第1章から第5章までは経済理論史、経済成長の概念、高度経済成長期以降の整理、プラネタリー・バウンダリーの解説、とコンパクトにまとめており、著者の頭脳明晰さがうかがえる。第6章から本書の主題である、脱成長の基本構造、脱成長株式市場論、脱成長貨幣論と続くが、こちらは現状認識、脱成長への具体策ともに空論であり、「マルクス経済学から出発して、「脱成長の経済学」を模索する」という試みは破綻しているように思う。
第7章で展開している脱成長株式市場論では、著者は株価の理論値を説明したうえで、株価の基準にはならず、株価は需給のみで決まるとしている。しかしながら、著者の提示するモデルによる株価の理論値は一つの考え方であり、ほかにも有力な考え方は複数存在する。前提が間違っていると理論は破綻するが、著者のモデルはかなり特異なものであるし、著者が主張するように株価は需給のみによって決まるものでもない。そしてESGインテグレーションを更に進める形で脱成長インテグレーションを提唱するが、それでも株価は暴落しないと主張する根拠は理解できない。
第8章の脱成長貨幣論についても同様に現状認識のずれが続く。著者は日銀のバランスシートから貨幣価値は国債に由来すると説明している。しかしながら、日銀が資産サイドに国債を大量に保有しているのはオペレーションの結果であり、貨幣発行のためではない。結論としては財政民主主義を主張しており、これ自体はおかしな話ではないが、基本的な金融理論で極論を主張すると議論の信ぴょう性が疑われる。
最終的な結論は「利他」ということなので、それ自体も異論はないが、株式市場と金融市場への中途半端な理解は残念であり、マルクス経済学でなくても同様の結論に達することは可能と思う。
【目次】
はじめに
第一章 経済学の歴史――経済成長はいかにとらえられてきたか
経済学とはいかなる学問か/近代以前の経済とその変質/ポリティカル・エコノミーの成立/労働の学としてのポリティカル・エコノミー/古典派経済学にとっての「経済成長」/資本蓄積としての経済成長/マクロ経済学の成立
第二章 脱成長とは何か――経済成長概念の限界
経済成長の測り方/家事労働をどう考えるか―経済成長概念の限界①/国民経済という単位―経済成長概念の限界②/脱成長かGNDか/「反成長」でも「ゼロ成長」でもなく、脱成長を/脱成長の経済学としてのマルクス経済学
第三章 高度経済成長の条件――資本・労働・環境
経済成長の三つの条件/日本の高度経済成長/高度経済成長の影としての公害/日本におけるマルクス受容/マルクス経済学の帝国主義論/公害の政治経済学/エントロピーの経済学
第四章 低成長の時代――帝国主義的世界像の瓦解
ニクソンショックとオイルショック/帝国主義のあだ花としての「ジャパン・アズ・ナンバーワン」/情報化と金融化/グローバリゼーション/惑星規模の環境問題/公害の政治経済学の先へ
第五章 惑星の限界――プラネタリー・バウンダリー下での再生産
待ったなしの環境問題―プラネタリー・バウンダリーという考え方/再生産の考え方/再生産の拡大/資源制約と廃棄制約/資源制約が成長を押しとどめる?/廃棄制約は徐々に姿を現す/スループットと廃棄物処理過程を備えた再生産/プラネタリー・レベルの再生産/脱成長の必要性
第六章 脱成長論の基本構造
成長なくして利潤なし?―略奪による蓄積と利潤による蓄積/イノベーションは利潤の源泉ではない/労働力の搾取―労働者は企業に何を売り渡しているのか/「マルクスの基本定理」/二つの脱成長―利潤の追求と成長は別物/脱成長コミュニズム/脱成長市場経済―利潤の使い道をどうするか/脱成長へのルート/フローの社会化と商品の社会化
第七章 企業の価値を問いなおす――脱成長株式市場論
脱成長と株式市場は両立しうるか/株式とは何か/出資と貸付はどう違うか/創業者利得/割引現在価値/株価の理論値/株価はどうやって決まるのか/株式市場のルール/ESGインテグレーション―非財務情報を株価に反映する/成長にはコストがかかる/脱成長インテグレーション
第八章 貨幣の価値を問いなおす――脱成長貨幣論
貨幣の価値はどこからくるのか/貨幣の価値は貨幣の量で決まる?―貨幣数量説/貨幣の価値は国が決める?―表券貨幣説/貨幣の価値は商品の価値に由来する―商品貨幣説/国債に頼る貨幣発行/国債にはなぜ価値があるのか/国はどこまで借金できるのか―国債の上限/金融商品としての国債/経済成長と貨幣価値を切り離す/脱成長貨幣論と財政民主主義
第九章 資本主義の先へ――成熟した社会と脱成長
資本主義の爛熟と社会の成熟/資本主義と利他/利他としての人口問題/実は何も期待されていない経済成長/略奪による蓄積と脱成長市場経済との間で揺れ動く資本主義/脱成長市場経済という橋頭堡
参考文献/あとがき