ディオン・ン・ジェ・ティン[ディオンンジェティン] [Dionne Ng Zhe Ting]
1994年シンガポール生まれ。現在、正規留学生として東京大学教養学部教養学科国際日本研究コース4年に在籍。2016年度、在日シンガポール留学生協会会長を務め、同年4月まで東大運動会バドミントン部に所属
「素顔であろうとなかろうと、化粧の有無から他人の年齢や人種を判断し、失礼だと思われるくらいの話し方で自分の判断を言葉にする人に、初めて会いました。 確かに人間は、初対面の人でも、長い付き合いのある人に対しても、外見からさまざまな側面について判断することが多いかもしれません。他人の表情は、機嫌のよさの手がかりになるし、その日の服装や、久しく会っていない友達の体型の変化などから、いろいろなことがわかるでしょう。しかし、化粧しているかどうかから、人の年齢、または人種や国籍を勝手に決めつけることは、実際どうでしょう。なぜ、そういう考え方が身の回りの人々に見つかるのでしょう。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「あくまで個人的な観察と意見になりますが、留学してから気付いたのは、日本社会がいかに外見と表面を重視するかということでした。「カワイイ」文化を始め、海外では日本ほどの規模がなかなか見つからない「ゆるキャラ」文化(大学や交番などでも特別なカワイイ代表キャラクターがいると気付いて、感動しました)、世界中でよく知られているコスプレ文化、また日本の食文化の大事な一部である食べ物の盛りつけと配膳をきれいにする習慣から、見た目が非常に、ときおり一番大事だということがわかりました。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「また、真実なのかどうかは確かめられないのですが、日本人の友人数人からも言われたのは、これから会う方々への敬意を表すために、自分のベストな一面を見せることが大事に思われ、化粧をきちんとしてから出かける習慣が身に付いたことです。もちろん、化粧することによって自信を持てるようになったり、単に若くて美しく見えるために化粧に力を尽くしたりする人もいるでしょう。どちらにせよ、社会の風潮として外見が非常に重視されているからこそ、日本では、コンビニにしか行かないときでも、出かける度に服装はもちろん、化粧もしっかりするべきという考え方が根付くのだろうと思いました。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「外見を重視する傾向に加え、来日してから出会った日本人の方々が、日常会話において表面的なことを中心に考えることが多い、という印象を受けました。読者のあなたに理解していただきたいのは、この印象は、けっして悪いものではありません。また、私のこの印象は、確かにさまざまな原因で歪んでいると認識しています。例えば自分の日本語能力の不足によって会話の範囲が狭まったり、質が下がったりしてしまうこととか、外国人であるため日本人の若者と共通の話題があまりないこととか、自分が関わっている日本人の方々が大学生の他にあまりいないこととか。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「 「日本語、お上手ですね!」という発言について検討しましょう。 何の言語でも、どんな社会でも、人間関係とコミュニケーションがうまくいくためには、本音と建前の使い分けが大事でしょう。どの文化でもある程度衝突を避け、他人を傷付けないように、また、集団において自分が目立たないように、人間は自分の本音を一生懸命隠し、社会に受け入れられやすいような建前の発言しかしない世界の中に私達は生きています。自分の本音を毎回はっきりと言い出すことを想像してみると、きっと怒りと悲しみを招いてしまうでしょう。 特に、留学してから、日本人の言語行為、そしてまわりの影響でだんだん変わってきた自分の言語行為、さまざまな言い回しや場面に応じて決まった表現などについて注意を向けました。例えば、日本人の友達のお家へ遊びに行く度に、ご両親が毎回「また遊びに来てね〜!」と温かく言ってくれます。自分が目上の人と一緒にご飯を食べに行ったり、しばらく会っていない先生や上司に意外なお誘いを受けてどこかへ出かけたりするときに、必ず「またお会いできる日を楽しみにしています」という一言を事後にメールで伝えます。そして最も気になるのは、会社のセッティングにおいて「いつもお世話になっております」の決まったメールの始まり方、そして時刻を問わずに挨拶として使われている「お疲れ様です」、という二つの表現の使い方です。