デクスター・フォードのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ホロコーストでは600万もの犠牲者が出たとされる。他に“社会不適合者”の安楽死断種もあった。「二度と起こさないために全てを記録しておかないとならない」
第一次大戦に彼の父も愛国心で勇敢に戦ったが、「ユダヤ人が裏切られて負けたのだ」キャンペーンには無価値だった。公職追放、商店ボイコット、自転車禁止、ダビデの星表示強制、小さな抵抗に「クリスタルの夜」全土で打ち壊し暴行→ヒトラーは「全責任は私にある」と声明してかえって名を揚げた。
まず目につかない場所に移住させ(彼等の家族はポーランド)後日絶滅収容所に集団連行。家畜のように識別入れ墨して。ポーランドのユダヤ人のなかで彼はドイツ語ができたから選別で生き残れた。軍用馬育成係に徴用されたが任務は過酷だった。彼等の前の飼育員は?(おそらく最終処分)
彼等は知らなかったがノルマンディ上陸作戦成功以降、連合軍が迫っていて証拠隠滅が企てられ数千人のうち、生き残れたのは数十人。初期の収容所解放では、飢餓者にいきなり好きなだけ食べさせて急死が多かった… -
Posted by ブクログ
ケルンで両親と平穏な日々を過ごしていた著者は、1941年12歳の時にゲットーへと移送される。父親は過酷な労働で命を落とす。その後、母親と移送されたアウシュビッツで、母親はガス室へ送られ一人取り残される。いくつかの収容所を移送されながらも、少年なりの知恵を働かせ連合軍による解放の日まで生き延びる。その後、米国にいたおじ夫婦の養子となり米国で検眼士となり、2019年に90歳で亡くなった。
二度と戻らないと誓ったドイツ・ケルンに、ケルンからゲットーへ移送された数少ない生存者として70周年の式典に参加する。その式典で、現代を生きるドイツ人が祖先の行なった蛮行を知り許してはならないことは大事だが「祖先の罪を、その息子や娘たちが背負うべきではない」とスピーチしたことに感動した。