浮世写真家喜千也のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
もうタイトル(コンセプト)だけで星4スタートなんですよね。
表紙の鯉のぼり(P.62 水道橋駿河臺)も合成かとおもいきやリアルと知ってさらに好感。
広重の『名所江戸百景』目次を除いた119枚。Wikiによれば弟子の二代目広重「赤坂桐畑雨中夕けい」は同シリーズに含めないのが通例とのこと。さらに12.「上野山した」41.「市ヶ谷八幡」115.「びくにはし雪中」は広重死の1ヶ月後に出版されているためこれらも二代広重の筆が入っているとする説が有力とのこと。ふむ。てかどこまで初代広重の作品とするべきか判断がムズいんじゃないですかね。生前であっても実はほとんど弟子が書いてたり、構図決めてたり、はたまた死後であっても先生の下絵を元に忠実に仕上げてたりってのもない話ではないような。あと浮世絵って版画じゃないですか。これもWiki情報ですが1万部を超えるヒットとなったために後刷りは色も少なくぼかしも省略しているとのこと。こういうのって初代広重作品ではあるけれどどこか足りないような気もするし、そもそも絵画でいうところの着色を全て他人がやってるんですよね。
まぁそれはいいんです。
都内在住の人間ならば『えーーあそこってこの絵のところだったの!?』と軽い驚きを持ってみることができますね。残念ながらそのままの場所ではあまりに雰囲気が違いすぎたり立ち入り禁止場所なんかもあるでしょうからまるっきり同じ場所でのタイムスリップではないものも一部ありますが大半の写真は道や橋、暗渠そのまんまです。
気に入ったページを。
P.22 大てんま町木綿店
木綿店が立ち並ぶ前に絹の着物に素足に下駄の装いの辰巳芸者を描いた広重。写真家はこれを『木綿に縁のない(足袋をはかない)辰巳芸者さえ歩きたくなる大伝馬町というメッセージを感じる』としている。当時の大伝馬町は布と紙のファッション発信地。このあともこの手の筆者の感想がいくつか出てくるんですがひざ打ち案件。
P.28 日本橋通一丁目略図
先程と同じようなもの。私はこちらも『へー今のCOREDOかー』とかパー全開で眺めてたんですが写真家は住吉踊り、瓜売り、蕎麦出前など夏の風物詩を指摘。さらに『わざと顔を描かないことで夏の日差しを表現したのだ。170年後の今も変わらない。』としている。いやほんとに。
毎度毎度のことでもうどうしようもないんですが私は一体何を見て何を聞いてるつもりになって生きてきたんでしょうねぇ。この原画を見てもここまで丁寧に指摘されるまで季節すら想像できてなかった。頭が悪いというのは毎日罰を受けているようなもの。でもまぁちょっと抜けてるくらいが可愛くていいか。(前向き)
P.36 八見のはし
これも同じ。日本橋川の船頭たちの着物からは季節は読めない。ただ遠くの富士山が真っ白に描かれているので冬なのかなーとか思ってたけど柳に燕ですからね。春から秋、冬は絶対にないわけで。んでこの写真家は原画そっくりに撮影しようと試みますが車の風で柳は揺れ続けだらんとした原画の雰囲気が出ない。全身から汗を拭きだしながら撮影したとの秘話のあと『一見涼しげな水辺の景色、だが広重は無風時の柳で蒸し暑さを表現したのでは』と考察。はい。もういいです。私は目を開けたまま閉じています。もうそれでいいです。本を読むってのはどんなテーマのものであっても謙虚さ?諦め?を得られていいですね。(さらに前向き)
P.40 永代橋佃しま
浮世絵とか写真とかはまぁいいとして。石川島(今の佃)の南に家康から厚遇で招致された現西淀川区の佃村漁師が10年かけて自前で作った人工島が佃島なの?んでそこで売れ残りを煮しめて売ったのが佃煮?だからあそこに大阪の住吉大社があんの?昭和39年まで橋がなくて渡し舟のみだったって?ちょ。全く知らなんだ。聖路加のちょっと先のあの緑色ライトの橋だよね。あれを渡ったとこなんだ。へーーーーーーーーー。石川島も呑み込んであの一帯を佃に改名させたのね。通りにも名前をつけて。GoogleMapで見ると佃煮の店は今もオリジナル佃島に集中してますな。そしてタワマンとかが見当たらない。リバーシティは旧石川島の方だもんね。北の先っちょ。ネットでたくさん出てくるのでこれって有名な話なのね。佃エリアのあの感じって大阪DNAなんだ。。。本土から橋渡って川向うに行った途端知らん人が喋りかけてくることが二度三度あったんだけどあれって理由あったんだ。
P.64 神田紺屋町
これも浮世絵写真はちょっと置いといて。『紺屋町以外の藍染は【場違い】』へー。今ほどに広く使われてるのを当時の紺屋町の人が知ったらどんな顔をするかな。
P.70 上野山した
この写真の他にもたくさんあるんですが現在も道がそのまま残っていて原画のタイムスリップ感が高い一枚。しかも交番前に一部分だけ当時の石垣を復元してあるんですね。P.30鎧の渡し小網町の萱場橋に土蔵の意匠があったりP.80上野山内月のまつの月の松もそうですが、こういうのってたまに見かけるけど我々のみならず100年後の人たちのためにも趣のある街づくりですね。(100年後にまだ日本があるかどうか、人類が現在のように生活できているかは不明)
P.74 日暮里寺院の林泉
これも文章のみ。風光明媚なこの地は新堀と呼ばれた→風流人らが日没まで楽しめる場所としてひぐらしの里と呼び始める→江戸中期に『日暮里』という漢字があてられる。江戸の人ちょっと来なさい。君かっこよすぎるだろ。ん?いくら欲しいんだ?
