家相というものに流派があるなんて初めて知った。しかも10以上もそれがあるとすれば本当に家相が悪いという判断は保留しなければいけない。
我々が使う家相はそう著者も言っているようにどれを利用しても問題ないはず、そしてたいていの案件はこれで解決してしまう。なんて素晴らしいことなのだろう。
結局こういう問題は最後に行きつくところが日本の心というところなのだろう。はっきり言ってしまえば神、神様の成すすべに我々は乗っかっているようなものだと感じる。
出雲大社にいけば鬼門はなくなる
お金持ちになりたいのならば恵比須様を祀れ