鈴木翔のレビュー一覧
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鈴木翔先生の教職科目を受講した際に本書のことを知り、手に取った。
スクールカーストの定義やそれを考える意味については、自身の経験や教職課程の学びから持っていた印象と同じだった。3章から5章の生徒と教師の語りから探るスクールカーストの見え方や意味は生々しい経験が描き出されていて、すごく心苦しかった。生徒視点は大学1年生でまだしょうがないにしても、教師がスクールカーストを肯定的に受け止めていることが衝撃的だった。
6章のまとめで出てきた図(P273 図6-1 「スクールカースト」のメカニズム)が、この研究で見えたスクールカーストの構造をきれいに表していて素晴らしかった。
結局教師が生徒の目線にたって考えられていなくて、自分たちに都合よく解釈し、利用していることでこの悪習を助長しているのだと分かった。 -
Posted by ブクログ
現高校生の者です。少し、自分の経験と照らし合わせながらスクールカーストについて書いてみたいと思います。
僕は、中学生の時どちらかといえば下位層でした。成績は良かったので、完全なる最下位層になることはありませんでしたが、劣等感というのは感じていました。スポーツも得意で無かったですし。
そんな僕に、中2の時転機が訪れます。下位層を仕切ってるような奴が僕に悪口を浴びせてくるので、僕はそいつと関わらないようにしました。どうやったかというと、中位層の人たちと仲良くなるようにしたのです。前述のように、僕は「どちらかというと下位層」であり、もともと中位層にも友達が何人かいたため、その人たちと良く話すようにしたのです。結果として、僕は嫌なやつから離れることができました。しかし同時に、下位層で仲が良かった人たちと話す機会が減りました。これについては、果たしてこれで良かったのだろうかと今も思っています。まぁ中位層になって明るくはなれましたが。
そして僕は、地元の進学校に進みました。(田舎なのでそこまで凄い高校ではないですが)今現在、確かに目立っている人は決まっているなと思います。ただ、この本に書いてあるほど、明確なグループ分けはされてないように思いました。目立っている人とそうでない人でグループはありますが、境目がはっきりとはしていません。つまり、自分の高校ではスクールカーストがそこまで明確ではないのかなぁと思います。(モテる人とモテない人(自分)は明確ではありますが)
だから、この本に書いてあることが全てではないのです。これから、研究が進んで、例外も焦点にされたら良いかと思います。進学校の状況であるとか。僕の通っている学校はオタクが生き生きとしているので、何故オタクがこんなに批判されているのか理解出来ませんでした。逆にオタクじゃ無い人の方が引けを感じてしまうくらいなので。やはり、環境によって学校も生徒も様々なのです。
あと、中位層に関してもっと書いてあっても良かったと思います。個人的に中位層が一番だと思うので。僕は上位層なんかに憧れたことはありません。本の中にも少し書いてありましたが、上位層は批判されて当たり前のような人たちばかりです。5章で先生が上位層を褒め称えているような記述がありましたが、それは間違っていると思います。これは、先生が学校の治安を悪くするのに加担しているようなものです。そんな先生には出会いたくないな…。「下位層の人は使えない」とか言っている人がいたけど、そんなのはその人が意識変えればどうにでもなることじゃないですか。生徒のモチベーションを上げるのが教師じゃないんですか?偉そうなこと書いてしまいましたけれど。
本自体は読み進めやすかったです。興味のある方は手に取ってみるのもよいかと思います。長々と書いてしまって申し訳ありません。 -
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ネタバレ「スクールカースト」と呼ばれる、同学年の児童生徒の間で共有されている「地位の差」について、インタビューとアンケートで実態を明らかにしている。
あとがきの謝辞を読むと、著者が東京大学大学院教育学研究科に提出した修論がベースになっていると分かるが、本編を読んでいても論文っぽさをあちこちに感じる。インタビューは必要箇所を書き起こした上で、その回答の意味するところを一字一句誤りなく引用しながら解説していく辺りとか、すごく論文っぽい。でもそのおかげで、理解はスムーズに進む。とても分かりやすい。
