香月孝史のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
昨今、熱狂の渦の中心とも、批判の対象ともなることも言及されることが多くなった「アイドル」。アイドルについてされがちな言説についての交通整理を行い、それぞれの言説をフラットな立ち位置に立たせ、「アイドル」(特に女性アイドル)の現状を冷静に見ることができるようになれる本。
「アイドルの歴史はこうだった」とか「アイドルはこういう解釈だ」「アイドルとはこういうものだ」という本や文章は多いけれども、それらの言説を整理するという意味では、この本はアイドルについての論壇の中で非常にレアであり、かつ重要な位置づけができるはず。
ただ、香月さんのように非常に丁寧な交通整理をもってしても、いやむしろ丁寧な手法だからこそ、「「アイドル」自体が日本社会のなかで、一見非常にわかりやすそうで、実際にはものすごくつかみどころがない言葉なのだ。アイドルについて語るとき、我々はアイドルは何なのか、あまりにわかっていない」(あとがきより)ことが明示されるというジレンマを改めて実感することができた。
個人的には昨年のさわやかさんの『AKB商法とは何だったのか』と双璧のアイドルについての批評本なんじゃないかと思っている。 -
Posted by ブクログ
「『アイドル』自体が日本の社会のなかで、一見非常にわかりやすそうで、実際にはものすごくつかみどころがない言葉なのだ。アイドルについて語るとき、我々はアイドルとは何なのか、あまりわかっていない。」(「あとがき」より)
アイドルと言われてそれぞれの人が頭に思い浮かべるイメージは大きく異なり、こうした認識の食い違いがアイドルに関する議論をややこしくしている。本書は女性アイドルを対象に、「アイドル」という言葉が意味するもの、アイドルの歴史とアイドル観の変遷、アイドルの音楽的特徴、SNS時代のアイドルとファンのコミュニケーションなどを眺めることによって、「アイドル」という言葉のわかりにくさを整理する。 -
Posted by ブクログ
推しのアイドルがよく「一緒にアツいライブをつくろう」と言う。
わたし自身、この言葉に対して「一緒につくる」とはどういうことなのだろう、と疑問に感じていました。ヲタ芸をすればいいのか?ペンライトを振ればいいのか?モッシュ?リフト?コール?何をもって「一緒にライブをつくった」と言えるのかがよく分からないまま、これまでライブを楽しんできました。
8章では、この疑問に対して一つの解を与えてくれたように感じています。
観客と演者がいて成り立つエンターテインメントを享受する際には、演者側の「焼き尽くす」覚悟に乗っかるかたちで、観客側にも何かしらの意味でそれを見て燃え尽きるぐらいの「覚悟」が必要とされているのかもしれない。演者と観客がそれぞれの立場で、覚悟をもって真剣にぶつかり合うこと。それが、演者の「キラめき」を観客が支え、生み出す際の条件の一つなのではないだろうか。(P196)
「焼き尽くす」という言葉が、何かを燃料にして燃え尽きることを前提としているのだとすれば、普通の青春や恋愛、他のアイドル、さらには観客さえも燃料にして「キラめく」アイドルに対して、わたしたちにできることは、よい観客であることだけなのではないでしょうか。彼女の放つ圧倒的な「キラめき」を目の前にして「一緒にライブをつくろう」と意識すること自体が、むしろ雑念なのかもしれない。一生懸命に彼女を応援し、全力でライブを楽しむこと。それこそが、わたしにとっての「一緒にライブをつくる」ことなのだと感じました。 -
Posted by ブクログ
現代の日本においてさまざまな人びとによって語られる「アイドル」ですが、著者はそれらの言説は錯綜しており、アイドル・ファンや批評家たちにとってもわかりにくくなってしまっているといいます。本書は、そうした錯綜するアイドルにまつわる言説を解きほぐし、交通整理を試みた本です。
著者はまず、「アイドル」ということばがどのように理解されてきたのかを明らかにします。そのうえで、「アイドル」についての一定の理解が成立するに至ると、そうした「アイドル」へのメタ言及的な批評性をそなえたアイドルたちが登場するようになります。秋元康が作詞を担当した小泉今日子の「なんてったってアイドル」はその典型であり、やはり秋元がプロデューサーを務め素人性を前面に押し出した「おニャン子クラブ」によってそうした「アイドル」現象の享受形態は定着しました。
他方で著者は、そうしたメタ・レヴェルの「アイドル」をめぐる言説においては、アイドルである少女たち自身の「自主性」のようなものが抜け落ちていたと指摘します。そして、現代の日本において「アイドルらしさ」が一つのフォーマットとなっており、それぞれのアイドルはその形式を「乗りこなす」ことで、みずからの「自主性」のようなものをかたちづくっていると論じています。
著者がはっきりとそのように語っているわけではないのですが、いわば「アイドル」という語りの「形式化」の果てに「強度」を見いだし享受するというしかたで「アイドル」という現象を理解しているとまとめることができるように思いました。また、サブカルチャー批評において『うる星やつら』の「ビューティフル・ドリーマー」からセカイ系への展開を論じた東浩紀に対して、ゼロ年代におけるサヴァイヴ系の興隆の意義を説くとともにAKB48の魅力を語った宇野常寛の仕事の果たした役割を明瞭に見てとることができるような視座が、本書において与えられているといえるのではないかと思います。