【感想】
凄い。「博物館から鳥が盗まれた」という地味な題材だけで、ここまで面白いミステリーが描けるとは。
17歳でロンドンの王立音楽院にフルート奏者として入学した、音楽のトップエリート。その彼が魅せられた「毛針製作」というコミュニティはまさに見栄と欲望の界隈であり、罪を犯してまで高価な羽を盗む事態
...続きを読むに発展した。
本書が素晴らしい本なのは、こうした一界隈の闇の部分を取り上げつつ、木が枝を張るように話題を各方面に伸ばしていることだ。人々が何故動物の乱獲に熱狂したか、博物館が何故同じ動物の標本を何点も所蔵しているかまで風呂敷を広げながら、各要素を絶妙につなぎ合わせて一本のミステリーを作り上げている。
筆者「しかし、調べれば調べるほど謎は深まり、何としてもその謎を解きたいという私の思いも強まった。私はいつの間にか自らの正義感に導かれるように、羽をめぐる地下世界、毛針作りに熱中するマニアや羽の密売人、頭のいかれた連中や大型動物を狙う狩猟家、元刑事や怪しげな歯医者など、魑魅魍魎が跋扈する世界に入っていった。そこには嘘と脅しがあり、噂と真実が入り交じっていた。(略)その過程で、私は人間の自然界に対する傲慢さのようなものを知った。どれほどの犠牲を払ってでも手に入れたいとする、美への飽くなき欲望についても」
驚くべきは、筆者がこの事件に何も関係していないばかりか、毛針製作を全く知らないただの門外漢だったことだろう。未知の界隈に身一つで潜入し、毛針製作者たちから脅しを受けながらも「正義感に導かれる」まま事件を追っていった行動力は脱帽せざるを得ない。
筆者の行動力とストーリーテリング能力にぐいぐい引き込まれ、あっという間に一冊を読み終えてしまった。是非オススメしたい。
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【まとめ】
1 フライフィッシングと動物たちの乱獲の歴史
剥製や標本の収蔵、モダンファッションの製作のために狩られ、絶滅に追い込まれていく動物たち。進化論ではなく創造論が信じられていた時代においては、動物は人間の興味と欲望を充足するためだけに狩られる存在だった。もちろん、鳥類もその対象だった。
19世紀半ば、新世界において鳥類が乱獲された理由の一つに、フライフィッシングのための毛針作りがあった。
釣りの目標であるサーモンからしてみれば、水中から見えるのは毛色の違いだけであり、質の違いによって釣果に差が出ることはない。しかし、ジョージ・ケルソンを始めとした毛針業界の第一人者たちは、毛針の芸術性を強調した。見かけの美しさと材料の希少性を重視し、毛針は華美さを競い合う路線に入る。一個の毛針を作るために異国の珍しい鳥の羽をふんだんに使い、なかには150種類以上の材料を使うこともあった。釣り人たちは「毛針作りとは単に適当な羽をフックに結べばいいものではなく、もっと深遠ななにかがあるはずだ」と考えるようになっていく。
21世紀になっても毛針に芸術性を求めるコミュニティは健在である。しかし、新世代の毛針愛好家は、ワシントン条約が存在せず、動物保護の意識が薄かった旧世代と比べて不利な立場にあった。
新世代の愛好家も過去と同様の芸術性にこだわったが、実際に制作するには法の壁が立ちはだかる。そこに登場したのがインターネットだ。インターネットは、希少な羽の流通を一時的に増やした。イーベイには、祖母の屋根裏部屋から探し出したヴィクトリア時代の羽帽子が出品された。一九世紀の飾り棚を取引するオンライシオークションサイトでは、自然界の名品珍品が詰まった飾り棚が売りに出され、そこに異国の鳥が含まれていることもあった。
2 希望の星
13歳のエドウィン・リストもヴィクトリア様式の毛針に魅了された人間の一人である。
10歳のときに毛針作りに出会ったエドウィンは、めきめきと製作の腕をあげ、毛針界の希望の星と言われるまでに頭角を表していた。
彼も旧来のサーモンフライ作りを心から愛していたが、どれだけ鍛錬を積もうとも、「本物の」羽をもっていないという事実によって、心が満たされることがなかった。どれだけ練習をくり返し、ヴィクトリアン・フライを作るのに必要な腕を磨いても、所詮は代用品を使って作ったまがいものである。彼は自分の作品に決して満足できなかった。
数枚の羽を買うために何時間も骨の折れる薪割り作業をし、掘り出し物がないかと売却家屋や骨薫品店に無駄足を運び、脱皮した羽を分けてもらおうと動物園に電話し、希少な羽がイーベイで金持ちに買われていくのを横目に見ながら安価な代用品で毛針を作っていく。毛針作りは常に資金との闘いであり、当時学生だったエドウィンには手が出せる限界があった。
エドウィン「毛針作りはただの趣味ではなく、寝ても覚めても頭から離れない一種の病気です…羽の構造を調べ、毛針の設計をし、自分がこうしたいと思うものを正確に表現するために新しい技法を絶えず探しています」
2008年11月5日、エドウィンはトリングにある博物館のバックヤードを訪問し、鳥類の完全な標本の数々を目の当たりにする。何十万点もの鳥の仮剥製の数々は、価値にして数千万ドルはくだらない。この鳥たちが市場に出れば、いったい毛針界にどれほどの革命が起こるのか。そしてこの鳥をもし自分のものにできたら、金のことは一切気にする必要がなくなる。ヴィクトリア様式の毛針を一生分作り、毛針界の歴史に名を残すことができる。
希少な鳥を手に入れたいという欲求は、日に日に彼の中で強まっていく。
そしてトリングを初訪問した日から7ヶ月後の2009年6月11日、彼はついに博物館への侵入を実行したのだ。
彼は16の鳥類種とその亜種に及ぶ299点の仮剥製を盗み出した。
エドウィンはその後1年近くにわたって、イーベイで鳥の仮剥製と羽を売りさばきまくる。しかし、狭い業界で大胆に活動したため、当然足跡は大量につく。博物館に侵入してから507日後、警察に逮捕された。
量刑は12ヶ月の執行猶予だった。医師による「アスペルガー症候群」の診断が情状酌量の余地ありとみなされ、牢屋に送られることは免れたのだった。
盗まれたのは299点。完全な状態で戻ってきた、バラバラになって売られていたが追跡できたなど、ありかが確認できたものはそのうち193点である。
さて、残りの106点はどこに消えたのか?