スクールカーストにまつわる発見がいくつかあった。
「『スクールカースト』で下位に置かれている生徒が、『クラスメイトに馬鹿にされている』と感じる傾向が見て取れます。一方で、全体的に見ると、男女ともに中位の生徒が馬鹿にされていない傾向があるだけで、上位の生徒もある程度『馬鹿にされている』傾向がある」(p110)
「もともとハルキらが所属する『イケてないグループ』のメンバーが、みんなを盛り上げるようなエンターテイナー的な素質や能力を持ち合わせていないわけではない」(p128)
「彼女は上位のグループに入ったことで、『〈1軍〉の義務として』権利を使わなければならず、そのことに重責を感じていたということです。
先に示したとおり、彼女は、上位のグループに所属するということは『与えられる権利の数』が多くなることだと解釈しています。その権利は、与えられているだけで使わなくてもいいのではなく、権利があるからには使わなければならないのだと彼女は考えています。
そしてそれは、『〈1軍〉の義務として』権利を使わなければ何も進まないのであって、クラスの方向性や雰囲気を決めていくために、そうした権利を使うことは、彼女にとっては重責であったようです」(p137)
「たとえば吉田先生は、『スクールカースト』の下位に位置づけられる生徒は『100%将来使えない』と考えています。なぜならば、吉田先生は、勤務校の中で今年の就職の結果が芳しくないのは、『スクールカースト』の下位に位置づけられるような『気の弱いオタク』の生徒であり、企業はそのような人材は求めていないと考えているからです。
一方、たとえば就職の採用結果が芳しくなかったとしても、吉田先生が『強い系』と呼ぶような『スクールカースト』の上位に位置づけられる生徒のことは、それほど心配はしていません。というのも、彼らは『生き方』が『うま』く、『ゴマすり』などもでき、人間関係をうまく構築していけるため、たとえ仕事を辞めたとしても、『そんなに心配ではない』と吉田先生は考えているからです」(p246-247)
「松本先生も、『スクールカースト』による『地位の差』を、『なきゃいけない』ものだと考えています。松本先生も、『スクールカースト』は、『コミュニケーション能力』により成り立っていると考えており」(p261)
「一方、小林先生は、加藤先生や松本先生と違い、『スクールカースト』による『地位の差』を、『リーダー性』によるものだと考えています。『リーダー性』は、良い意味で利用している生徒も、悪い意味で利用している生徒もいますが、小林先生はそうした『リーダー性』を持つ生徒は、『才能』や『資質』がある児童だとみなしており、努力で得ることの難しい潜在的な能力だと解釈しています」(p261)
「生徒と教師は、ほぼ同じ状況を見て、生徒間の『地位の差』、すなわち本書でいうところの『スクールカースト』を把握していますが、その解釈にズレが生じているということです。
生徒が『権利の多さ』を軸とする、『権力』構造として『スクールカースト』を解釈しているのに対し、教師は『能力の高さ』を軸とする、『能力』のヒエラルキーだと解釈しています」(p273)
高校時代を思い出しながら読んだ。振り返れば、自分はスクールカーストでいえば中位から下位の人間だったと思う。上位にはかなり苦手意識のある人もいて、怒りを覚えたこともあった。敵意を見せることはなかったけど。
また自分の学校の場合、学園祭や体育祭などはスクールカーストがあいまいになりやすい時期だったように思う。自分も上位の人から一定の評価を受けたりするタイミングでもあり、そんな時は素直にうれしかった。
一方で、スクールカーストに関係なく自由にフラットな人間関係を構築する人もいた。いまでも親しく付き合っているのは、そんな人だったりもする。 -
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ネタバレ教室内(スクール)カースト (光文社新書) 新書 – 2012/12/14
同年齢の学校内のクラスという中でも対等な関係というものはない
2016年6月3日
鈴木翔 による 著作
1984年秋田県生まれ。
群馬大学教育学部卒業。
東京大学大学院教育学研究科博士課程に進学。
現在 web で見ると秋田大学で助教をしているようだ
