福原顕志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
今では当たり前のスノーボードが、40年前にはスキー場で滑れなかった???
ジェイクが20代前半で作って、スキー場に働きかけてスノボを滑れるようにして、一世代でオリンピック競技にまで発展させたって???
スポーツ界のApple並みのすごさじゃないか!!
あまり彼のことを知らずに読み始めたので、驚きの連続で面白かった。
幼い頃からの家庭環境、バートンが軌道に乗るまでの苦労や葛藤、ジェイクのスノーボードに対する情熱や、家族、社員、スノーボーダーへの愛が非常に伝わってくるエピソード多数。
ジェイクの最後を読んでいる時には、泣いてしまいました。
私も彼みたいに情熱を持って仕事をしたい。
と -
Posted by ブクログ
今では冬季五輪のメジャー競技となったスノーボード。ほんの数十年前には存在さえしていなかったこのスポーツはたった一人の人物の存在によってここまで発展してきました。本書はその人物、ジェイク・バートンの生涯とスノーボードの発展の歴史を辿るノンフィクションです。
バートン氏は1977年、23歳の時に”雪上でサーフィンのように”楽しめる遊びを考案し、スノーボードと命名しました。アメリカのバーモント州にオフィス兼工房を開き、自分で新しい素材や工法でボードを作成し、そして自ら雪上で試すという試行錯誤を繰り返し、完成度を上げて行きました。
当時(1980年代)はスキー全盛期。スキー場ではスノーボード禁止と言わ -
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<目次>
序章 3月13日は「ジェイクの日」
第1章 きっかけは1枚のソリ
第2章 失敗だらけの試作品開発
第3章 甘すぎた販売計画
第4章 出会いと競技で軌道に乗る
第5章 スキーとの愛憎関係
第6章 スター誕生で一気に飛躍
第7章 日本でも火がついたブーム
第8章 人生スノーボード一色
第9章 悲劇
第10章 多様化するライディング
第11章 再び表舞台に
第12章 見えない敵との闘い
第13章 何ひとつ悔いのない人生
<内容>
スノーボードを作り、それをオリンピック種目になるまで成長させた人物の伝記。日本人が書いている。
自分はウインタースポーツをやるわけ -
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ネタバレスノーボードを生んだ男
ジェイク・バートンの一生
著者:福原顕志
発行:2021年11月20日
文藝春秋
ジェイク・バートン・カーペンターが生まれ育ったロングアイランドは、ニューヨーク州では有数のサーフスポット。14歳の時、クリスマスプレゼントとして両親がくれたのは勉強机だった。中流のサラリーマン家庭では、彼が期待していたサーフボードなどもともと望むべくもないものだった。彼は自分の小遣いでその頃に流行っていた「スナーファー」という幅広で短いスキーのような形の板の先端にロープがついただけのソリを買った。スノーとサーファーを掛け合わせてスナーファー。サーフィンのように立って雪の上を滑ることがで -
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北京オリンピックの平野歩夢に熱くなり、その勢いで買った本。
バートンは知っていたが、(ジェイク)バートンさんがスノボそのものを作った人とは知らなかった。
スノボという誰も見たことない体験をスポーツまで昇華させた起業家精神は素晴らしいに尽きる。スキー業界から目の敵にされていたにも関わらず、スキー業界とも付かず離れずの絶妙な距離感でスキーと並ぶウィンタースポーツの二大巨塔にしっかり根付いている。
そんな自分は幼少期から年に数回はスキーをやっていて、国内でのスノボ普及期と重なり徐々に周りがスノボに手を出す中いまいちスノボには馴染めなかった。そこにはなんとなくスキーこそ王道みたいな意識は少なからずあっ -
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小さい頃はスキーが主流でスキー合宿に参加した。センスがなくて、1週間の合宿中リードなしで降りれないくらいセンスがない。加えてリフト乗ってる間になぜかスキー板が外れるアクシデントがあり、ウィンタースポーツがトラウマになりかけた。
スノーボードがなかったら、私はウィンタースポーツに戻ってくることも楽しむことも一生なかった。スノーボードの普及と誕生にとても感謝している。
バートンのファンは根強い。彼らがバートンから離れることは、少なくとも私の周りで例外はない。
なぜユーザーが満足する製品を作り続けられるのか。なぜスノーボードが20年足らずでメジャーなウィンタースポーツになることができたのか。この -
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ネタバレタイトルの通りの内容。
2019年11月20日に65歳の生涯を閉じた、スノーボードという新しいスポーツ、いや、カルチャーを生んだ、「BURTON」創始者の物語。
「仲の良い人や自分に似た人を雇うと、会社が困難に陥った時に自分が思いつく以上の解決策が出てこないんだ。自分とは違う種類の人、自分の足りない部分を補ってくれるような人を周りに集めるべきだと、この時学んだよ」
小さな工場から始め、事業を大きくしていく時の気づきや、
「スノーボードを独り立ちさせるためには、ある程度反逆者的に振る舞う必要がありました。スノーボードというスポーツを誇りに思い、自分たちはスノーボーダーであるというプライドを