題名は『歩くことの「人類史」』ですが書かれているのは著者の『歩くことの「個人史」』です。しかしトルビョーン・エーケルン個人の歩くことの記憶が、人類がアルディピテクスとして木の上から降りてからホモサピエンスとしてアフリカ大陸を出て大陸から大陸に歩き続けた過程と重なる気分になります。個人の足裏と人類の足裏が重なる感覚です。文章もなんだか歩くスピードで書かれているような心地よさです。著者は言います。「僕自身について言うなら、歩くことは、何かを考えることより、むしろ考えないこと、 または少なくとも何か重要なことや複雑なことを考えないことに関わる。」たぶん我々の先祖も歩いている時は「歩くこと」そのものに集中していたんじゃないかな?そういえば一緒にハイキングしていた友人は「山に入る前にいろいろ悩んでいてことが山を降りる時、なんか解決しているように思えるんだよね。」と話したことがあって、山歩きの魅力ってそこにあるのかも、と思ったのを思い出しました。病を得て車から離れ徒歩を生活の基盤にした著者が、子供の頃の山小屋の近くの小道の思い出、友人と自分とそれぞれの子供たちとノルマン・スレーパネと呼ばれるトレイルを歩いたこと、友人と磁石もGPSも使わず太陽を頼りにノーマルカという森林地帯を歩いたこと、雪の道を一人でハーフマラソンの距離を歩いたこと、そして、子供の頃の小道をもう一度、歩こうとすること、が章を変えて綴られていきます。考えない、と言っている割には、思考はあっちゃこっちゃ飛んでいるのも面白い。ノルウェーという知らない国の自然描写も何かそそります。出てくる人名もまったく未知なのに気になりません。そうそう、ヘラクレイトスの「人は同じ川に入ることはできない。」を「人は同じ小道を二度歩くことはできない。」と言い換える気づきにも、なんか共感しました。読みながら数年前にちょっとだけ歩いた「みちのく汐風トレイル」の思い出が蘇りました。やっぱりいつかスタートからゴールまで、ちゃんと歩いてみたいかも。同じトレイルでは無いけど。