ピエール・バイヤールのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
これ、近所の本屋さんで特集されてた中にあった。なんの特集かはもう覚えてないが、自称本読みなら気にならない人はいないのでは?
見つけた時は「罪と罰を読まない」みたいな抱腹本かと思ったがそうじゃなかった。
読書というものに対するイメージは万国共通なんだけどそれを払拭して、本について読書について自由にそしてぶっ飛んで語られていた。
抽象的な箇所も結構頻発するので、字を追うだけで全然入ってこない所も多かった。でも、読書というのは超個人的な体験であるので解釈はその瞬間から人によって四方八方に拡散していくものなのだと妙に納得してしまった。
そう思うと、国語の試験とかでよくある設問に、「下線①で彼が何故○○したのかを述べよ」的な問題は全く意味がないような気がして笑った。本の解釈とは、誤解を遅れず言うなら個人の主観的な解釈で創造していいのだみたいな感じ。
全般的に本なぞ読まんでも良いと仰るが、作者はやっぱり相当な数の本は読まれていると思う。ハムレットとか薔薇の名前とか数々の著明な本についてあらすじが書かれているのだが、これが大層面白くて読んでみたいと思わせられた(私は読んでいない)。が次の瞬間、完全なるネタバレも続くのが笑った。
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Posted by ブクログ
ネタバレ書物至上主義を当たり前に受け入れてしまっていた自分に気づき、本を読むことの「正しさ」ではなく「多様さ」を考えさせられるなかなか興味深い本だった。何より、淡々と真面目に論じていることが面白い。
私たちはいつからか
1. 本は読まないより読んだ方がいい
2. 本を読むとは、最初から最後まで読むことであり一部しか読んでいないのは読んだことにはならない
3. 本について語るにはその本を読んでいないといけない
という規範を勝手に受け入れてしまっている。
著者はそれを一旦脇に置いて、それぞれの規範はそんなに大切じゃないことを論じていた。
なんなら、本を読むことはむしろ自由を妨げ、創造することを阻害する営みですらあるという。
暴論とも思しき箇所もありつつ、この本の中に散りばめられた巧妙な仕掛けにやられるという、なんとも悔しい本。
「読み終わる」頃には本を読むことのイメージが瓦解し、次の本を読むハードルが下がっていた。
こうしてこの本もまた通読してしまったわけであるけれども。
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Posted by ブクログ
著者は「読んでいない状態」および「読んでいない本について堂々と語る方法」について展開し、読んでいない本について語るという複雑な状況に対するテクニックを私たちに教授してくれるわけだが、そこで重要なのは「自分自身について語ること」だと言う。本について語るのではなく、本を接触点として作品と距離を置く。そして、自分自身について語ることで、創造的な活動が可能になるという。
「読んでいない本について語ることが正真正銘の創造活動であり、そこでは他の諸芸術の場合と同じレベルの対応が要求されることは明らかである。」とピエール・バイヤールは記しているが、その創造の起点がたとえ読んでいないとしても「本」である以上、もし仮にそれが「創造活動」であったとしても、そこには作者に対するリスペクトがあってほしい。
なので、私はやはり読んでいない本について堂々と語ることはないような気がする。読書に夢中になり、想像力を膨らませながらその世界に没頭し、自分の知らない世界のことを疑似的に体験したり、学んだりしたい。そしてその本に心を動かされてどうしようもないときにはじめて、語ってしまうものでありたい。 -
Posted by ブクログ
タイトルに釣られてしまいましたが、あまり読書をしない方や本を読むことに高いハードルを感じている方にはお薦めの一冊です。
また、読書バカになり、目的もなく読み漁ってしまう自分自身にも教訓として読み返したくなる本でした。
「読書の程度」は、人それぞれで異なり、「読んだ」「内容が理解できた」と決定するのは自分自身であるいう主張は最もであり、現代では本の要約や感想をこのようなサイトを通じて情報として得ることも容易に出来てしまうため、情報として取り入れるだけであれば、読まなくてもこと足りる。自分よりも多くの知識や深い理解で感想や意見を述べられている方も多いので、興味を惹かれる本があればその感想や要約を見れば、もはや読むよりもはるかに情報の吸収率は高いように思われます。
ただし、これはインプットの段階でどれだけの量や質を得られるかということであり、堂々と語る(アウトプット)するには、このインプットを右から左にそのままアウトプットだけでは不十分で、寧ろインプットを最大限にしてしまうと感想や意見、解釈がその情報に引っ張られた物となってしまい、堂々と語れたとしても面白味もなく、誰かが言いそうな感想や解釈程度しかアウトプットすることが出来ないのではないかと思います。一冊の本に対して想像力を巡らせて自由闊達に語ることで、自己も反復してより内容への理解を深めたり、知識を実生活に役立てられる武器に出来るようにも思います。
しかし、全体を見晴らし、想像力を豊かに考えを巡らせることで「堂々」と語ることが出来るは、やはり厖大な知識と読書の賜物であるようにも思います。
前提として、読んでいない本=全くもって情報がない物ではありません。
知らない言語で書かれた翻訳もされていない本を渡され「この本について語ってみて」と頼まれて、すぐに語れるという魔法のような方法を教えてくれる本ではありませんでした。寧ろ、蓄積された情報や対象となる本の前後に配架されている本を見極める洞察力が必要であること。そして、「全体を見晴らす」ための明確な目的が最も必要とされており、本のタイトルにある「堂々と語る」ことを目的とするならば、最低限の教養や論理的な思考がないと不可能であると思われました。
著者は読書をほどんどしないと語っていますが、これも程度の問題であり、おそらく活字から情報を得る機会は一般の人よりも多いと考えれます。
魔法のような本だと思い、購入してしまいましたが、そのような目から鱗のハウツー本ではなく、読書に関する考え方などが論理的に著名な作品を例示しながら述べれらている硬めの書物でした。<流>〇 -
Posted by ブクログ
著者が大学の文学の教授とのことで、本書は主に読んだことがない文学・小説に焦点を当てて論じる構成だった。
書物を教養として考えるのなら、各書物の個別具体的な内容を知るよりも、その書物がどんな影響を受けて書かれ、どんな影響を周囲に及ぼしたのか、など、文学界での位置づけを理解するほうが重要とのこと。
実際、著者は読んだことがある本・ない本の両方を、本書で論じる上で使っており、なるほど読んでいなくてもこんなに文章を書けるものなんだなと感心した。
ところで本書の面白いところは、読書はしなくていい・流し読みでも大丈夫、と言いながらも、著者が言いたいことを理解しようと思ったらじっくり読まないといけないところにあると思う。難しかった。
3つの気づき
・「読んでいない」にも種類がある(完全未読、流し読みした、読んだけど忘れた、等)
・同じ本を読んだ同士で、必ずしも会話が成り立つわけではない
・本の批評はもう創作になりえる