原爆による悲劇を(他者の痛み)に留めてはいけないと言う思いがありました。私たちは核戦争が常に身近で起こり得る世界に生きていること、さらに、そこにはもはや商社も敗者がないのだと認識する必要があるのです。
撮影における方法論は、一切の刺激感情配して、植物的な記録に接すること。対象について私的な解釈をしないことを第一義としてきました。写真家の個人的な解釈や感性によって、事実と変える主体イメージの美化や資料の持つ悲劇性のみが誇張されることを避けるためでした。また、様々な資料の日常の形の記号性を重視する事は、1945年8月6日の広島が、紛れもなく現在の私たちの日常につながることを示唆しています。この方法論は、40年前の最初の撮影から現在まで一貫しています。
私の広島コレクションの表現の得意性は、写真表現の中に文字を構成的に用いたことです。資料自身の物語を写真と同格に文字として配置し、両者を同時に知覚できるように構成しています。時間を蘇らせることが困難な写真に、過去を自在に表現できる文字を同平面に一体化させることで、被曝の事実が過去の出来事にとどまることなく、現在と言う時間にも通底する表現になると確信し、継続してきました。このコンセプトが、被爆の実装リアリティーを持って伝えていくことを願っています。
過度な情報社会にある現在、私たちは明日を探すとすることにとらわれて、過去を読み取る能力を失いつつあります。しかし、他者への愛に支えられた想像力を失ってはなりません。過去への深い読解と理解は、未来への深い洞察力をもたらすものです。歴史における広島長崎、人類の未来への継承として今、改めて冷静に捉える必要があると考えます。私たち人類にとっての形の記録ともえる広島コレクションがその一緒になることを希望してやりません。