椎野直弥のレビュー一覧
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吃音を抱える当事者として読みました。
吃音者の抱える悩みをとてもよく表している。
悠太くんの「本当に、自分にとって吃音よりつらいことなんてなかった。もし吃音が治るのなら、どんな苦しさや痛みにも耐えられる。どれだけ殴られたって、全身をナイフで切り刻まれたって、毒を飲めと言われたって、その先に普通に声を出せる未来があるのなら僕は受け入れる。むしろ進んでそうしたい。」という言葉。これは本当にその通り、みんなが当たり前に出来ることが自分にはできない。周りから笑われたり、「どうした?」って顔をされる恐怖。当事者として本当に実感できる。
私は幸い、成長とともに症状は和らいでいき、今ではたまに「言い換え」を -
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主人公は吃音というハンデを持つ中学生の男の子、柏崎悠太。
悠太が初めて自分は他の人とは違う、と感じたのは小学校一年生の時、学芸祭の演目でたった一言のセリフが言えなくて、その出来事はずっと彼にとって辛い思い出として残ってしまっている。
中学入学を機に、頑張ろうと自分を奮いたたせる悠太は、自己紹介で言うことを何度も何度も心の中で反芻し臨もうとした。…が、やはり言えず仮病を使って逃げてしまう。
やっぱりダメだった…そう落ち込む悠太に、己と向き合うための新たな一歩を踏み出す転機が訪れる。
そう、これは吃音を抱える悠太の成長物語である。
悠太は一言で言うと、とても優しい良い子だ。
けれど、吃音を抱える -
Posted by ブクログ
吃音で上手く喋れない中学生のお話です。話すたびにからかわれたり、笑われたりされて、話すことから逃げてしまう悠太。みんな優しくしてくれるが、吃音でない人には、この苦しみは分からないと言ってしまう悠太。確かに分からないかもしれないが、自分自身のことをよく理解してくれていた家族。そこからだんだんみんな苦しみを味わっていたんだと知る悠太。とにかく感動。
私は吃音のことをよく知らなかったが苦しみは想像できた。でも、この想像以上に苦しんでいるんだろうなと思った。一人でも多くの人がハンデを背負っている人のことを知る努力や、苦しみを想像することをしてほしいと思った。そして、ハンデを背負っている人が努力をして辛 -
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ネタバレタイトルを見て、気になって読んだ本。私も上手に喋れないなって思うことが多く、ヒントを得たい気持ちもあった。ストーリーや後書きによれば、吃音を治す手立てはなかなかないらしい。
生活していく上で必要な会話でハンデがあるというのは苦しいだろうな。主人公の悠太くんのように、聞けば周りの人があれ?って思ってしまうような話し方の場合、そして、周りの人たちの気持ちを細やかに感じ取れる人ほど、辛いだろうなと思う。
相手の状況に対して、驚くことはあっても、それを馬鹿にしたり、詮索したりして相手を傷つけないようにしたい。自分は普通じゃなくて辛いと思っても、普通の人なんていないと、自分のできなさを受け入れながら生き -
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こういうハンデのある人たちのお話を読むと考えることが、「普通」とは何かという事。
そして、隣の芝生は青く見えるという事。
幸せそうな人を見てると殺してやりたいなどの発言をネットやニュースなどで耳にすることがある。
人間誰しも見えない部分で苦しんでいるんだよなとも感じた。
ただ、どうしても僻んでしまうのも人間の心理であり、、、。
そこに対しての逃げてもいいし、失敗するまで戦ってもいいという言葉はすごく励みになると感じた。
また、吃音についても学べるのはとても良いと感じた。
吃音に対する日本の整備も整っていないことが提唱されているのも良いと思ったし、健常者と同じフィールドに立たせるにしても、配慮が -
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場面緘黙、吃音、さまざまな困り事を抱えている子ども達と接することも時にはある。
時にはイライラしながら、待つこともあれば、ゆったりした気持ちで、待ってあげられる時もある。
物語を読み進めるうちに、自分の心の持ち方次第で相手に対する接し方がかわり、自分を取り巻く環境もかわっていくことを痛感しました。
人を揶揄うと周りが笑ってくれる。
場は和んでいるように見えるが、それは見せかけ。
笑いを求めて、自虐的になったり、他者を揶揄う。
これは、人間という動物の特性なのか。
もっと自由に気楽に、だが一人一人が責任を持って生きていかなければならない。
日々反省ばかりです。