本書は鈴木氏の学術論文を一般向けにわかるように改めて加筆再構成した本である
率直に言って学生、大学院生などの一部の人間しか読めないようなものよりも広く世の中一般に訴えかけるべき内容の学術論文も数多くあると思われる。
本書はそのうちの一つであると思える。
結局同世代の人間を集めた学校内のクラスという中でも対等な関係というものはないのだ。
対等な島宇宙が存在するのではないとする指摘は重要だ。
宮台真司氏(制服少女たちの選択 講談社 1994年)への反論と言える。
これまでにも学生生活でグループ分けに人間を分類したような話は多く語られてきた辛酸なめ子氏による女子の国はいつも戦争によると自分の合ったグループに入って生活しようと提唱している
それ自体が間違いではない。
しかしそのグループ間に上下関係があること。
権力などが違いがある。
また一番下の受け皿層に所属する生徒達にとってはあまり気分よく過ごせる環境ではない。
個人的に小中高時代を振り返ってみてもクラス内の力関係が平等ではなかったと思う。
ただ一番上の層の子達が周りに配慮できるなどがあれば状況は大きく異なる。
小学校時代はガキ大将と仲良くしていた為、グループ間で阻害されることもなく過ごせた。
高校時代もあるにはあったものの大学受験に向けて必死になり、あまりそこまでグループ間うんぬんどころではなかった記憶がある。
受験勉強の影響もこのクラス内でのカーストに多大な影響を与えているのではないか。
もっとこの辺はつめてもらいたい。
スクールカーストの順位が対して変わらないという本書内の指摘については噂や情報が学年間で共有されていることに加え、本人の能力、性格、資質も影響するからだろう。
教師側がカースト構造を能力によって出来ていると見る考えはある程度正しいと思える。
鈴木翔氏の研究はまだはじまったばかりと言える。
本書内でも認めているように
研究対象事例が少ない。
特に教師側への取材は不十分に感じた。
いじめにせよ、それをうむ土壌たるスクールカーストにせよ固定されたクラス制度があるが故の問題である。
だからゼロにするのは難しいだろう。
しかしある程度の緩和策をうっておくべきではないだろうか。
教師側も本書からグループ間の力関係など複雑に絡まる生徒たちへの配慮をしつつ共同作業、グループ学習をさせてやって欲しいと思えた。 -
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スクールカーストの実態を一冊の本にまとめたのは評価されるべきで、内容も示唆に富んでいます。
中学・高校での人間関係はサバイバルだと感じますし、僕らの時とは質が違っています。カースト序列を変更する手立ては(今のところ)無くて、カーストそのものを廃する方法も分かっていない……。人間関係を考えれば、仲の良い人同士で集まってグループが出来上がるのは当たり前の事なのですが、カーストの『見えない力』によって自分の序列に合った人としか接する事が出来ないのは問題だと思います。
カースト上位はクラス運営の実権を握っているが円滑に進めなければならないという暗黙のプレッシャーがあって大変だし、カースト下位は上位者に見下されて大変だし、結局どこに属しても苦痛であるのは変わりません。
グループ内での人間関係は良好で、心の安寧がありますが、上位グループでは足の引っ張り合いが横行し、居場所としては不安定のように感じます。『今度は私が(下位グループに)落とされるかも……』という不安を抱えて生活していては、精神的に滅入るでしょう。
僕の中学生活は、教室では一才喋らないで本を読む地味で無口な心配児でしたが、部活動のテニスではぎゃあぎゃあ騒いで先輩・後輩共に仲良くしていました(部長でしたしね!)。そんな『教室では大人しいけど部活では円満な人間関係』だったから、随分と先生方に心配されていたようです(笑)。
何が言いたいのかというと、学校では問題児でも、家では家事を手伝う子だっているだろうし、その逆もあるだろうし、学校だけが全てではないということです。自分の安寧する居場所を最優先で確保していれば、多少の我慢もできるのでは、と思います。しかし、生活の殆どを学校で過ごす学生にとって、その学校生活が苦痛であるならば、焼け石に水かも知れません。
その、スクールカーストの何が嫌かって、カーストの基準でしか人間を測っていないんですよね。多様性を認めない、これが感情的に許せない。性格や人格等ってのは、多様であるからこそ面白いのであって、それを教室内の雰囲気に合致するように行動しなくてはならないってのは違和感があります。
