大畑末吉のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
初心に帰って世界的な童話を読み直し。
■親指姫
まず親指姫の育ての親が不憫。(ヒキガエルの元から逃げ出したあと帰る気ゼロなのなんで~!)
次にスイレンの葉に勝手に括られた白いチョウ。葉をはやく水面を走らせるために、リボンで結んじゃうって、、
かわいい親指姫に利用されて、結果的に命を落とすの悲惨すぎる。
あと全体を通してルッキズムがすごくてもはや面白い。親指姫はかわいいから攫われて結婚させられそうになるし、でも誰かに助けられるし、養われるし、最終的に理想的な王子様と結婚する。
親指姫の内面の美しさについては、あまり言及がない。(ツバメを介抱した献身性くらいか)
ヒキガエルやモグラの求婚を拒んだのも、"みにくい"という見た目上の理由が第一なのが、児童書とは思えない程リアルである。。
■皇帝の新しい着物
かの有名な「裸の王様」の原作。人の心理を鋭くついた名作。スケールは異なるが、大ヒット映画「君の名は。」を1回観て理解できないと頭弱いと思われるので、ちょっと言いづらい現象と少し似ているか。((私は理解できなかった))
■小クラウスと大クラウス
とても児童に読ませられないほど、えげつないことをする主人公たち。
とんでもない策士の小クラウスの罠に、まんまと嵌っていく大クラウス。
こういう話は勧善懲悪で小クラウスを応援する目線になりがちだが、なれない。とことん不幸に追い込んでいく小クラウスの執念恐ろしすぎる。
■モミの木
人を羨むばかりで、目の前の幸せを大切にできなかったモミの木の切ないお話。
人には人の闇があり、つい光り輝いてる姿ばかり目がいきがちであることを、考えさせられた。
こちらも大人向け。
■みにくいアヒルの子
みにくい、他と見た目が異なる、という理由で、集団、そして育ての親からも蔑ろにされてしまう哀れなひよこ。しかし苦しい日々を乗り越えて、最終的に美しい白鳥に成長できたというハッピーエンド。
見た目だけであんなに蔑まれてたけど、本当の仲間にも巡り会えたし、最後はみんなに見た目を美しいと言ってもらえたからよかったね、というのは果たして本当にめでたしなのか??
■おとなりさん
これまた最初は描写が読みづらいが、なかなか考えさせられる大人向けのお話。美しい薔薇を認めない、心が貧しい雀はとても哀れに見えた(最後まで改心せず)。
美しい人は心が豊かで、他者を認め、人に優しくできる。そして自分は恵まれていると考え、人生が好転していくという、人生の核心をついている。
他者を認める心の余裕は、いつまでも持っていたいものだ。
-
Posted by ブクログ
アンデルセンはどうしてこんなに子どもの気持ちが、分かるのでしょう。
特に第二十二夜の話が好きです。
私が悪いのかなあって感じる心は優しさ、寛容さ、純粋さなんだと思います。
大人になると出来事が複雑になり、罪を感じる気持ちがどこからくるのか見えなくなりますが、それってもしかしたら遠い遠い子供の頃の自分の声かもしれません。
リストラ、失恋、死別など世の中には自分の力ではどうにもならない事故みたいな出来事があります。ああすればよかた、こうすればって後悔することも。
でも、これって私のせいじゃないかもって肩の荷物を下ろすきっかけになりそうなお話です -
Posted by ブクログ
大好きな本です。ずっと岩波文庫の大畑訳に親しんできましたので、特装版嬉しいです。挿絵がガラリと変わっていますが。。
月の光が
愛すべく人たちにやさしくキスするところが好きです。
なつかしい月は
詩人のさみしい部屋のおくまでやさしい光をさしこんで
ほんの短い時間 月が見てきたことを話してくれる。
「わたしの話すことを絵におかきなさい。
そうしたら、とてもきれいな絵本ができあがりますよ」
大好きなのは第三十三夜 最後のお話し,
ねむる前に主の祈りをとなえる小さい女の子。
おかあさんがお祈りの途中でさえぎりました。
「おまえは、今日もわれらに日々のパンをあたえたまえ、といってから、まだなにか言ったことね…それはなんなの?おかあさんに言ってちょうだい。」
「おかあさん、おこらないでね!
あたしね、こうお祈りしたのよ。
『そして、パンの上にたくさんバタをつけてくださいまし』って!」
きゅゅゅゆん!