これらの場合に、文脈と社会的な習慣を考えずに相手の発言を額面通りに受け取ってしまったら、ある程度「空気読めないやつだね」というふうに思われてしまうでしょう。逆に考えれば、それぞれの場面において決まった表現を知らないまま社会に出たら、ちゃんと正しいタイミングでそれぞれの表現を言い出さないことも失礼だと捉えられてしまうでしょう。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「まず、本音と建前について述べたいと思います。日本人の前に表せる本音はやはり、外国人と違うらしいです。私は、留学一年目に何回も「これは言っても平気でしょう」と判断したことを言ってみたら、驚きや気まずさを招く経験がありました。例えば、組織内の欠いているところについての批判的な感想や、先輩の見解と対立する意見などを言い出すと、まわりが一瞬、気まずい沈黙になったという恥ずかしさを覚えるエピソードが何回も起こってしまいました。自分の本音ですし、むしろ他の人も同じことを考えているのに、衝突を避けたがって誰も発言しないだろうなあと思いながら言ってみただけですが、受け入れてもらえなかったようです。一方、外国人同士の会話と比べると、アジア人のみの集まりでは日本人と似たような「本音」の基準なのかもしれませんが、インターナショナルな環境、また、西洋のバックグラウンドの持ち主同士の会話では批判的な言葉や相手が少し傷つくくらいの意見などの本音は許される、いや、普通だと思われます。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「せっかく六年間も勉強してきたのに、最も基本的な会話さえしないのは、とてももったいないと思いませんか。たとえ流暢な英語で会話ができなくても、自ら練習する機会を探し、恥ずかしがらずにネイティブの英語話者と触れ合うことによって少しずつ学んでいけば良いのではないでしょうか。私は、日本人の友達に自分の英語力に自信を持ち、英語で話す勇気を出してほしいです。 なぜこのように確信して「日本人の方々にこうしてほしい」と言えるかというと、私もかつて極端な恥ずかしがり屋でした。日本語を勉強し始めて一年以上が経った中学校二年生の頃、自分より二つ上で日本語も勉強していた姉の、日本人の友達と話すことがとても嫌でした。「絶対笑われるし、自分の話したいことをちゃんと伝えられないし。いや、別に話したいことないし……」と思いながら、姉の日本人の友達や父の日本人の同僚に会う度に、口が封じられてしまったような黙り方をしていました。「シャイ系のお嬢様ですね! かわいい!」と言われたのですが、自分の下手な日本語を知られたくないことが本音でした。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「やはり、人種区別あるいは差別はどこにでも存在する現象だと私は思います。人間は、自分と違う人に対し、特に外見やふるまいなどの見た目からはっきりとわかる違いに気づいたら、多少違和感を感じざるを得ないのです。つまり、私も、あなたも、誰にでも見た目からの判断によって、目の前にいる人を区別や差別化してしまったことがあるでしょう。それに、人種に対してなんらかのステレオタイプを持つ私達は、その人に求めたり期待したりすることが無意識的に変わってしまいます。白人は日本あるいはアジアの習慣をよく理解できないから失礼なことを言ったりしても許せるとか、東アジア系に見える人はきっと少しだけでも儒教的な信念や東アジア各国の文化について知っているだろうとか、そういった「当たり前じゃん?」とつい思ってしまうことがあるでしょう。振り返ってみると、自分がまわりの日本人の方に二重基準のような扱いをされている中、数年間日本に住んで日本人の方々と似たようなことをしがちです。新たに短期留学で東大に入ってきた留学生に対して同じようなステレオタイプにもとづいた仮定や前提を頭の中に入れておいたままでコミュニケーションを取ってから、自分のステレオタイプに反する現実に驚かされることがたまにあります。自分より日本語に長けていて正にネイティブ話者のような話し方をする白人の友達や、ずっとアメリカで育ち、アジア系でありながらアジアについて何も知らない友達もいます。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「そういった気持ちはだいたい理解できますが、別の物事の見方を提案するのも、グループ全員にとって良いことなのではないでしょうか。もしかしたら、同じ社会で似たような文化背景のもとで育ってきた日本人同士では、何事についても同意見を持つ人がほとんどなのですか? 