P.100 増上寺塔赤羽根
P.102 芝明神増上寺
P.104 金杉橋芝浦
P.110 愛宕下藪小路
P.112 虎ノ門外あふひ坂
こちらも道や橋がそのまんま。増上寺前なんて特に残りやすいですよね。十数年ほぼ毎日歩くエリアでしたが全く気付かなかった。これからはこの原画を思い出しながら渡ろう。
P.122 角筈熊野十二社俗称十二そう
『新宿追分(新宿三丁目)から西を角筈とよんだ。室町時代に熊野の三所権現、四所明神、五所王子の十二所権現を全て勧請して創建された角筈熊野十二社』→庶民は『十二そう』とよんだ。
今更なんだけど12の神様にユニット組ませるってのがいいですよね。一神教の方々には申し訳ないんですけどこの考えからしか多様性は成長しませんよ。(宗教はもう人間の脳の副作用だから仕方ないと諦めるとして)でもそんな12も神様いるのに何故西新宿5丁目付近はああなのか(都庁前や西新宿はまぁいいとしても)
本来は春夏秋冬で分類する方がいいんでしょうけども私にはこの現代の場所区切りが読みやすかったです。119枚の絵を覚えてそれぞれの場所に行った際は脳内で楽しむ、というのが出来ればいいんですがそれは無理。この本を持って移動?んーまぁめんどい。この本を読んだおかげでその場所場所に案内があった際は『あぁ、119枚のなかの1枚か』とスマホ検索する。まぁこれが現実的だしそれで充分。
読む前と同じ評価星4。 -
Posted by ブクログ
江戸時代の1856~1858年に歌川広重が制作した「名所江戸百景」の
現在の場所はどうなっているのか。その場所を訪ね、或いは
その場所に寄せて、写真にコラージュを取り入れたりして、
広重の視点からの現在を模索している。
・はじめに
名所江戸百景・地域分類【第一部】
日比谷・霞ヶ関・麹町 日本橋 京橋・築地
神田・湯島 上野・千駄木・日暮里 王子・赤羽
芝・白金・高輪 赤坂・四谷・市ヶ谷 関口・高田
目黒・品川 浅草・橋場 南千住・三河島
名所江戸百景・地域分類【第二部】
隅田・向島 本所・深川 亀戸・大島・砂村
名所江戸百景・地域分類【第三部】
江戸郊外東 江戸郊外西 江戸郊外南 江戸郊外北
・おわりに
名所江戸百景 目録、主要参考文献有り。
右に広重の図絵、左に現在の場所の写真、
下にその場所の紹介と歴史やその後にエピソードと、
場所設定と撮影の話、広重ポイントでの構成。
試みは良いのだが、今は無き風景が多い。
ビルや道路、育った木々に視界が塞がれる。
広重自体の図絵にもデフォルメがある。
なので近しい場所に移動しての撮影が多々あるし、
同じアングルやシチュエーション、四季や祭などの行事に
寄せ、見立てる様子はまさに苦労の連続。
多少盛り過ぎの作品もあるが、現在でも僅かながら当時を
偲ばせる場所があるのが知れて、愉しめました。
水道橋駿河臺、浅草田甫酉の町詣、亀戸天神境内が良かったです。