-
Posted by ブクログ
ハンス・クリスチャン・アンデルセン(デンマーク語読みではハンス・クレァシテャン・アナスン)だそうです。
裸の王様,みにくいアヒルの子,おやゆびひめ,雪の女王など,よく知られた話も多いですが,特に好きなのは次の2つ。アンデルセンの童話の中ではちょっとマイナーかもしれない。知る人ぞ知るってやつか。知らない人は知らない。
「赤いくつ」
すっぱりと切られたカレンの両足が赤いくつをはいたまま,どこまでもどこまでも踊り続けていく姿のすさまじさ。カレンの小さな部屋が変化し,大天使とともに天に召されていく場面の美しさ。イメージが圧倒的。
「エンドウ豆の上でねたおひめさま」
そんなこともあるのかあ,,子ども心に,ただただ「ほんとうのおひめさま」に感心した。この話の微妙な気持ちのよさはなんだろう。こんな話をすらっとかけるアンデルセン,やっぱり天才。
アンデルセンは,パンもおいしい。デニッシュ系が特に。
ぜひコペンハーゲンに行って,人魚姫の像を写真にとりたい。
人魚姫といえば,結末がいろいろあるというのをはじめて知りました。王子を殺すことができずに海に身を投げたあと天国に行きましたバージョンと,空気のアワになって消えていきましたバージョンと,空気の精になって天国に召されましたバージョン。わたしが小学校の時に読んだのは,アワになって消えていくものでした。それだけに悲劇性が強かったように思います。 -
Posted by ブクログ
今回再読してみてまず最初に感じたのは、アンデルセンの童話こそ「大人のための童話」なのかもしれない・・・・ということです。 これは翻訳の力が大きいのかもしれないのですが、KiKi にはこれらの童話が童話・・・・というよりは詩に近いものに感じられました。 ・・・・と同時に色彩描写の美しさには目を見張るものがあります。 KiKi が「アンデルセンは絵本的」と感じていたのは、ここにも理由があるのかもしれません。 アンデルセンの物語のイメージはアニメ的な絵ではありません。 どちらかというと色鉛筆か水彩画のイメージだと思うのです。 ありきたりの言葉を使えば「繊細」とでも言いましょうか・・・・・。 グリム童話はどちらかと言うと原色的だったと思うんですよね。
美しさ・・・・という点ではまさにそんな感じなのですが、物語そのものに関して言えば、素朴さ(というよりは野性的?)は薄く、とても思索的です。 どこかに「諦念」が必ず見え隠れしていて、だからと言って拗ねたり開き直ったりするのではなく、美しい形でそれを消化し物語の行間に感傷、もしくは悲哀のヴェールを被せている・・・・そんな感じがします。
(全文はブログに) -
Posted by ブクログ
15,16夜を読み終わって呆然としている…私はこの話を知らんまま30数年生きてきていたのか?!
たった数ページの童話なのに鈍器で頭殴られたような衝撃。これが読書の威力ですか…!!
初めて作品が世に出たのはアンデルセンが34歳の時とのこと。アンデルセン。。本当に人間なの?なんか人間が到底辿りつかない、神様に近い領域にいる何者かが書いたような、美しい童話だった。
まあよくよく考えれば人魚姫もわりかし衝撃的な悲劇だものね…
他のアンデルセンの作品も読んでみたくなった。
訳者あとがきの大畑末吉の、「一つ一つの物語は真珠のように完全で、全体は万華鏡のように多彩で美しい」という言葉が印象的だった。
-
Posted by ブクログ
アンデルセン童話の最高峰、「人魚姫」が収録。子どもの頃に絵本で読んだはずだが、年頃になるとディズニー映画の「リトルマーメイド」のストーリーが先行してしまっていたので、原作はバッドエンドであるということをすっかり忘れていた。
アンデルセン童話の特色とされる情緒性や、豊かな色彩描写を堪能できた。
全体を通して童話集1と比べると、心の清らかな主人公が多かった印象。"たましいの救い"を心の拠り所とする宗教的な価値観も強く見受けられた。
解説によると、童話集1は昔からある伝説や民話に基づいた民族童話が多かったそう。(グリム童話寄り)物語によって作風の違いを大きく感じたので、納得した。 -
Posted by ブクログ
