和泉悠のレビュー一覧
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よくないもの、と思いながらもなんだかぼんやりとしたまま付き合い続けている「悪口」というものを、冷静ながらフレンドリーな語りで解き明かしていくとても読みやすい本でした。
日々当たり前に生きすぎていて、いくつかの概念が混合しているという指摘に、おおっとなりました。
悪口を言う者と言われる者がいますが、世の中の圧倒的多数の人は、悪口を聞く第三者にあたると思います。
面倒くさがらず(?)いちいち「そんなことを言ったらダメよ」と言うという行為が、同じコミュニティで生きていかなければならない者としての責任ですね。
そういった「悪口」に頼らずに人とコミュニケーションをするためにも、教養というものは持っていたいという一文も素敵で気に入っています。 -
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「『悪い言語』哲学入門」であり「悪い(=あくまで正統的でない、という意味で)『言語哲学入門』」でもある本。
言語哲学については、言語行為論をはじめいくつか目を通したことがあったが、それら、「言語哲学」の中でいくつか出てくる理論(けして奇をてらったものではなく、言語哲学のなかではかなりベーシックなものだ)を総ざらいしつつ、それらの理論が「ヘイトスピーチ」など、現代社会における発言・言語をめぐる問題にいかにインパクトをもたらすかまで論じられており、単純に面白い。「言語を哲学する」という営為が、たしかに、私たちの日常を変え、社会問題を考える際の切り口を提供することを実感させてくれる本。
そして個人的には、言語哲学における固有名論争を理解するさいに、『とってもラッキーマン』の知識が非常に有用だということを示してくださった点が、素晴らしいと思いました。 -
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言葉のもつ表の意味と裏の意味を知った。この分野は語用論という。実際の言葉の形から、ではどういう意味をもつのかを研究する。
京都の人が「えらいいうまい演奏ですなあ」といった場合、それは演奏を誉めているのではなく、うるさいからピアノを引くのをやめろ、という含みをもつ。このように言葉にはその言葉の裏にある「含み」をもつものがある。
自分は正面から言葉の意味を受け取ってしまうタイプである。この本のなかで言葉の表の意味と裏の意味を取り上げている中で、裏の意味がすぐにわからないことが多々あった。
言語行為論
言葉を発するのは純粋な情報伝達手段だけではなく、行為のひとつである。これを言語行為論という。
(1) 掃除は一年担当だよ(先輩が一年生に向かって)
この場合、文の意味は掃除をするのは一年生であるという真理的条件文(真か偽が導ける文)であるが、その含みは「お前が掃除しろよ」である。
この言葉は相手にこういう行動をとれと命令している行為なのだ。
ヘイトスピーチの章で、いわゆる「言葉狩り」を批判している。
差別的な歴史をもつ言葉の使用により共有基盤(両者が了解している前提条件)がアップデートされる。特定の社会集団の序列・ランキングを下げる効果がある。「お前タバコやめたんだ」という言葉にはタバコを吸っていたという前提条件が含まれる。このようにいうことで暗黙のうちに共有基盤がタバコを吸っていたという事実があったとしてアップデートされる。
そういった言葉の使用は憎悪のもとであり使用の禁止を検討すべきである、という。
私は言葉狩りには反対の立場であった。なぜなら言葉というのは、今ここに記している通り、自分の考えを伝えるものであり書き留めていく技術なのである。
その言葉を制限されるのは自分の思考・表現を制限されるようで、かなりの苦痛である。
それを踏まえて言葉狩りには反対の立場であったが、言語行為論を知り発話は行為ならば、集団を傷つける言葉は暴力行為になる。そうならば規制されて当然だろう。 -
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タイトル通り、「悪口とは?」についての一考察の本
一般的に、悪口は「人を傷つける」「悪意を持って発言される」と認識されている事が多いが
それらは悪口の十分条件でも必要条件でもない
「残念ながら不合格です」「私たち別れよう」といった言葉は言われて傷つく人がいるかもしれないが、悪口ではないため、傷つける事が悪口の十分条件ではない
逆に、相手が傷つかなくても悪口になることがある
故に、人を傷つけることは悪口の必要条件でもない。
悪意がなくても悪口を言うことができる
無邪気な子供は、悪意などなくても悪口を言って大人の反応を試す事がある
悪口以上の差別的発言も、言っている本人に悪意がない場合があるが、差別的な発言には変わりない(とされる)
事故で相手に怪我をさせられた人に「よかったねーわざとじゃなかったんだって!」と言う人がいないように、不適切な発言も悪意がなければ罪がなくなるというものではない
「悪気はなかった」は言い訳にならない
この本では、悪口を「人のランクを下げる言葉」と定義している
「誰かと比較して人を劣った存在だと言うこと」
現代社会では、誰もが一番上の立場、最上位のランクを所有していて「誰もが同じ『尊厳』を持っている」という前提として
悪口は、序列を作り出し、誰かを劣った存在として取り扱うから悪いとしている
単なる事実である「記述のランキング」そのものは悪口ではないが、そこに「優劣」という概念を結びつけてランキング化する事で悪口になる
例えば、身長はただの数字だけど、高いほうが良いという価値観を紐づけると、そこを指摘する事が悪口になる
本来、身長そのものに優劣はない
カナダの人類学者リチャード・リーが、1960年代にアフリカ大陸南部に住むサン人を調査した報告内容
集団にはリーダーやボスのような存在はいない
長年狩りをしている人はそれなりに発言に重きを置かれるが、決して他の人より上の立場というものではない
それを自称する存在は「ビッグマン」と呼ばれ忌避される
サン人には狩猟の腕前や持ってきた獲物をバカにする習慣がある
狩りがうまくいった若者を調子に乗せないための方法
満身による被害を防ぐため
悪口のイコライザーとしての役割
立場が上と思っている人間を下に戻す機能
悪口は今後もなくならないし、必要な場合もあるので
悪口と程よく付き合う事が肝要
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日本テレビ系「カズレーザーと学ぶ。」 (2024.5.14) で紹介!
