和田裕弘のレビュー一覧
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ネタバレ1520年代尾張社村生まれの柴田勝家、信長の兄信秀⇨弟信勝が死に信長に仕えた
本書は『信長公記』や書状などの一次史料を駆使し、勝家の武将像を顕す、北陸方面の攻略で越前国を任されると、検地(土地調査)や楽市楽座の推進で経済を活性化(商人らを一乗谷から北庄城下へ誘致する書状天正4年9月11日付)、行政手腕にも長けたやに見えます
フロイスも「勇猛果敢だが温情深く、裏切り者にも恨みを言わず部下を逃がそうとした」と好評価が残るが敗者故の資料不足、秀吉の引き立て役に留まる
本書では、信長没後の清洲会議と賤ヶ岳の戦いで(あまり勝家に詳しくない自分にも)勝家が織田家随一の功臣として秀吉とも織田家繁栄の為の妥協 -
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創作系戦国モノだと瓶割柴田な脳筋豪傑武将なイメージだが織田軍団の重臣だけあって本書を読むとフロイスの話通りなら信長に匹敵する人物である事が窺える。頼りになる人物達が物故したり思う様に軍団が形成できなかったのは不運といえる。
豊臣秀吉があの明智光秀よりも警戒を要し滅ぼした際は安堵したというから最大のライヴァルだったのだろう。考えてると光秀は多分突発的犯行なので秀吉としても勝家の方が怖かったのだろうとは思う。死に望んでと裏切り者の前田利家に怒りをぶつけたりしないし、お市の方も逃がそうとする(結局は心中するけど)など人格者な雰囲気もある。この人が存命だった場合、今とは違う歴史になったのではなかろうか -
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ネタバレ尾張統一時代の織田家は、一門衆は叔父信光や次弟信勝の死去、家老の林秀貞や柴田勝家は反乱からの帰参、そして桶狭間の勝利によるカリスマ化で信長一強体制が確立した。
他家と比して同族勢や家老の地位が相対的に低く、他国者も才能に応じて重用した。
信忠軍は
信孝軍は四国征伐のために急遽編成されており紐帯が乏しかった。
滝川一益は勝家や秀吉と親しく、信長とも信頼関係にあった。
柴田勝家は一益や織田家とも縁戚であり盤石な地歩を固めていた。
羽柴秀吉は信長の信頼厚く、秀勝を養子とし中川清秀や黒田孝高と交流を結び人的地歩を固めた。
光秀軍は美濃勢と近江や丹波勢と旧幕臣が中心で、尾張勢がほぼ皆無がゆえに反対者なく -
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まあ、読むのが大変な本でした。
大変な理由1:
人名が難しい。著者も断っているが、読めない。戦国時代的キラキラネームと思えるぐらい覚えられない。巻末に人名索引がついているが、できれば人名索引に読み仮名ぐらい振ってほしかった。さらに、下の名前だけで表記されると、有名人はともかく、親や子といった人になると、いろんな形で「偏諱」していて、誰が誰やらわからなくなる。また、同じ名字が続くときに、同何某と省略されると、一瞬「同」が名字かと思ってしまう。また、普通の名前ならまだしも「なになにの守」だとかが入ってくるとさらに混乱。
大変な理由2:
「専門用語」が難しい。上述の「偏諱」などのように、戦国時代特有 -
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ネタバレいろいろ文献を読んで調べているのはわかるが、この本のまとめ方は一体何なんだろ。
時系列になっていなくてわかりにくい、わかりにくい。
信忠といえば、
例の部下に上げる報奨品のエピソードと、
信貴山城攻めで松永久秀を滅ばしたのと、
武田攻めで武田家を滅ぼした。
これくらいしか記録がないらしい。
あとは、信長の跡取りとして、別格扱いされていたこと。
本能寺の変のとき、信長は真っ先に信忠の謀反を疑ったこと。本能寺の変で、ひたすら逃げることをせず、多勢に無勢で明智光秀に討ち取られたこと。これが信長なら、一騎でも逃げて逃げて逃げ延びただろ。
というわけで本書はあまり知的好奇心を刺激されることなくフラストレ