意見と見方の多様性を一つの団体に導入するとどうなるかを、おそらく、あまり考えてこなかったのでしょう。それに加え、国民性を問わず、仲間のグループの一人として、まわりのみんなと違う意見を言い出すことに非常に勇気が必要ですね。 誰だって、仲間はずれにされたくないでしょう。しかしその解決方法は、発言を避けることではなく、どうやって他人の気持ちを配慮し、傷つけないようにしながら自分の意見を言うかにあります。逃げるというよりも、どう直面するかです。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「私の仲の良い日本人の友達もそうだったのですが、海外に行くことにまったく興味を持たない日本人に会うことが意外と多いです。日本に留学中で更に夏季短期プログラムで海外に飛んでいく私を見ていたその友達が「部活引退したら最後の学期にドイツとかに留学しようかな」とある日、急に言いだしてびっくりしましたが、何かの影響を与えることができて正直に言うとすごく感動しました。 次に自分から探ってみるという意識の大切さについて考えましょう。前述の「まったく興味を持たない日本人」もいる一方、私より一〇倍も積極的に留学機会を探す日本人の知り合いもいます。なぜ、だいたい同じ教育システムを通って東大に入った人がこんなに違うんだろう、と留学への興味に極端な差がある人達に会う度に思ってしまいます。これはほんとうに教育の効果なのでしょうか。それとも単なる個人差なのでしょうか。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「発表の内容とその分析を聞いて、教育だけでなく、日本社会の構造に原因があるのかもと思うようになりました。日本には他の国よりもはっきりした入学試験の制度があり、それに加え今までの傾向だと、良さそうな高等教育機関にさえ入れば、卒業後どこかの大手企業に就職し、年功序列の仕組みに従って安定した生活を送る、というのがだいたい私が抱いた「日本人男性の将来」のイメージでした。外資系企業に務めるのも最近まで少数派で、もちろん最近徐々に注目を集めているベンチャー企業や起業家といったキャリアはあまり選択肢に入っていなかったはずです。典型的な日本人家庭では、お父さんがおそらくサラリーマンで、お母さんは専業主婦かパートで働く兼業主婦のどちらかで、特別な状況がなければ子どももおそらく似たような道に進んでいきたい、いや、このような道こそが良いとしか思っていないのではないでしょうか。それこそ世論調査結果にもとづいて「一億総中流」を自認していた時代がありました。決まった安定的な生活が目の前にあるなら、特別に夢を持つ必要がないのでしょうか?」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「最初に会った時には、あまり英語が話せなかった人達が、一年後か二年後に留学から帰って来た時に英語で話してみたら、びっくりするほど流暢に話していて、しかも前と全然違って自信を持って話せるようになっていたのです。それが私が理想とする留学後の姿だと心の中で憧れています。 ところで、本章で留学の良さばかり推していたのですが、実は留学は、必ずしも楽しいことばかりというわけではないのです。 なぜなら、留学は大変だからです。三年間も留学経験を積んだ私、そしてもっともっと長い留学経験のある友達もみんなそう思っています。 しかしそれが留学のメリットです。大変だけど面白い、面白いけど大変、とりあえず人間として成長し、自分の知らない自分を見つけ、将来の自分にたどり着くまでにいろいろ試してみて、自分を更に理解する経験なのです。 だからこそ大学からでも良いですが、もっと早いうちにいろいろやってみたほうがいいと思います。海外に行って異文化を学んだり、日本国内の各地域についての理解を深めたり、同時に自分への理解を深めるのは、自分から探っていく意識から始まるのです。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著
「旅行好きの方は「郷に入っては郷に従え」という言葉の意味を深く理解できるでしょう。私は幼い頃から、両親に毎年海外旅行に連れて行ってもらって、今まで一四カ国を訪ねる機会がありました。各国の文化や暮らし方が全く異なって、外国人である私にはまさに目からウロコの体験でした。新しい国にいるからこそ、外国人としてふるまうより、できる限り訪れた国の習慣や風俗に従うべきだと私は思います。」
—『東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)』ディオン ン ジェ ティン著