3 共犯者
この犯罪には共犯者がいたと考えられている。盗んだ鳥の売買を委託されていたゴクーというアカウント。ノルウェーに在住しているロン・グエンというエドウィンの友人だった。
筆者は黒幕のエドウィンにインタビューを敢行する。
エドウィン「私は私のことを泥棒だと思っていません。私がイメージする泥棒というのは、だれかが通るのを道で待ち伏せしてポケットから財布を抜き取り、翌日また別の人からスリを働くような人です。(略)私としては、自分が泥棒だとは思いません……私は泥棒ではありません。たとえて言うなら、誰かが私のところに財布を置いていったんです。私は盗るつもりはなかったけど、たまたまだれの財布を見つけた。もし、中に身分証明書が入っていたら、それなりのところに届け出て、あとでお返しするでしょう」
8時間近くにわたるインタビューを行うも、残りの盗品を保管し続けているという決定的な証拠は得られなかった。
続いて、共犯と考えられていたロンの元を訪れ、話を伺った。
エドウィンは、何も知らないロンを犯罪に引きこんだ。博物館が強盗に気づいてイギリスの警察が捜査を始めたことを知りながら、ロンを盗品販売の代理人に仕立て、売上代金を転送するよう頼んだ。私がデュッセルドルフでエドウィンにインタビューしたときは、正式に捜査の手から逃れて何年も経っていたが、そのときでさえエドウィンは、ロンが自分のことをまだ友人だと思ってくれていることにあぐらをかいていた。
ロンは筆者に、「単純に友人を信じた」と語っている。学生があれほど高価なものを持っていることに疑問を抱かなかった、と。そしてロンはいま、毛針制作より肉食のほうが環境にダメージを与えているのではないかと言っている。毛針マニアたちは、トリングの羽や皮が売られているのではないかと疑ったとしても、すぐにそれを打ち消す。博物館はまともに管理をしていないのだから、盗まれたと言いつつ実は何もなくなっていないのだと考えて、良心の安寧を得ている。自らすすんで犯行を認め、自分のしたことを反省する人間はいないのか?筆者は誰かにそれをしてもらいたいと望んでいた。
ロンが犯罪の片棒を担いだのは間違いないが、彼は同時に、あわれな被害者でもあったのだ。
ロンは葛藤していた。自分は間接的ながら罪を犯したという反省の気持ちと、コミュニティから不当に非難をされるほどのことはしていないという開き直りの気持ち。
だが、ついにその日が来た。筆者に真実を打ち明け始めた。エドウィンの代理で20点の仮剥製を売ったことを認めたのであった。
4 毛針界の闇
国際毛針制作シンポジウムでは、さまざまな毛針を展示しながら、鳥の皮や羽が公然と売買されている。その鳥は明らかに不正取引されているものである。また、インターネットのイーベイでは、南国の珍しい鳥たち――ワシントン条約で売買が禁止されている種でさえも――が高値を付けられている。エドウィンだけでなく、毛針界全体が違法取引の闇の中にある。
死んだ生き物の標本を保存することは、時代を越えて人間性を信頼することなのだ。代々のキュレターたちはこのコレクションが人類全体の知識向上に不可欠であるという信念のもと、害虫、日光、ドイツ軍の爆撃、火事、盗難などから連綿と守ってきた。そして彼らは、現段階ではまだ浮上すらしていない疑問についても、この鳥たちが未来のどこかで答えてくれると知っている。
博物館のキュレターらが標本窃盗の話を共有するようになり、その発生件数が予想外に多いことがわかってくると、筆者はトリングの鳥についてのストーリーに横たわる、二種類の人間性を思わずにいられなかった。
一方には標本を守ろうとしたキュレターたち、そして標本を使ってこの世の謎をひとつまたひとつ解き明かそうとしている科学者たちがいる。こうした人たちは、自然史標本を守り抜くという信念のもと、100年単位の時代を超えてつながっている。まだ見ぬ未来の人ともつながっている。科学の進歩により、同じ古い標本でもそこから新たな知見を得られると信じているからだ。
もう一方には、エドウィンのような人や、羽の不法取引の闇世界にかかわる人たちがいる。それだけではなく、富と地位を求めて自然界を搾取しまくり、他者が所有していないものを所有したいという欲にかられる男女は昔もいまも変わらずいる。
長期的な英知と短期的な私欲がぶつかる戦争で、勝ってきたのはいつも後者のようだった。
トリングから盗まれた仮剥製の残りは、いまだ見つかっていない。