宮本ゆきのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
アメリカの原爆観にどうしても気持ちが抗ってしまう。ていうか日本人であれば、誰もが強烈な違和感を覚えるだろう。
「アメリカ人の命を救った兵器」と言うが、殺人兵器であることには変わりない。原爆の被害に遭ったのは軍人だけでなく、無防備な一般市民も沢山命を落としている。それを知って「快挙」とのたまっているのだろうか?
先日Xで、広島平和記念公園の慰霊碑に刻まれた碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」に対して、「過ちは繰返“させ“ませぬからだろう!」と物申しているコメントを見かけた。
「”誰もが”戦争という過ちを繰り返さない」という意味合いが込められているようだが、アメリカ側の主張を見て -
Posted by ブクログ
日本人からすると受け入れがたいアメリカの原爆・原子力に対する考えの違いを、ポップカルチャー、軍隊を持つ国としての捉え方、キリスト教と反共など様々な観点で説明してくれる本。
アメリカでの複数のナラティブが、自分たちにとっては容易に想像のつく原子力爆弾の恐ろしさを覆い隠す役割を果たしていく様に、分厚い壁のようなものを感じる。そして、そのナラティブの詳細を、アメリカそのものに、逆に興味がわいてくる部分もある。
また、軍隊を持つ国というものは、文化として軍隊をリスペクトする機構が必要というくだりは、考えてみればシンプルな話だけれども、自分にとっては発見という部分だった。 -
Posted by ブクログ
善と悪とが明確な姿かたちを表してさえいれば、倫理学とはすべての事象を善と悪とに仕分けるだけの平易な学問になっていたかもしれない。そううまくいかないのはつまり、ある人にとっては悪であっても、別の人にとっては善だからだ。人類はゾロアスター教の発生時点からその矛盾に気づいていた。善がすべてアフラ・マズダの姿で見えていれば、迷うことがないのに、と。
だが著者の宮本さんは、アメリカでの核に関する考え方について、アーリマンが平気な顔でアフラ・マズダの姿で出現していることにショックを受ける。
なぜそのような矛盾が、科学大国のアメリカで大手を振ってまかり通っているのかを、少しずつ紐解くように説明しているのが -
Posted by ブクログ
題名通りの本。
アメリカで倫理学を教える著者は被爆二世。広島出身。なぜ日本では絶対悪の原爆がアメリカでは悪と思われていないのか様々なワークショップや講義を通じて探求した結果書かれた本。人は同じ語りを聞いても騙りを、受け入れる素地が異なっていれば全く違う簡素を持つということに納得した。被爆者が体験談をアメリカではなしても、聞き手は「そんな辛い体験をしたのに積極的に生きていてあなたはヒーローだ」と言われる。平家物語の無い国なんだ。だからこんなに辛い思いをしたんでする、だけでは受け入れてもらえないという事に驚いた。そういえば韓国にはパンソリという芸能があるが日本人で好きな人はあまりいない気がする。悲 -
Posted by ブクログ
著者はシカゴ大学生大学院で修士・博士号を取得し、シカゴのデュポール大学で倫理学を教えている。彼女の講義では「原爆論説」や「核の時代」を取り上げるが、そうしてアメリカの学生と核兵器や被爆について語り合う時、そこに幾らかの違和感を感じてきたとしている。
その違和感はどこから来るのか?
簡単に言ってしまえば、日本人の多くはヒロシマ、ナガサキの核の被害を知り、核兵器に対して否定的な感情、非人道性を強く感じる。
一方でアメリカ人はヒロシマ、ナガサキのことを知っていたとしても、トルーマン大統領の有名な発言である「原爆が終戦を早めたことによってアメリカと日本の双方の死者を救った」という意見や、非人道性は核兵 -
Posted by ブクログ
著者はアメリカの大学で核倫理を
教えている。
自身は広島出身の被爆二世という立場であるので
他の人よりも 原爆について近い存在である。
戦争が長引けば
アメリカ兵のダメージが大きくなるので
早めに終わらせたいという話は聞いていたし
敗戦国と戦勝国との 考え方の違いはあるし
日本人は 原爆は投下されたと思っているけど
実際はアタックされているんですよね。
この辺りの感じ方の違いなどを読んでみたいと思いました。
やはり 学生さんたちの考えは全然違っていた。
被ばく者が 生きて 語らう姿をみて
日本人なら つらかったねとか 共に寄り添う思いが出てくるけど
彼らは 生きて悲惨な状況だった話を語り継