藤尾慎一郎のレビュー一覧
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炭素14年代測定の精度が向上し、結果、弥生時代の始まりが500年早まるということになったとのこと。
しかしながら、従来の弥生情報の中で学説を唱えてこられた方々にはなかなか受け入れられない現実もあるとのこと。
筆者は、500年早まったということを受け入れ、縄文から、弥生、古墳時代へ変遷していく日本の古代史をじっくりと事実を積み上げ、また、異説もきちんと紹介しながら、現時点の結論を導いている。
従来から日本列島に住んでいた、「在来民」、在来民が水田稲作とも接するという「園耕民」という概念など、縄文文化と弥生文化の交流を日本列島に住まい当時の人々の社会のあり方が感じられ、とっても面白く読めました。
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藤尾氏は国立歴史民俗博物館において、AMS炭素14年代測定で弥生時代の開始を500年遡らせた立役者であり、2014年にあったという「弥生ってなに⁉」展の中心人物である。それらの成果をコンパクトにまとめたのが、この一冊だと思う。
遠く岡山の地に居て、藤尾氏のこの10数年の研究をほとんど追ってこなかった身にとり、思った以上に刺激のある一冊だった。
以下、学んだ所、気になった所をずっとメモしてゆく。長くなるかもしれないので、とりあえず最初の頃の一部分だけ。
◯炭素年の測定方法を簡単に書いているが、文系の私にはどうも理解出来ない。ただ1950年を基準にするとは驚き。これ以降は核実験が広く行わ -
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<目次>
プロローグ 弥生前史~弥生開始前夜の東アジアと縄文晩期社会…コメの出現
第1章 弥生早期前半(前10世紀後半~蝉世紀中ごろ)…水田耕作の始まり
第2章 弥生早期後半~前期後半(前9世紀後半~前5世紀)…農耕社会の成立と水田稲作の拡散
第3章 弥生前期末~中期前半(前4世紀~前3世紀)…金属器の登場
第4章 弥生中期後半~中期末(前2世紀~前1世紀)…文明との接触とくにの成立
第5章 弥生後期(1世紀~3世紀)…古墳時代への道
<内容>
「弥生時代は紀元前10世紀にはじまった」と炭素14年代測定で発表した、国立歴史民俗博物館の教授による、弥生時代の通史。プロローグにあるよ -
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縄文時代は狩猟採集で弥生時代は水田耕作が始まった―なんとなくの時代区分として覚えているのはこんな感じです。つまり調理器具としての縄文土器と、貯蔵具としての弥生土器の違いが紋様に現れているわけです。でも実際に時代を区切るのは難しく、とくに文字記録もなく全国が統一されていたわけではない先史時代の時代区分はもっと複雑です。
たとえば東北地方では、紀元前3世紀頃から水田耕作がはじまったとされますが、気候の寒冷化・乾燥化にともなって紀元前1世紀頃には再び狩猟採集生活に戻っています。この水田耕作が行なわれていた間を弥生時代と呼んで良いのか、専門家の間でも議論が分かれています。
同様に関東地方に水田耕作 -
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<目次>
序章 先史の時代区分~考古学はこう考える
第1章 土器の定着、人びとの暮らし~旧石器時代から縄文時代へ
第2章 農耕社会の成立~縄文時代から弥生時代へ
第3章 変化する社会と祭祀~弥生時代から古墳時代へ
終章 先史時代を生きた人びとの文化~列島各地の暮らし
<内容>
いわゆる「考古学」の時代を、それぞれの時代の境目を中心に論じた本。具体的な各学者の説をきちんと説明し、その違いも分かりやすく書かれている。さらに細長い日本列島の南北の違いが、文化の違いとなっているため終章では、列島各地の暮らしを簡単に示してくれた。自分は。授業の中で各時代の違い、時代の変遷を中心に教え -
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本を読む楽しみには、知らなかった事を知る、分からなかった事が分かるという事がある。この本を読んで、知らなかった事が、分かった、とはならない。分かってたつもりの事が、分かってなかった、となる。分からないことが分かるのは貴重だ。しかし、欲求不満にはなる。
炭素14年代測定の成果に依拠した、弥生時代史。考古学が科学であるために必要なことは、まず証拠をもって事実(らしい)ことを記述することであり、本書の姿勢はそのもの。
記述は慎重。大胆な仮説の一つぐらいサービスしてくれてもいいのに。
稲作が(経済的な豊かさを求める)目的ではなく、ある社会形態を維持するための手段であるとの主張は、面白い。
また、近畿は -
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水田稲作が日本に伝わるルートは、朝鮮半島南部経由説で考古学者の意見は統一されている。朝鮮半島南部で水田稲作が発展すると、身分の差が顕在化して社会の内部に矛盾が生じ、それを逃れ出た人々が九州北部に水田稲作を伝えた。土器に付着した炭化物などのC14年代測定から、弥生時代の開始はBC10世紀後半と考える。
水田稲作が始まってから100年ほど経った玄界灘沿岸地域には、環濠集落や有力者集団が出現し、副葬制の開始、世襲制の始まりと身分の固定化、武器や戦死傷者の出現などが起きた。水田稲作は250年あまりの間、玄界灘沿岸地域にとどまったが、前8世紀の終わりごろ九州東部・中部で始まり、前7世紀に鳥取平野と神戸