精神分析は毎日分析と言われるように頻度が高い。明日も明後日も会う。昨日も会った。一昨日も会った。そうして日々、会って、話して、少しずつあなたについての理解が積み上がっていく。
本書は、その精神分析を創始したフロイトの物語であり、フロイトの灯りを照らした人たちの物語でもある。
ーおわりに より
フロイトの生涯と、フロイトが関わってきた人たち、そしてヒステリーについて研究するうちに精神分析を創始したフロイトの、提唱する数々の理論の中で、特にトラウマに関する誘惑理論とエディプスコンプレックスなどを、詳しくわかりやすく論じている。
誘惑理論の放棄は精神分析における歴史的転換であり、それについての思索を本書ではまとめたとある。
少々乱暴に要約すると、男性にも起きるが、女性が患者に多い当時のヒステリーについて、なぜヒステリーが起きるのか症例を通して検討した末に、思春期以前に大人から性的な誘惑を受けたことがトラウマになり症状が起きると考えたのが誘惑理論。
しかし、どこまでを性的誘惑ととるか、性的な行為のどこまでが愛情で暴力なのか、など様々な問題が噴出し、次第にフロイトはこの理論を放棄した(というより整理された)。
そして自身の父親の死に対する衝撃と自己分析のなかで、エディプスコンプレックスという、今日の精神分析の中心となる理論を築くにいたった。
そのエディプスコンプレックスについても、クラインをはじめ、様々な精神分析家らが議論し、様々な理論を提唱し、精神分析は発展してきた。
誘惑理論とエディプスコンプレックスでは、性的願望の所在が逆転しているという問題もある。
誘惑理論の放棄からエディプスコンプレックスの提唱にいたり、その問題点が浮き彫りにした女性とマゾヒズム(ここでは主に受動性)のつながりが話題に出される。そしてら同一化とマゾヒズム、ケアの関係についての問題が明らかになる。
ケアを提供するものは同一化を通してケアの受け手の一部になる。そこにマゾヒズムという概念を当てはめると、ケアを求めていたのは誰か、救われたのは誰なのかという問題が消え失せ、まるでケアを提供する側が望んで行っているかのように見えてしまう。
著者はケアの提供者の苦しみについて、提供する側に改善を求めてきたことに対して問題提起をしている。
本書は、「はじめに」や「おわりに」にあるように、フロイトの物語であり、フロイトの灯りを照らした人たちの物語でもある。
そして、症例として挙げられた患者である女性たちの人生、フロイトと交信のあった・フロイトを影に日向に支え続けた女性たち、女性精神分析家たちの人生や理論が、今もなお女性としてのあり方について苦しみながら考える人たちの胸の灯となるようだと、読みながら感じた。