頑張り続けないといけないことはわかっているけど頑張れない時がある。散歩する。自分の生、生きている感覚を取り戻す時間。
じっとしていると気になったことが出てきたらそこに注意が固定されてしまう。リズミカルな歩きがあるとそちらに注意が分散されていまここでの感覚にぼーっと何となく寄り添うことができたりもする。注意のオンとオフが左右のリズムと共に交代している感じ。オンとオフの間を体験する営み。外もうちの間のもやもや、あわいを感じながら歩くこと。
哲学の道。歩く中で自分の外と内が一体化する。その過程で自分もよりはっきりとしてくる。西田幾太郎。
散歩は世界と私の境界を揺らぎながら歩み、そこに横たわる芳醇な質量を味わう人間関係の営みにもなりうる。
夏目漱石の道草。英文学を大学で教え、小説を執筆する私のやりたい人生の歩みを邪魔する家族親戚のしがらみや自分の過去の苦い思い出を道草として文章にした。今の自分のも道草か?その道草、ゆらぎに心が動く。
歩くことはそのリズム感覚を手がかりに間にある混乱に手綱をつけ世界との関係を穏やかに回復させる営みと言っても良いのでは。
この世界と私のテンポのズレは必ず起きる。それを感じられる感性がある。そのあわいを認めて自分のペースで散歩してほしい。あわいやどっちつかずな中途半端な境界にいて、世界と私の間を行ったり来たりするのが意義深い。夏目漱石の道草。
効率的で無駄をしないのが大事という現代教育が私たちに強烈に植え付けたメッセージ。それは受け入れるしかないのか。そういう世界もあるということで。でも、息が詰まるよ。その二つの世界を行ったり来たりする。
主体的であるためには主体的であろうとする力みからまず離れて流れに身を任せて動く、そのような体験が大事になる場合もある。散歩のように世界と私のテンポのズレを調律する営み。散歩して自分の中のリズム感覚を活性化する。
情報過剰な社会の中で生きることは受け入れた上で、自分の心や身体にどのように余白をつくり夢見るような時間空間を確保し、情報過剰なせかいとそこから離れた私のあいだを行ったり来たりする。その間の、振り子の質量を味わう感覚が重要と思います。どちらの世界にも足をおいて、その境界を歩んでいく。人類誕生以来の本質的な営み。
余裕と余白を奪われない。そのどちらの世界も感じながら生きる。気分転換。道草。