評判が良かったため購入。いじめやいじりは区別がつけにくく把握が難しいから、大本となる学校の人間関係、つまりスクールカーストを見てみよう、という話。
忘れていた自身の学生時代のことを思い出していろいろともやもやした。小学校時代はなぜか足の速い子、運動神経のいい子がもてるよね。そしてクラスに一人くらい
...続きを読む嫌われている子がいた。中学時代になるとあからさまなスクールカーストがあった。大人になってから卒業アルバムを見直すとみんなどっこいどっこいの田舎の中学生なのだけれど、あの頃は中学校が世界の全てだったから、クラスや部活であの子より上だ下だと序列を感じていたな。高校時代はスクールカーストの高い子と友達だったから確かに楽しかった。
マジメとヤンキーが互いに嫌いあっていたというのは80年代の話だと思う。受験戦争に意義が唱えられ、勉強が重視されなくなってから、マジメの価値は落ちたよ。
生徒と教師からの聞き取りが根拠のほとんどを占めており、論文としての根拠は薄弱かもしれないが、スクールカーストという言葉を全面に出し世に知らしめたという点で価値のある本。スクールカーストの存在を否定する者がいなかったにもかかわらず、それが形成される根拠やカーストの決め方は非常に曖昧であり明文化されない。にもかかわらずどの生徒にも共通して認識されているところが闇を感じる。
生徒からの聞き取りによりスクールカーストは上位の生徒にも下位の生徒にもデメリットがあると考えられるのに、教師の捉え方が全く異なることにいやな感じがした。スクールカーストは権力であり、上位の者がいない場で中位の者が場を盛り上げることがあることから決してコミュニケーション能力によりカーストが形成されているわけではないという結論が出ているのに、教師はスクールカーストを能力ととらえている。上位は積極的で自分の意見をはっきり言える、人付き合いもうまいと。そして下位の者はぼんやりしていて楽をしていると。教師のあまりにも都合の良いものの見方に憤りを感じた。上位の者は友達が多い「ように見える」だけで、裏で反発されていることもある。自分の意見をはっきり言うのは、それが通る場だから。上位とされない者でも自分の意見は持っているが、相手にされないので言わない。能力が序列になるのではなく、序列の差が態度に現れる。
学級経営というのはモデルケースが見えない。理想とされる学級はどんなものなのか、多種多様な人間がいる中で、未成熟な生徒達がどのように互いとの関わりをもてばうまくいくのか、誰も示さない。生徒達は自ずとカーストを形成し、役割を決め、日々がうまく回るようにしているのかもしれない。学校以外の世の中で、勝手に作られた同年代だけの集団においてただ仲良くあることを求められる場というのは思いつかない。学校が全ての世界である生徒は苦しい。ただ仲良くあれ、それが正しいとされる世界は辛い。
典型的な体育教師の認識の仕方に本当に憤りを感じた。下位の生徒の将来をダメだと決めつけ、学級経営のためには上位の生徒を使って回していくのが良いと考え、唯一クラスで圧力から逃れられている存在なのに、積極的にスクールカースト形成に力を貸している。強く自己主張できるのがそんなに偉いのか。騒がしいのが偉いのか。静かに日々を過ごすことがそんなにいけないのか。学校という逃げ場のないところで自身の振る舞いにかかわらず下位と評価されるのはどれだけ心が傷つけられ、自尊心が抉られることか。
スクールカーストは、学級という均質を目指す箱が必然的に作り出した闇に思える。個を重視するなんてよく言うよ。