それも、やっぱりその山が劔だったからだと思うのだ。
劔岳って、そのくらい魅力がある。
第1章で、著者は現在の一番ポピュラールートである別山尾根から山頂を目指した時のことを描いている。
その中に、“一難去ってまた一難。次は平蔵の頭が待っている(中略)登山者は山頂の手前まで迫りながら、その巨大な障害物を乗り越える試練を与えられる”とあるんだけど。
「平蔵の頭(ずこ)」なんていう場所、全く記憶になかったのに、“山頂の手前まで迫りながら、その巨大な障害物を乗り越える”という文を読んでいたら、ふいにその時の記憶がまざまざと甦ってきたのだ。
その時というのは連日の雨で。劔沢で2日間停滞した後のわずかな雨の止み間だったから。一服劔から先はほぼガスの中で、ほとんど視界はなかった。
そんな中、急にガスの中に黒々と巨大な影が現れて、ちょっとドキッとした記憶があるのだが、あれがもしかしたら「平蔵の頭」だったのかもしれない。
そんな風に、著者は情景の描写に優れているように思う。
だからこそ、立山川から早月尾根の件も、もっと詳しく描いてほしかったなーと、そこはすごく残念(^^;
ただ、最終の推測である、劔岳は実は古くは多くの人に登られていて。でも、加賀藩が山中での活動を制限、立山信仰の地を一本化したことで、立山川から早月尾根に至るルートは忘れ去られてしまった。
その結果、室堂起点の信仰では劔岳は「登ってはならない山」→「登れない山」へと変わっていったという推測はすごく納得出来る。
ただ、うがった見方をしちゃうと、著者って、本当に劔岳の昔のルート(著者の言うところの「初登頂ルート」)に別山尾根を想定していたのかなぁーって勘繰っちゃうのだ(^^ゞ
もちろん別山尾根は立山三山に連なる尾根だから、立山三山に登るために知られていたとは思う。
でも、今は地図があるから山々の位置を上空から俯瞰は出来るけど、昔はまずは下から見るしかなかったわけだ。
下から見て、「あの山はどこから行ったら登りやすそうか?」「どこが一番近いか? 早く登れるか?」と考えたと思うのだ。
だとしたら、普通に考えたら早月尾根…、だよねぇー(^^ゞ
だって、修験道とかもからんでいるわけでしょ?
なら、甲斐駒のルートが黒戸尾根だったように。劔だって、そういう風に山頂を目がけてダイレクトに上がっていく尾根、つまり早月尾根こそがルートだったように思うんだけどなぁー。
そう考えると、何度も出てくる“剱岳ファーストクライムの5W1H”を推考するための「別山尾根仮説」って気がしちゃって。
すごく嫌な言い方になっちゃうけど、それって本の構成上、後半を盛り上げるための仮説だったんじゃない?なんて思っちゃうのだ(^^ゞ
……と、まあ、自分の期待した内容でなかったため、文句ばかり書いてしまったが(^^ゞ
つくづく思うのは、著者はこれ、すごく楽しかっただろうなーということだ。
帯の満足気な笑みを見ていると、「へっへっへー。悔しかったらお前も行ってみな」と言われているようで、すんごぉ~くシャクにさわる(爆)