■赤いくつ
子どもの頃読んで怖かった印象が強いお話。原作はより宗教色が強い。
小さい子どもが読んだらトラウマになってしまうだろう。。ただ物語が生まれた地域、時代においては、信仰心の大切さを説くという意味で強烈なインパクトを残す名作だと思う。
アンデルセン童話では度々、堅信礼が登場し、重要な意味をなしている。
■びんの首
びんの首が自身の身の上話をするお話。
びんの首ひとつで、ここまで物語を膨らませる創造力にあっぱれ。
■年の話
四季を1人の一生として捉えるお話。
よろこびの春の王子をコウノトリが連れてきて、たくましく育った夏を迎え、実りの秋を迎えた後は、雪のような白髪の老人になっていく、、そしてまた春がやってくると、霧のようにどこかへ運ばれていく。
季節の移り変わりの情景描写が美しい。
デンマークは日本と同様に四季がはっきりしていることを知った。
■さやからとび出た5つエンドウ豆
エンドウ豆の行方を追ったわかりやすいお話。故郷は同じでも、その後の人生はそれぞれ異なる。ただ、病床の女の子に希望を与えたエンドウ豆だけが立派なわけではない。鳩の餌になった豆たちも、下水と一緒に暮らす豆もみんなそれぞれよいのである。
■あの女はろくでなし
これは表題から想像していたストーリーとまったく異なった。
アンデルセン自身の母について書いた物語とされており、その内容はとても切ない。
不幸な身の上ゆえに、僅かな食べ物はほとんど息子に与えて、自分は酒で寒さを誤魔化して体調を崩しながら働く。亡くなったあとでさえも「酒のために死んだ、あの女はろくでなしだった」と他人から後ろ指を指される。
母の深い愛情を知るのはその子どものみなのに。
■ロウソク
ロウソク目線で心情を捉えたお話。ミツロウのロウソクは住まいも豪華で、自身の役割にも誇りを持っている。そんなミツロウのロウソクを羨ましく思う鯨油のロウソク。ただ自身も、女の子の顔を幸福に光輝かせられたとき、自身の人生の幸福を知る。
■とうさんのすることはいつもよし
単純明快なストーリーで面白い。他の童話とは少し毛色が違う印象。側から見ると、おかしな物々交換を繰り返す百姓だが、おかみさんはいつも褒め称え、「うちのとうさんほど賢い人はいない、とうさんのすることはいつもよし」と信じている。
とうさんは気持ちいいだろうなぁ。見習いたい精神である。
■雪の女王
アナ雪の原作&長編だったことで期待値が高まり過ぎたかもしれない。
ガラスの粒が突き刺さったカイは不幸だが、突然意地悪になった後もゲルダはカイを嫌いにならず大切に思うのは、子どもにしては寛容で大人すぎる。
様々な困難や恐怖に打ち勝って、カイを助けに行くゲルダは勇敢そのもの。これはゲルダの物語である。山賊の小娘は野蛮であるが、意外にも人情深い。登場人物の中で一番魅力的に見えた。
少し不満だったのは、ラスト。やっとのことで雪の女王と対峙できるかと思ったら、直接的なシーンはなし。ガラスの粒を持つカイを救うのは困難を極めるはずなので、ここでの説得シーンが山場かと思いきや、意外にもあっさり元の姿に戻るのが拍子抜け。その後も雪の女王が立ちはだかるかと思いきや、現れず。。
ゲルダの強い愛と信念が、周りの人(動物)たちを動かし、道を切り開いていくストーリーとしては非常に面白い。 -
Posted by ブクログ
大畑末吉訳による『完訳アンデルセン童話集』は全7巻だが、岩波少年文庫では3巻におさめられており、その最終巻。
有名なところでは『赤い靴』、『雪の女王』を収録。『赤い靴』ってこんなに殉教的な話だったんだ。
『雪の女王』は子供の頃、レコード付きの紙芝居をもっていたので話は知っているつもりだったのだけど、完訳版だと結構長い(そして残念なことにそれほどおもしろくない)。行く先々でカラスから山賊の娘まで、いろんな人がゲルダを助けてくれるんだけど、それがゲルダ自身の持つ「やさしい罪のない心」の力だと言われても。雪の女王は思っていたより悪い人でもないし、カイのヘタレっぷりはあいかわらず。
「いったい、あんたのために世界のはてまでいくほど、あんたに値打ちがあるのか、あたしは知りたいね。」
