分かりやすく書かれている、けれど、飲み込もうとすると、咀嚼に意外と「時間」を要する。
「読んだその瞬間に、『わかる』は来ない。読んだことが熾火となって残り、忘れた頃、別の経験に吹かれて『そういうことか』と燃え上がる」
あとがきに表された、この一文が本当にそうだと思うし、とても好ましい。
アスペクトとスケール。
序盤に出て来るキーワードが、この本を読み進めるのに大切なポイントとなる。
過去を「完了」したものと捉えがちな思考を、動かしてみること。
自分が経験してきたこと、選んできたことは、未だ何かの只中にあって、息づいている。
そうして、見方のスケールを行き来してみること。
倍率を変えることで、答えが変わってくる、そこに可能性が生まれている。
読みながら、「直観」と「閃き」という言葉について考えていた。
先ほどの「そういうことか」は、ある日、まるで偶発的に生じる。
けれど、その偶発的に思えたエネルギーは、ずっと自分の中に燻っていたものなのだ。
その燻りは、自分の経験と、自分が何を残すかというある種無意識的な判断によって貯められる「記憶」によって、絶えず揺らめいている。
その揺らめきは一定ではない。
きっと、「そういうことか」の瞬間に向けて、一気に収斂していく。
経験し終えた「そういうことか」は、自分の一部になり、過去になる。
その過去を、我々は安易にフローチャートに組み込んでしまう。(作用がある、ということか)
終盤では、「完了」させてしまう作用の、良さ?にも触れられている。
我々にとって、いつ来るか分からない、いつ深刻なダメージを受けるか分からない、いわゆる災害のようなものを「やつ」と呼び、半人格化する。
馴染みの物語として「完了」させてしまうことで、我々は未知に落ち着いて向き合うことができる。
それが、人間の持つ知能に対する、習俗や宗教といった社会の、一つの機能なのだ。
言葉、価値意識、振る舞いなど、生まれた時から社会的な存在として、人間は成長せざるを得ない。
けれど、その「成長」をどう捉えるかという時に、単に時間を数直線上に乗せた、現在として見るだけでない、深まりや動きを意識できるような。
そんな一冊だったように思う。面白かった。