超話題の本から読み解く 現代社会の生き抜き方
――誹謗中傷が年間1億件超え!? 悪口異常社会から家族を守る方法
「○○さんは悩みがなくていいね」「冗談で言っただけだよ」「アホと言う方がアホだ」
「ほんま私頭悪いから」「どうして一生懸命やらないの」「人として下だよね」
「いじってあげてるだけじゃん」「事実を述べて何が悪いんですか」
これらは悪口だろうか? どこが悪いか説明できるだろうか?
悪口はなぜ悪いのかを問われたとき、シンプルに「人を傷つけるから」といった理由が思い浮かぶかもしれない。たしかに子どものころに「そんなこと言われたら傷つくでしょ」といって、悪口をたしなめられたことがあるだろう。ただしそれでは悪口の悪さをうまく説明できていない。たとえば、恋人からの別れのことばで傷ついてしまうかもしれないが、それはもちろん悪口ではない……
□悪口とは何か?
□悪口と軽口や冗談は何が違うのだろうか?
□まっとうな批判とは何が違うのだろうか?
□どうして「タコ」とか「ザコ」とか他の生き物を指すことばで悪口を言うのだろうか?
□どうして悪口を言うのは楽しいのだろうか?
□悪口はなくならないのだろうか?
こうした問いに答え、悪口を通じて人間の本質に迫る。
メディアで紹介
□毎日新聞「話題の本」武田砂鉄さん評(2023.10.7)
□東京新聞(2023.10.21)
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Posted by ブクログ
悪口は悪いもの。
それは誰もが知っている。
でも楽しいものであったりする場合もある。
なかなか一筋縄ではいかないもの。
本書では、それを解きほぐし、たぶんこの先も社会からなくなりはしない悪口とどうつきあうのかを考えていく。
悪口の悪さは、わりとはっきり述べられる。
人には価値の上下はない。
しかし、悪口はそれを言うことで誰かのランクを落とすから悪い、ということであった。
ランキングがたくさん出てきて、ちょっとたじろぐ。
特定の事実や側面を抜き出して序列をつけるのが「記述」のランキング。
それを価値観により序列づけるのが、「優劣」のランキング。
さらに、人物そのものをランク付けする「存在」のランキングがある。
「優劣」のランキングとまぎらわしいが、その人の属性の一部について抜き出して、そこに特定の価値意識によって序列がつけられるなら「優劣」、その人の全人的なものとして序列化するなら「存在」という区分けをしていることのようだ。
ここがわかりにくいのだが、わたしたちがこのあたりをくちゃくちゃにしているために、序列について「絶対ダメ!」になるのか、悪いことはあっても黙認という姿勢に陥ってしまうのかなあ、と思った。
「悪い」悪口と、コミュニケーションの一環として許容される悪口の区分けも、このランクの話に関わっている。
序列をバーチャルな、その場限りのものとして扱うおちょくり、いじりは、相手のランクを下げないので、まあ許容範囲でないかとのこと。
悪口は広くさまざまな社会に見られ、権力を批判する働きもあるため、一概に否定すべきでもないというスタンスであった。
もちろん、本書でも人間の尊厳を損なう悪口は絶対許されないという立場を崩さない。
ただ、「ダメ、絶対!」で止められないのも事実。
風通しよく議論していくのは大切だな、と思った。 -
Posted by ブクログ
私は悪口のたぐいが嫌いなのですが、なんで嫌いなのか、そもそも悪口ってなに?批判とかとどう違うんだ?に興味があり、たまたまPodcastで話が出てきて手に取った。
悪口は相手のランクを下げる、つまり相手を低い場所に落とすことによりその相手が他者から侮られることを誘引するということだった。だから悪口はよろしくない。
しかし、その悪口が有効になる場面がある。それは相手と自分に圧倒的な権力差があり、相手がいかに不当なふるまいをしているかをコミュニティで共有するための悪口は有効であり、するべきであるらしい。
そう考えると私はここのところずっと高市政権の悪口を言いまくっていることになるが、権力者に対する悪口というのは互いに虐げられている側が連帯しやすくなったり、異議申し立てにつながる役割を果たしている。
私は悪口のたぐいは嫌いだ。たまたま自分の機嫌が悪くて相手の言うことややることが気に食わないことなどもあるからである。しかしながら、この不安定な社会情勢については不安定にさせている対象に対しての悪口を言いまくっていきたい -
