氏のYouTubeチャンネルは、シュールで現実離れした世界観を舞台に現実の痛いところを突いたようなシニカルな作風と捉えているが、氏のエッセイもどこかシュールでありながら共感を呼ぶような現実の痛い部分を突いてきている。アリの巣からダムが出来るかのように少しの共感から誘おうとしてくる文章が怖いし、どこまでが真実か不明。
「サラブレッド研究会」って発想が面白いし、何よりこういうことがしたいんだって部分よりもまだ誰もやっていないことをやる勇気の話にシフトしてるのが面白い。実現したらどんなカオスなクラブになっていたのか…。
「街で楽しそうにするのが怖い」は気にしすぎな気もするが分からなくもない。ところ構わず声量に変化がなく、静かな場所でもボリューミーな声量で話す人に気まずくなってしまうのは共感できる。「一人でいる方が楽」な人と「一人でいると死んでしまう」人がいるのは納得。というより、両方が良い塩梅であるのが理想。
「共感できない」は共感できる。共感する心が、自分の感情を相手を傷付けない最良の方法で表現することが出来るかという恐怖心に変わっているのは確かにそう。むしろ、感情を出すのに客観性というパスワードと社会性というフィルターが必要で、それを通した上で発露させなければ利己的であるとか空気が読めないだとかバッシングされる恐怖があり、手放しで喜べたもんじゃない。自由な感情で生きて割を食って社会人になった時分、前述の理由で、社会の中で感情に手綱を引いて生きていかなければ自分が不安になってしまう。と思いきや、ラストで以上に神経過敏になり過ぎてこちら側をさらに"向こう側"に誘おうとしてくるのが怖い。
「イデアの美」、平沢進も「人それぞれという」言葉を嫌っており、同様に思考停止を理由に述べていた。
「好きな食べ物、嫌いな食べ物」自体は共感できないが、みなが口に出さずに共有している"普通はそれを対象としない"という感覚が信頼出来ないのはなんとなく頷ける。
ラスト「五分目悟の誕生」では、老後の楽しみとして絵を描くこと・上手くなることを保留していたが、コロナ禍の影響で前倒しで絵の練習を兼ねてアニメーション作成を開始(これが五分目悟の誕生)というストーリー。