最近は「ウクライナ…」と随分と頻繁に耳目に触れる他方、「ウクライナ??」という様相であることから免れられていないように思っている。そういう意味で、この著者御自身の経験したことも交えた、エッセイ風な読み易い形に纏まった本書は、なかなかに好いと思った。
本書の内容から、著者に関して伝わる。著者は1990
...続きを読む年代にウクライナに魅せられ、その文物の紹介や政治情勢の分析、その他にウクライナが関与する国際協力系統の事案に携わり、加えて大学教員としてロシアや旧ソ連諸国との学生(青年)交流を指導・支援するというような活動も展開しているようである。題名にも在るように、ウクライナに訪問した経過だけで何十回という次元になっていて、彼の地で「日本の学識者…」ということも在って色々な方に御会いする機会も在り、また意気投合して友人関係で交流している例も交っていて「ウクライナに纏わる様々な知見を有する」という意味で、日本国内の“第一人者”に数えられるであろうという方だ。
こんな著者による本書だが、前半に関しては「“ウクライナ”のあらまし」を広く伝えようというような内容と、「ウクライナに縁が深い人達と日本の人達の意外な交流経過」というような内容になっていた。半ば以降が、「(主に1990年代半ば以降の)ウクライナ政治史」を“人物”という切り口を多用して語る内容になっている。加えて、2014年頃から現在に至る“戦禍”を巡る様々な事柄が語られている。
また本書の中には、所謂“北方四島”を訪ねた際の見聞、「ウクライナに関する教育現場での情報提供」のようなモノを偶々視て覚えた“違和感”のようなモノについての言及も在った。これも少し考えさせられる内容だった。(因みに、自身は“北方四島”については全く訪ねたことが無い…)
著者の言によれば「隣の隣の国」ということになるウクライナである。確かに“距離”こそ少し在るが、巨大なロシアが隣で、その隣なのでウクライナは「隣の隣の国」だ。新鮮に聞こえて気に入った表現だ。著者は、その「隣の隣の人達の声」を丹念に拾うとか、「或いは誤解?」を正すという発言を続けているようだ。
「上位2名による決選投票」という方式になる大統領選挙の得票として、「大統領支持」は「7割」にもなるであろう。が、「誰が大統領に相応しい?」というような世論調査で色々と著名な人達の名前が挙がる中で、現職大統領が「2割台」の支持になったとして、「そういうもの…」ではないだろうか?こういう「誤解?」を正すような発言が本書には盛り込まれている。
著者は自身より少し若い。故に「悲しいけれど、これは戦争なのね」という、自身の前後の世代では殊更に有名なアニメに在った台詞を引いていたのは少し惹かれた。著者もウクライナに限らず、ロシアの人達とも交流が在ったが、ウクライナ側の声に寄った発言がロシア側の人に批判される経過も在ったようだ。
考えてみれば現在のウクライナは1991年以降に登場した「若い国」という面が在る。不思議な多様性を内包しながら、「ウクライナの国民」という意識が形作られようとする過程の中に在ったのかもしれない。そういうモノが、色々な意味で揺さぶられて軋んでいたのがこの10年近くの様相だったのかもしれないと個人的には思っている。そして、本書で「ウクライナ側の声」に寄った様々な話しに触れ、観方は大きく外れたモノでもないという思いが強まった。既に1991年以降の経過は「無視してはいけない経過」なのだと思うが、それを「完全無視」というような考え方が一部に見受けられるのではないかということだ。
少し前にロシア政府が「非友好国」たる日本の一部の人達―政治家や学識者等―を名指しし、「ロシア入国拒否」とした話しが在った。ウクライナ政府の要人と面識が在り、ウクライナ側が発信する事に関連する発言を重ねた故か、本書の著者はその「ロシア入国拒否」のリストに入ったそうだ。そして本書の中で、それを残念なこととしていた。
多くの人達が生命の危険に晒されてしまっているような有様は観るに堪えないというようには思うのだが、ウクライナの戦禍は未だ少し長く続きそうな気配だ。そういう中であるからこそ、様々な角度の話題に触れて「考える材料」という程度にするべきだと思う。そうした意味でも本書は有益だった。