野家啓一のレビュー一覧
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アリストテレス、プトレマイオス、コペルニクス、ガリレオにニュートン、あるいはフレーゲ、ポパー、クワインにクーンといった人達が何を主張したのか。
個別にはよく知られていると思いますが、それらを繋げて整理することができる本です。
本書は3部立てです。
第1部は科学史です。
まず、古代ギリシアにおける自然観=アリストテレス的自然観が出発点です。
このアリストテレス的自然観は、現代の知識を持っていなければ、「そうかも」と思ってしまいそうなもので、次のように整理されます。
1 古代天文学のセントラル・ドグマ
(1) 天上と地上の根本的区別
(2) 天体の動力としての天球の存在
(3) 天体の自然運動 -
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「歴史は過ぎ去った過去の出来事の記述である以上、その出来事を直接に知覚することはできず、言葉による『語り(narrative)』を媒介にせざるをえない」(p.183)
これがどういうことなのかを、かなり丁寧に解説してくれます。
ただ、解説が平易でも、色々な学説を広く引っぱってきているので、読者への要求水準は高めかもしれません。
著者が分析哲学(科学哲学)の人だから科学哲学だけ押さえておけばいいというわけではなくて、解釈学、現象学、心理学…も知っている必要があります。
ただ、同じことについて別の視点から語っていることが多く(それこそ複数の射映を提示して志向的統一に至るということを読者に体験させ -
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科学とは何か。その問いに答えるため、科学史、科学哲学、科学社会学の三つの観点から論じた本。理路整然とした文章で、取り扱っている内容も質、量ともにバランスが良く頭に入れやすい。
印象に残ったことは、古代理論が長い間支配していたのは、理論が日常の知覚的経験と合致していたから、また、理論の中核的な規則が、当時の信仰的背景と親和性を持っており、そのため、革新的な考えは発案者すら葛藤を生じさせるものであったからである。
このことは、科学の発展を考える上で重要な事例である。なぜなら、科学とは仮説であることを如実に表している事実だからである。
仮説ではあるが、悲しいことではない。科学とはそういうも -
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学術書(講義録だからそこまで厳密なものでもないけれど)を一気読みしたのはいつ以来だろう。本当におもしろかった。裏表紙の案内文に「人文科学の在り方を問い直す、知的刺激に満ちた本」とある通りだと思う。
でもそれは文字通りの意味で「人文科学の在り方」に興味がないとたぶんあんまりおもしろくない(そもそも講義ってことは、語りかけの対象が人文科学の学生になるってことだし)と思う。
逆に言えば人文研究を志す大学生には是非読んでほしい本と言えるんじゃないかと思う(参考図書の紹介も豊富だし。とりあえず僕は武田泰淳の『司馬遷』は読んでみようと思います)。少なくとも僕は学生時代にこの本を読みたかったです。
そ -
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科学者の端くれとして,科学哲学での考える科学と科学者の考える科学は違っているのではないかという動機で読んでみて,やはり違っているという思いが強くなった.
多くの科学者は,10章ポパーの反証主義に基づいていると考える.幽霊とか反証できないものは科学の対象ではなく,また反証されるまでの永遠の仮説で,絶対に正しい神話などではないという,周囲の科学者との交流で得ている認識と一致する.ただ,ポパーの中でも自然淘汰と関連付けるのはあまり同意できなかった.
しかしながら,その後の議論の展開には同意できない点が多い.次のクワインテーゼだが,すでに公理主義になった数学についての議論の過程で,経験的な観測につ -
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1982(昭和57)年著。
以前読んだ大森荘蔵さんの著作は結構面白く読めて共感する部分も多かったのだが、本書の前半、「視覚」現象を巡って常識を覆すような論が展開される部分は、どうも首肯できずに苦しかった。文章は哲学書としては恐ろしく平易・明解な方で、言っていることは理解できるのだが、どうしても「いや、どうかな、違うんじゃないかな」と疑わしい気持ちになるのだった。
しかし本書後半、「視覚」を離れて心的現象全般について哲学的洞察が繰り広げられ始めると、これはなかなか面白く、かつ、同意できそうな点も多くなった。「立ちあらわれ」という独特のキーワードを軸に、「自分」と周囲の風景や事物との関わりを -
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ネタバレギリシア的コスモロジー(アリストテレス的自然観)
=天動説
アリストテレスの運動(実体も量も質も)
可能態dynamisから現実態エネルゲイア
2000年信じられてきたアリストテレス的自然観が「科学革命」によって崩れる
=「十二世紀ルネサンス」
アラビア科学をヨーロッパ世界にもたらした
・アラビア数字
・位取り法
・60進法
・アラビア語の定冠詞al(代数学、アルゴリズム、アルカリなど)
・実証主義と実験精神(錬金術からくる)
コペルニクス「コスモロジーの転換」
ニュートン「天と地の統一」
ケプラー
ガリレオ「自然の数学化」
質的自然観から量的自然観へ
ギリシア科学 演繹法の論証科学 -
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天動説が間違っていて、地動説があっているという考えは、まだ学校で教えられているのかもしれないが、どちらがあっているか?という考えそのものが、社会のパースペクティブによって経験科学である自然科学が成立していくという、学問の歴史性を示している。
また、地動説が正しいとしたとしても、それはより、「何が中心か」、何が慣性系かを考える我々の習慣が強くなっていることを物語っており、マイケルソン・モーリーの実験の執念への奇妙さを生んだ。そもそも、この世界に慣性系を物語るような現象は観測されたことがあるのだろうか?観測されたこともない現象に基づき物理法則の仮説が生まれること自体、錬金術の補完的要素が科学に残さ -
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科学哲学者である著者が、クーンの考え方や生涯を「“科学”殺人事件」に見立てて紹介しながら、彼の登場による科学哲学の展開や今後について焦点をあて評じた本である。
ここでいう「”科学”殺人事件」とは、クーンの「パラダイム概念」が科学の合理的進歩を否定し、科学的知見や成果が相対的なものにすぎないとして科学の権威を失墜させた、という見解を指している。
しかし著者によると、パラダイム概念は科学的知識における進歩史観を否定したものではあるが、本来的(=クーンの意図したところ)には、パラダイム間は相互に理解不可能なものではなく、片方が立てばもう片方が立たないものではないという。そして何故クーンが科学を貶め