檜垣立哉のレビュー一覧
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ベルクソンやドゥルーズの生命の哲学を参照軸に、西田幾多郎の思想を読み解く試み。
西田の「純粋経験」はあくまで現在の経験だが、ベルクソンの「純粋持続」と同様、異質的な連続性である一連の流れをも意味している。したがって、純粋経験は潜在的な体系であり、みずからを無限に発展させてゆく動的な全体だと理解しなければならない。
だが、著者はこうした説明には一つの困難がつきまとうことを指摘する。それは、ほんらい現実化されたものとしては描けないはずの「全体」を、「現在」というあり方を拡張することで、あたかも一つのものとして描けるように想定してしまっているという問題だ。
西田は、無限に発展してゆく「自覚」の -
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水野先生の課題図書
まさか西田幾太郎さんの哲学を読むことになろうとは思わなかった。いつも水野先生には不意を衝かれる形になる。でもこれが自分の趣味嗜好から、私の脳の癖から抜け出す機会を作って戴けることになるのだからありがたい。それは水野先生に限らないだろう。すべて誰かに薦めて戴ける本はきっとそういう効果を私に与えてくれている。
著者の檜垣立哉さんが『哲学的直観 ほか (中公クラシックス) 』でベルクソンさんの解りやすい解説を書かれていたと水野先生に話していたので、きっとこの本を選んでいただいたのだろう。
養老さんが哲学者本人の著作を読むとその人自身の脳の癖があるからわかりにくくて、凡人は彼 -
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フーコーは「正義」に依拠する思考を徹底的に拒絶する。そうした「革命」の夢想が、実は管理=コントロール型権力が発揮される、もっとも格好の実例ですらあることを、理論的にも歴史的にも確認しようとする。フーコーの<生権力>論の一つの核は、排除されたもののルサンチマンに支えられた転覆の思考が、実際には権力の補完物や相補物でしかありえないという、この時代の政治的主張の困難さをどこまでも問いつめていくことになる。p32
正しい社会をつくるために、誰もが監視の一機構になり、誰もが権力の一翼を担い、誰もが誰かくぉ売り飛ばす。p106
生命と衝動によって見いだされる性という領域こそが、権力の攻略点であり、倫理 -
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先端諸科学が描きだす、統一的でない諸学のメタ構造を考える。何かの経験や位相や時代に統合されえない、メタ的な場所を描きだす。これが、ドゥルーズやその世代の思想家に課されたテーマであったといえる。そのために、テクスト自身の、その読みの精度を高めていく。それはまさに、「超越論的経験論」を考えるという、そもそも異種結合のようなアイデアをもって繰り広げられるドゥルーズの記述の根本にあるものである。p43
ベルクソンの読解においては、何がポイントであったのか。いうまでもなく、潜在的(ヴィルチュエル)なものが、「生命」という主題に深く結びつけられたことが捉えられるべきである。この二つのテーマを発展させるこ