綾屋紗月のレビュー一覧
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常識やコモンセンスといった液体で満たされたグラスの中に、マイノリティー成分とでも呼ぶべき固体(氷みたいなもの)が沈んでいる。
恐らくはこの液体・固体両者を含めてのものが「私」。しかし色のついた液体は容易に固体を覆い隠す。またその状態こそが正解だと思い込まさせられる。結果、固体をもった私は「悪い私」となってしまう…。
「対話」の場は、そんな「私」達が集い、氷を中央のボウルへと入れていく「場」である。このボウルは、安全安心という規則のもとで、出来るだけ常識・コモンセンスという液体が混ざり込まないように工夫されている。そこに集められた氷達は、ゆっくりとボウルの中でとけだし、緩やかに混ざりあう。 -
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私と似通った特性の綾屋紗月さんの当事者研究、パートナーの熊谷氏との共著。
自らの特性を深く追求し、研究し続けるさまに、頭が下がります。
多くの発達特性の人は、自らのセルフモニタリング能力が難しい中、綾屋紗月さんは、当事者研究に立ち向かっている生き様に、あこがれをいだきました。
私のこれからにも、
当事者研究のスタートラインに立てたように思えました。文中のなかの、独特な表現に、「わたしも、あるよな〜で、おうちで、ぐったり」とうなずける部分あり。
熊谷氏のつながりの研究にも、頭が下がります。
当方、福祉の仕事についているため、利用者様に寄り添い、ただつかずはなれずてきにも、支援しようと学びの機会に -
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当事者研究、熊谷先生、「つながり」に関心があり手に取った。
ASD当事者と脳性麻痺当事者の、身体の中の「つながり」、他者・社会との「つながり」をベースに当事者研究について綴られていた。
自分の弱さをそのまま他者やコミュニティに共有し、少し心が軽くなる。また、それを経て自己の理解を更新し続ける。当事者研究のあり方をそう理解するならば、心や身体の状態に疾病や障害の名がついていなくても、苦しいと感じることがある人なら誰でもこの取り組みに共感し、実践していけるものだと思った。自分自身、何度も救われてきた友人との対話がこれに近いのではと感じた。
何度か引用されていた「その後の不自由」も読みたい。
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「当事者研究の可能性」という章の中に、「所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観」という基本設定が文化人類学者の大村敬一さんにならって「構成的体制」と呼ぶことにして紹介されているが、この「構成的体制」と、「個人の日常実践」との相互循環という考え方が読後に一番印象に残った。個人間の差異だけ見る、木だけ見るのでもなく、構成的体制という全体としての森だけを見るのでもなく、木のために森を見て、森のために木を見るというような印象を受けた。また、この構成的体制というのは、普段「当たり前」としていて意識にものぼらないもののことで、構成的体制を無意識に受け入れられているときは人は自由に思考できるとい
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冒頭では、そもそもアスペルガーとは、自閉症とは何かを、筆者の日常とシナプスの結合という科学的な仕組みにより、非常にわかりやすく、イメージされやすく解説している。
その後、個と集団の両立の難しさや、同族感による安心感と煩わしさなど、私にも共感出来るような形で書いている。
個人的には、人と違うことは不安だけれど、かといって同調しないといけないのは面倒だという人間関係にはすごく納得がいった。
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綾屋さんは、アスペルガー症候群と自分が気づくまで、自分と周りとの違い悩んだ。
やっと同じ症状の人がみつかり安心感を得られ、アスペルガー症候群への理解高まり、生活しやすくなるだろうと思ったら、そ -
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過剰につながれない綾屋と,過剰につながりすぎる熊谷の両氏が,それぞれの立場から,多様な他者を他者として認めた上でどのようにつながれるのかを考察した一冊。
どのようにしたらつながることができるのか(つながりの作法)についての著者らの考えは大きく4つにまとめられる。
1. 世界や自己のイメージを共有すること
2. 実験的日常を共有すること
3. 暫定的な「等身大の自分」を共有すること
4. 「二重性と偶然性」で共感すること
これらのポイントはなかなか実践するには困難があるものの,ポイント自体は納得できるものであるので,興味のある人は本書で確認してみてほしい。
個人的 -
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アスペルガーの当事者の「つながらなさ」と脳性麻痺の当事者の「つながりすぎ」を比較することで、「つながりの作法」がどのように生まれ、そしてそれがいかに私たちを生きやすくしていくかを考察された本である。そしてその考察のヒントとして「べてるの家」の当事者研究、「ダルク女性ハウス」での自助グループ体験体験があげられる。「べてるの家」も自助グループから始まっているので根は一緒であるが。ただ自助グループから当事者研究への発展は「べてるの家」での実践から始まっているもので、当事者研究がいかに「つながりの作法」に通じているかがストンと身に落ちた。自助グループに色々と参加している専門家としてはいつも体験していて
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著者である綾屋さんは発達障害(自閉症スペクトラム)、熊谷さんは脳性まひという障害を抱えており、「自分がどう感じ、どう困っているのか」「他者とどう関わってきたのか」を、身体感覚や言葉、記憶を通して丁寧に語っている。
正直、専門的で難解な部分も多く、読み進めるのに時間がかかった。それでも、二人の語りからは、自分の感覚や苦しみを言葉にすることの切実さが、ひしひしと伝わってきた。
困難を抱えながらも他者とつながるとはどういうことか、その意味を深く考察しており、違いを認めたうえで関わり合うことの大切さを学ばせてもらった。
まだ咀嚼しきれていない部分もあるが、「違うまま共に生きる」ためのヒントをくれ -
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第六章「弱さは終わらない」は、すごかった。
綾屋さんのぐるぐる沼感。
(そこまでは、淡々と当事者としての自己分析でわかりやすい。別にアスペルガー症候群の当事者でなくてもわかるところもある。)
第六章はなかなか生々しく、これはこれでそういうことなんだろうなと思った。
としか、言えない
「誰にも言えない」から「私には話さねばならぬ責任がある」へ。
「相手に迷惑をかけたくない」「相手をいやな気持ちにさせたくない」と思って話せないでいるのに、そうして黙り込むことこそが加害行為になってしまうと。
話すのは怖いけど、沈黙の暴力をふるわないために、私には「話す」責任がある。そこまで来てようやく、人に打ち