桐野作人のレビュー一覧
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弟義弘は有名だが島津家当主義久は余り知られていない。まだ兄弟4人が若い時は祖父、父の悲願三州統一を心を一つにして目指していた。しかし領地が増え戦線が拡大されていくと自分の担当の方面の攻略を優先させてゆく。特に義弘と家久にはその傾向が強く義久は上手くお互いをコントロールする。まさに大将の大将と言う表現...続きを読むPosted by ブクログ
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桐野利秋は、武断派で剣のみに生きた男、特に幕末は人切り半次郎と呼ばれるなど、冷たい暗殺者、というイメージがあったのだが、覆された。藩にスパイとして信用され、また、必ずしも武断一辺倒ではなく、木戸孝允を始めとして藩内外の多くの人士と交わる見識と能力を持った政論家であった。
桐野に関する新たな人物像を提...続きを読むPosted by ブクログ -
本能寺の変関連の諸説の中で、一番説得力を感じる。陰謀論は朝廷にしても足利義昭にしてもイエズス会にしても無理がある。主犯なら変後の対応がまず過ぎる。シンプルに明智光秀単独犯。重臣斎藤利三と長宗我部氏の関係の深さと信長の四国政策の転換、明智と稲葉氏との斎藤と那波の帰属を巡る確執に原因を求める桐野氏の論は...続きを読むPosted by ブクログ
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[誤記訂正]
P102 3行目 「白川口」→「白河口」
P228 2行目 「義久が立腹して義久を厳しくたしなめた」
→「義久が立腹して義弘を厳しくたしなめた」Posted by ブクログ -
本作の義久は、「人として」或いは「リーダーとして」の“道”を説く祖父、日新斎の教えと、日新斎が彼に託した「三州統一」という悲願を胸に成長して悲願を達成するが、動乱の時代の中で波乱に満ちた人生を送る。それぞれに個性的な弟達もなかなかに味わいが在る…読みながら「格好の“大河ドラマ”ネタだ…」等とも思った...続きを読むPosted by ブクログ
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上杉景勝は伊達、最上という後顧の憂いを絶ってから関東に攻めるつもりだったとされる。「兼続は義光に大打撃を与えて政宗を孤立させたうえで、関東表への出陣を策していたのではないだろうか」(155頁)。当然の戦略である。これまで景勝や兼続の思いを難しく考えすぎていたかもしれない。
西軍最強とされた宇喜多秀家...続きを読むPosted by ブクログ -
関ヶ原の合戦前後の島津家について。
関ヶ原の敗戦の将達の話は珍しくないですが、関ヶ原から逃げ切って、薩摩までの道中の話は初めて知りました。
三成と義弘の関係や家康と義弘の関係もまた、以外に良好なものだったのですね。
それ以上に義弘と義久の家中の複雑な関係が次期藩主の決定に深く関わっていたとのこと。
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人斬り半次郎の真実に真っ向から向かう作者
は名字こそ同じ桐野作人(幕末・九州担当作家w)
※本能寺の変についての著作で名をあげた
タイトル通り、他藩に潜入する腕扱きの工作員
(西郷隆盛も他藩・幕府の人間を扇動する工作員)
多くの人と話ができるのは勤王の志士同様に時代
が産みだした才能ではないか?
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(書いたのに消えた)
先の二作は未見だが、朝廷黒幕説だったのが、単独説になったようだ。
胆的に言えば不満怨恨説
・四国政策変更
・斉藤利三自害命令(取り消したが)Posted by ブクログ -
「ときは今天が下しる五月哉」。三日前にそう詠んだ光秀だが、いまだこのとき、謀叛を決断していなかったことが新発見の書状で明らかになった。そんな光秀を追いつめた張本人はいったいだれ!?足利将軍か、朝廷か、はたまたバテレンか。黒幕説飛び交うその裏で、一人の男の影が浮上した。斎藤利三。他家を出奔し明智家家老...続きを読むPosted by ブクログ
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関ケ原での西軍の敗戦。
島津義弘率いる軍勢は、いかにして敵中突破し、薩摩へ帰還したか。
かの島津退き口を、多数の史料から解き明かしていく。
その壮絶な十九日間!
敵は東軍だけでなく、飢え、村人が襲い掛かってくる。
大坂城から親族の女性たちの奪還、海上での戦闘・・・危機連発!
島津家内での事情、家来た...続きを読むPosted by ブクログ -
島津と言えば「義弘」の方が有名なのかもしれませんが、当主はコチラでございます(義弘が義久の次の当主説もあり)。
とにかく長男は「義久」、次男が「義弘」です。
で、島津4兄弟、名将・猛将ぞろいで4兄弟の元、九州統一したと思い込んでいたのですが、4兄弟が団結しての統一という訳ではなかったんですね。
まぁ...続きを読むPosted by ブクログ -
「軍事カリスマ」という縦糸を通すことで、かなり長い文章でありながら読みやすい構成になっている。
ただし、筆者も言う通り、時代ごとに割かれる分量に大幅な偏りがあり、しかもそれが最も古い時代に重心が置かれていることがやや残念。天下統一事業に乗り出してからの軍事政策などの記述がもうすこしあれば良かった。...続きを読むPosted by ブクログ -
所在 :展示架
請求記号:210.48/Ki54
資料ID :11400411
選書担当:豊田
後に夏の陣と並び戦国時代最大の戦いとされる「関ヶ原の合戦」。例の武将さえいなければ西軍は勝てたと言われていますが、この本を読んだあとは、それすら定かではありません。どちらも圧倒的な力をもっていたわけで...続きを読むPosted by ブクログ -
豊臣秀吉死去から関が原の戦いまでを丹念につづった一冊。
今まで何となく徳川家康と石田光成の人望の統率力の差、そして小早川秀秋の裏切りによって決したと思ってたのが覆された。
実際は双方共にミスを重ね、結果として東軍の薄氷の勝利であったということがよくわかった。Posted by ブクログ -
非常に分厚く、かつとにかく登場人物と見慣れない地名が多いので、読むのに苦労するが、しかしその苦労の見返りとして、有名なようでいて、あまりどのような人物か明らかではない島津義久の考え方、行動原理、島津家の統治方法等を深く理解できた。
「島津家久と島津豊久」では、島津の血の掟に従い弟と家老を暗殺する厳...続きを読むPosted by ブクログ -
島津家文書等の一級史料に基づく「退き口」の決定版。
戦場を離脱した島津軍のその後の運命は。生き残った
兵士の手記で綴る迫真の戦国ドキュメント。
本書を読むと、関ヶ原前夜から戦後の撤退行までの流れ
が良くわかる。家康と懇意にしていた島津義弘がなぜ西
軍についたのか、島津家家中の事情により、...続きを読むPosted by ブクログ