Posted by ブクログ
ネタバレ読書感想文:悪い言語哲学入門 読書メモ
本書の基本情報と筆者
悪い言語哲学入門は、和泉悠によって書かれたちくま新書です。2022 年 2 月に筑摩書房から刊行され、256 ページ、ISBN は 978-4-480-07455-3、価格 840 円です。和泉悠は 1983 年生まれ、マサチューセッツ大学大学院で PhD を取得し、南山大学人文学部人類文化学科准教授・南山大学言語学研究センター長です。言語哲学と意味論を専門とし、日本語と英語の比較、名詞表現、罵詈雑言・差別語・ヘイトスピーチの仕組みと倫理的帰結を研究しています。
本書の狙いと構成
本書の狙いは、正当な言語哲学が「数学的な美しさ」や「言語とは何か」の理論的探究になりがちで、一般の人には面白みに欠ける点を、「悪」をからめることで克服しようとするものです。哲学の大きなテーマである「善悪」の「悪」を言語哲学に接続し、人間が「悪」に関心を持つ心理を活かして、言語哲学のすそ野を広げます。日常で何気なく使う言葉にも「悪い言葉」が潜んでいるという実感を起点に、どこが悪いか、なぜダメかを哲学と言語学の観点から解き明かします。構成は、第 1 章「悪口とは何か」、第 2 章「悪口の分類」、第 3 章「意味の意味」、第 4 章「指示表現の理論」、第 5 章「言語行為論」、第 6 章「嘘・誤誘導・ブルシット」、第 7 章「総称文」、第 8 章「ヘイトスピーチ」です。
共同体感覚と善悪の構造
読書メモを通じて、本書の核心は「悪口は人の社会的ランクを下げる発言だ」という定義に集約されると考えました。そして、人間には「共同体感覚」が必要で、善悪は「当人が考える共同体にとっての善悪」であるという仮説が立ち上がります。問題は「共同体をどの範囲とするか」で、抽象・具体のどこにおくかで様々な善悪が生まれます。他者と合わせたいなら、世界自体を共有できる包摂半順序則による定義が必要ですが、理論的には可能でも、人間には身体性や 8 つの感情回路の影響を受け、内観・メタ認知の必要性があります。
関西の「アホ」と悪口の判断
本書で言うと、関西の「アホ」は「悪い」に該当しないと言えます。悪口の基準は「社会的ランク低下」で、関西の「アホ」は愛情やユーモアを込めた「愛され言葉」で、相手のランクを下げないどころか、距離を縮める機能を持っています。ただし、関東では「アホ」が「バカ」より強く聞こえる場合があり、「言葉の意味は、発話者と受話者の共同体の文脈で決まる」という主張を、地域差の例で裏付けています。
メンタルの強い浅草さんと受け手の多様性
本書に登場する「メンタルの強い浅草さん」は、悪口を気にせず、むしろ相手のメンタルを心配して相談にのる人物です。これは、「悪口の正体は発信者の問題」を示す対話形式の例えです。ハラスメント問題でも同様に、「受け手の多様性が当たり前」で、「受け手がどう考えるか」が基準になります。過去の移動・通信手段の制限が高く、無礼者が「近くにいられなかった」一方、現在のハードル低下で「簡単に関わる」ようになり、「多様性が増大」し、「配慮が必要」になり、「レイヤ分離を意図的に設計」する必要性が生まれています。
ネットワーク 7 層モデルとコミュニケーション戦略の写し鏡
ネットワークの 7 層モデル(TCP/IP の 4 層実装)は、コミュニケーション構造の「コスト最小化とレイヤ分離」を示しています。下層は共通化・コスト低、上層はアプリケーション依存・多様性対応・コスト高です。「異なるアプリケーションが下の層を共通化しても、メリットよりデメリットが大きい」ので、「言語も上層は文脈依存、下層は共通化」が最適です。これは、「悪口は構造問題」と「現代コミュニケーション戦略」を、ネットワークの層構造で統一的に説明できます。
総評と本書のゴール
本書は、「読み終えると『ことば』への見方が変わるはず」としました。読書メモを通じて得た視点は、「言葉の善悪」を「構造」で捉えることで、まさに本書のゴールに到達しています。共同体感覚・多様性・レイヤ分離・ネットワーク層構造を統合し、言語哲学と技術的・社会学的分析を一つの構造で説明できる、高度な理論的洞察が得られました。悪口は、単なる感情表現ではなく、意味・指示・言語行為・嘘・ヘイトスピーチの複数の理論枠組みで捉え直すべき構造的問題です。この視点が、現代のコミュニケーション戦略の「構造的要因」を明確に捉えています。 -