『びんの首』、『古い家』など時の移り変わりを描いた作品が印象的。白眉は『「あの女はろくでなし」』。すごいタイトルですが意味がわかると、アンデルセンの母親への愛と尊敬が感じられます。
ちなみに昔『アンデルセン物語』というアニメがあったのだけど(1971年放映なのでさすがに再放送を見たのだと思われ)、そのなかで『氷姫』という話が結構トラウマでした。
タイトルが『雪の女王』に似ているけれど別の話。氷姫に気に入られた男の子が成長して青年になると、彼の結婚式の前日に指輪を取りに海へと潜ったところ氷姫に連れ去られるという、ホラーのような物語。岩波少年文庫版には収録されていないけれど、『完訳アンデルセン童話集 5』に収録されているようです。
アンデルセン童話集って子供向けじゃないよなということを再確認した3冊でした。
以下、引用。
その絵の下のガラスのうしろに、ひからびた花たばがかけてありました。これもきっと五十年たっているのかもしれません。そのくらい古く見えました。大きな時計のふりこが、いったりきたりして、針がまわっていました。すると、へやの中のものがみな、いっそう年をとりました。
-
Posted by ブクログ
『アンデルセン童話集 1』は『おやゆび姫』や『みにくいあひるの子』など、いかにも子供向けの童話!という感じの話でしたが、『童話集 2』は『人魚姫』、『マッチ売りの少女』など、アンデルセンの中でも暗い話満載で本領発揮という感じです。
靴を汚したくなくて白いパンを踏んだため、泥の中に沈んでしまった『パンをふんだ娘』とか、病気の男の子のために咲いた花(『天使』)とか、解説のいうところの「深い宗教的な諦念」が感じられます。
『人魚姫』は子供の頃は、助けてくれた人魚姫から王子を奪うなんて、隣の国の王女はひどい!と思っていたんですが、今読むと徹頭徹尾、人魚姫の片思いですね。
「王子のへやの外のビロードのクッションで寝てよろしい、というおゆるしが出ました。」なんていう一文もあって、これってセクシャルなメイドみたいなものじゃないの?(倉橋由美子版では人魚姫は愛人として書かれてるとか。)
王子にとって人魚姫は結婚相手どころか、恋愛対象ですらなかったのでは。
人魚姫が王子を殺しに行くのが、新婚初夜のあとのふたりの天幕だというのもなんだか気持ち悪い。
さらに、人魚姫は海の泡になって終わり、ではなくて、泡から空気の精となり、300年のあいだ、よい行いをすると、「不死のたましい」を授かり、神さまの国へのぼっていけるというラストでした。妹は「なにその苦行」と言ってましたが、ほんとだよ。
一方で、『野の白鳥』でエリザがさまよう森の描写の美しさとか、子供向けの本ではわからなかったアンデルセンの魅力も感じられた巻でした。
以下、引用。
「小さい時、よくわたしの前かけをふみつけたけれど、大きくなったら、わたしの心をふみつけはしないかと、それがしんぱいだよ。」
世の中のすべてのものは、紙の上に描きうつすことができるものだということを、青銅のイノシシにおそわっていたからです。しかも、フィレンツェの町は、そのページをくる人にとっては、一さつのりっぱな絵本なのです。
こうして、大きい天使も小さい天使も、みんな声をそろえてうたいました。祝福を受けたあのよい子も、引っ越し日のがらくたものやくずの中にまじって、せまい暗い通りに投げすてられた、ひからびた、みすぼらしい野の花も、みんないっしょに。
王子は姫に、いつまでも、ここにいるようにといいました。そして、王子のへやの外のビロードのクッションで寝てよろしい、というおゆるしが出ました。
小鳥のことを、だれよりも深く思いやって、どうかしてなぐさめてあげたいと思っていたヒナギクのことは、だれひとり思いだす人はありませんでした。
「だが、わしの読んだ本というのは、日本のえらい天子さまよりおくられてきたものじゃ。うそいつわりであるはずはない。」
それというのも皇帝が、心臓のあるほうのがわを、いちばん上だと思っていらしったからです。そうです。心臓は皇帝の場合でも、左がわにあるんです。
まわりの草のなかやコケの上には、なん百というホタルが、みどりいろの火のように光っていました。手でそっと一本の枝にさわりますと、まるで流れ星のように、ふってきました。