例えば、僕の知り合いに空気を読まない人がいますけど、『お前空気読んで行動しろよ』と強制するのは簡単ですが、それは僕と彼の関係のみ適用されるのであって、彼が持つ他の友達からは『(空気を読まないのが)いい!』と言ってくれる人だっているかも知れません。だから強制はしないし、できるものでもありません。彼のすべてが僕のものならば話は別ですが、彼は彼の人間関係があります。僕はそれを尊重したいのです。
そういった尊重性が教室内カーストには無く、上位グループ・下位グループが共に蔑み合い、畏怖し、負の感情を持っていれば、そりゃあうまくいかないでしょう。
学級運営を円滑に進めるためにはスクールカーストが必要悪と、教師側の意見として挙がっていますが、スクールカーストを利用しなくても円滑に進められるシステムがあると思うし、もっと研究が必要です。これからの成果に期待します。
僕の評価はA-にします。 -
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本田由紀さんによる追加考察
①「スクールカースト」のような集団間の上下関係が最も顕在化するのが教室内であるならば、その教室の構造にこそメスを入れる必要があるのではないか。
②「スクールカースト」が顕在化するのが教室内であるとしても、自分(たち)の押しの強さや有利な立場をよいことに、他者に敬意を払わず押しつぶすようなふるまいは、日本社会のいたるところに見られるのであり、そのようなより広い社会的な素地をももっと踏み込んで問う必要があるのではないか。
この2つのことについては、私自身も本書を読み進めていく中で感じていたことと同じだったので、私自身も教員としての経験を伊達に積んできたわけではないなということを再認識することができたのが、最大の収穫かなと思っている。
それにしても、インタビューに応じた若い教員の科白を読んでいて、教員の質が低下したなと言われざるを得ないことも痛切に感じてしまったので、まずは私たち公立学校教員とはそもその誰のために、何のために存在しているのかをきちんと総括しておかなくてはならない時期に来ているということにも痛感させられた、ということも付け加えておきたい。 -
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「いじめ」という問題ではなく、「スクールカースト」という現象として教育の現場を探求していく一冊。
感情論になりがちなテーマに対し、アンケートやインタビューを用いた定量、定性の両角度から考察を行っている点は評価できる。(後半の教師陣の意見は極端すぎるとおもうが笑)
そもそも群れを作る動物は狼であれサルであれ自然に優劣をつける習性がある。生物学的にそのほうが集団での意思決定が容易だからだ。(サルで言う餌の配分、クラスでの文化祭の出し物など)このことを踏まえると、この本では「各人を尊重するような道徳教育を~」のような理想論ではなく、きちんと「環境を変える」や「感情をコントロールする」などの現実的で生産的な提言がなされており、一読の価値がある。
最後にスクールカーストについて私が思うことは能力が必ずしもカーストを決めるわけではないということだ。もしカースト上位に○○力に秀でた人間が多いとすれば、それはスクールカーストに適した○○力が各層ごとに形成されているだけに過ぎない。その為、下位カーストに配属されることで、自分が先天的に劣っているときにやむ必要はないのだ。 -
Posted by ブクログ
スクールカースト…つまり、学校生活を送る上で教室内に必ずと言って良いほど存在する児童生徒たちの序列、ランク分け。本書はアンケートや教員・大学生へのインタビューなどを用いてスクールカーストについて少々粗くはありますが、考察されていきます。インタビューなんかは口調もそのままに記されていますので、その方のランク以外のものも自ずと見えてきて非常に興味深かったです。当たり前のことかもしれませんが、「私」は一人しかいないので、小中高の時間に「私」という一通りのあり方で身を置くことが出来ません。結局他の学校や他のランク、他の見方や経験は、他人から話を聞いたりこうやって本を読むことでしか知ることが出来ないのだなあと、改めて思いました。