的確かつ良い邦題、と思う。まさに本書は殺人者の手記によってスタートするからだ。(ちなみに原題は「まったく違った物語」)
まず、この手記が実に手ごわい。謎めいた文章の向こう、やがて明らかになる過去の犯罪。この手記だけで終わるノワールであっても構わないように思う。ここまで文章に拘った、ある種芸術的
...続きを読むとまで呼べる手記であるのなら。
しかしこの不気味な手記に、登場する人物たちが5年後、殺人の標的にされ、その殺害予告が次々とある刑事の自宅に届くことで、物語は立体的な複合構造を呈し始める。現在と過去。現実と手記。刑事個人と犯罪者との関係。
現実の側を司る捜査官グンナル・バルバロッティ警部補が本書の主人公。実に詳細に、綿密に、作家は彼の人物像を書き込んでいる。レトリックに満ちた幻想にすら思える薄気味の悪い手記を挿入しつつ、現実世界の証人の如く、物語を活かし、よりリアルにするために。
このバルバロッティ像がよい。彼は再婚を視野に入れた恋愛と子離れの丁度渦中にありながら、殺人予告が飛び込み、マスコミの精神的暴力に晒され、警察組織からは自宅待機を迫られるなど、次々とネガティブな環境下に置かれるが、何よりも殺害予告がバルバロッティに届けられる理由が、そもそもの謎なのである。
ブルターニュのある季節を描いた手記で始まる本書は、バルバロッティの視線で眺望した絵画のように美しいゴッドランド島での恋人とのシーンへ舞台を移す。さらに殺害予告を知った彼は捜査の中心となるシムリンゲ(架空の町らしい)へ。舞台装置の移動だけでもめくるめく動揺を誘いそうだ。
手記はさらに読者をミスリードする。バルバロッティの家族の離合集散と、新しい恋人との家族再構成に関わる現在の日々と、私生活だけでも一つのホームドラマとしての読みごたえがあるくらいなのに、そこに薄気味の悪い連続予告殺人事件やマスコミからのバッシングなど、波乱万丈なバルバロッティの周辺事情。
地方署ゆえに都市部警察署からの応援人員まで呼ばれ、なおかつ事件はスウェーデンの現在と、南仏の過去にまたがる大仕掛けなものである。そんな舞台装置に立つのが現実に存在していそうな等身大警部補バルバロッティ。周囲の個性的面々を含め、ストーリーテリングの冴えが目立つ力作と言ってよいだろう。無論リーダビリティも抜群である。
作者ホーカン・ネッセルは本国でも国際的にも名実ともに相当な実力派作家らしいのに、日本では数作しか翻訳されていない。バルバロッティ・シリーズはもちろん、ファン・フェーテレン警部補シリーズ(『終止符(ピリオド)』一作のみ)もほとんど日本語では読めない。本作を機に、この筆力とアイディアに優れた才気溢れるベテラン作家に接する機会が、一気に広がってくれると有難い。