1945年8月6日、原爆が落ちた広島で瓦礫の下敷きになったサーローさんがそばにいた兵士にかけられた言葉が書題になっている。そしてそれが、なんと彼女が人生を賭して行動する反核・非核・無核兵器活動の歩みと沿うことか。
といいながらも、ICANのノーベル平和賞受賞が機になるまで、サーローさんを知らなかった
...続きを読む。その意味ではどういう人物なのかも知らなかったので、本書で生い立ちからずっと活動を知ることができたのはよかった。終戦直後に大学に進み、1950年代に留学するのだからちょっと特殊な、言い換えれば恵まれた環境だった人なのだろうけど、確かに書中でも親戚のあの人が……という感じで身の回りに一門の人、著名な人が多い感じ。その一方で、両親は一時期アメリカに移民していたとのことで、海外に出るなど進取を妨げない育て方をされたのだろうとも思う。
反核の活動にどっぷりつかってきたというよりは、子育てしたりソーシャルワーカーとして働く一方で、ライフワークとしてずっと切れ目なく取り組んできた人という感じ。その原動力は、そもそもが被爆者ということなのだろうけど、別の観点による原動力は「怒り」なのだろう。私は義憤を除けば、あまり怒らず(怒ろうとせず)生きているのだけど、サーローさんにせよ、真摯に活動している人の底に怒りがあることはわりと多い気がする。立派な志や崇高な利他心でなく、あるいは共存しながら「怒り」って重要な要素ということか。
怒りの矛先は日本にも向かう。特に「世界で唯一の被爆国」であり、それを宣伝文句のようにしながらも、核兵器禁止条約に否定的な政府をかなり非難している。日本人がノーベル賞を取るたび大騒ぎのこの国が、サーローさんのときはそれほどでもなかった気がしたのだが、それは日本の立場に否定的なところが影響しているかもと勘ぐってしまう。
米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏に対しても、それ自体は評価しながらもメッセージの内容や核ボタンを広島に持ち込んだことは徹底的に批判する。
サーローさんが目指すのは、減核ではなく核兵器廃絶だ。戦略的であるべきだけど妥協してはいけない。強烈な体験を背景に、人生のなかで積み重ねてきた行動に裏打ちされた強い信念が伝わってくる本だった。