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私がこの本を手に取った時にまず考えたのは、
自分が言われて嫌だったこと。
「自分が言ってしまったかもしれない悪い言葉」についてはまったく脳内に出てこなかったんですよね
結局のところ、言葉についていろんな本を読むと
考えすぎて何も言えなくなる現象。
↑今まさにここです
愚痴自体がダメなんじゃなくて、慢性的になってしまうことがダメ、という新たな学び。
ついつい、女子会とかで仕事の愚痴になってしまうことが多い。自分で話そうと思ってなかった愚痴も、つられて引きずり出されたりする
おしゃべりにおいて、共感の文化は大事だけど
悪いことばに共感して広がらないようにしたいな
せっかく、お互いの大事な時間を使っているのだから。
でも正論ばっかり言ってても窒息しそう
まだまだ言葉については悩みながら付き合っていくしかないという、現在地を再確認できた本でした -
Posted by ブクログ
なぜ悪口がいけないのか、どこからどこまでが悪口なのかといった「悪口」に関して、言語哲学を専門とする著者が解説している。
「悪口は良くない」「悪口はやめましょう」というような話は、よく言われることであるし自分自身言ったこともあると思う。
けれど、悪口がいけない理由を聞かれたとしたら答えるのは難しいということに、当書を読み始めて気づいた。
おそらく自分も浮かぶであろう「人を傷つけるから良くない」 といった答えは悪口として十分な条件ではないと著者は例を示して丁寧に説明していて、感情論ではない話の展開の仕方に納得感がある。
悪口は「相手のランクを下げる」から良くないという定義づけをすることで、そこを基準に様々な種類の悪口があることを知ることができ、自分が日常生活でモヤモヤした出来事は、悪口に当てはまっていたからなのかもしれない、と腑に落ちた部分もあって良かった。
今回の「悪口」に限らず、社会の常識やモラル、なんとなくの言葉で分かった気になってしまいやすい概念について、なんなんだろう?と立ち止まって問い直すことは大切なことなのだと感じられた。
そうすることによって、新たに見えてくるものもあるように思う。 -
Posted by ブクログ
悪口の仕組みや悪口を言う人の心理を詳らかに解説してくれている。
相手を見下す、自分より劣っているものとして侮蔑することで、相手をコミュニティから排除したり優越感に浸ることができる。
悪口は誰かが止めないと、周りへのラベリングや排除の助長に繋がりかねない。
言われた側が反撃できない、誰も注意する者がいない、となると悪口を言う側がさらにのさばる流れができてしまうため、早い段階で抑制する必要がある。
ただ、なんでもかんでも悪口として括ると、改善が目的の非難や批判まで適切でないものとして扱われてしまう。
これは悪口なのか非難なのかの見極めは不可欠。
悪口は自分より劣っているものを嘲笑って安全地帯から発せられるもの。
非難は自分より立場がある者に対して権力の暴走を抑制するために発せられるもの。 -
Posted by ブクログ
「悪口はどうして悪いのか」「どこからどこまでが悪口なのか」「悪口はどうして面白いのか」の三つの章から悪口という概念の定義や似たものとの比較を試みる一冊。
同筆者の他の本もおすすめされたので読みたいところ。
悪口は人間に対するバーチャルな「デコ」であり、他者が存在することにより成り立つし、その場限りでその「デコ」を外してしまえば深刻にはならない。
本書の結論をごく簡易にまとめるとこのようになるだろうか。
「悪口は強い者を牽制するのにも使える」「悪口をスルーするとそのランク付けがその場に留まって許容されたものとされる」という辺りが印象的だった。
特に後者は、昔の出来事を思い出す。
私が教室に不在の際、いじめっ子が私の持ち物を事故(?)で落とした時に笑って通り過ぎようとしたのを、クラスメイトが「ちゃんと拾わないといけない」と諌めてくれた事があったらしい。その話を聞いた時、私は「そのクラスメイトが諌めたことでこのクラスにおいて私は『そういう扱いをしてはいけない存在』に留まれた」と感じたし、今でもそう思っている。
その感覚は本書の言葉を用いるとクラスでの人間関係におけるランク付けが変動しそうになったのを止められたというふうに描写できるのだろう。