エッカーマンのレビュー一覧
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エッカーマンが9年にわたる、ゲーテとの対話の数々を蒐集し、自身が価値ありと、あるいは珍しいと思ったものを文字で書きうつしたもの。
世界的名著。
一度読むだけでは到底理解の及ばないもの、これからも読み続けなければいけないし、その価値がある本。
以下抜粋です。
...市民もまた、彼が生まれあわせた身分によって神から定められた分を守っているかぎり、貴族と同じ感じように自由だ。…われわれは自分の上にあるものをすべて認めようとしないことで、自由になれるのではなく、自分の上にあるものに敬意を払うことでこそ、自由になるのた。なぜなら...上にあるものの価値をみとめることで、自分自身がいっそう高いものを身につけ、それと同じとのになる価値があることをはっきりとあらわすからなのだ... -
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エッカーマンによる晩年のゲーテの言行録。一八二三年から一八二七年まで。当時の文学に対するゲーテの見解、色彩論にはまりこむゲーテとエッカーマンの様子、ゲーテが見聞した政治的事件についての感想など、「はざま期」(コゼレック)を生きた人間による貴重な証言が豊富に詰まった作品。「いちばん合理的なのは、つねに各人が、自分のもって生まれた仕事、習い覚えた仕事にいそしみ、他人が自分のつとめを果たすのを妨害しないということだ」という言葉には、革命以降のゲーテの作品――『ヘルマンとドロテーア』や『ヴィルヘルム・マイスター』――に一貫して流れる彼の思考が読み取れる。確かにこれは民主主義革命の時代に対する反発であり、現代人が納得できるかどうかはともかくとして、一つの見識であろう。
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文豪ゲーテの晩年に約10年身近で過ごした若き詩人エッカーマンが、ゲーテとの談話や対話を日記のように書き綴った手記。1822年9月~1832年3月を収めた、三分冊の下巻(中巻とは年月日が前後している部分あり)。
そのテーマは、文学、芸術、科学から人生の過ごし方に及び、優れた上達論として読むことができる。
「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要はない。何世紀も不変の価値、不変の名声を保ってきた作品を持つ過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ。・・・偉大な先人と交わりたいという欲求こそ、高度な素質のある証拠なのだ。・・・シェークスピアに学ぶのもいい。けれども、何よりもまず、古代ギリシャ人に、一にも二にもギリシャ人に学ぶべきだよ」
「私がすすめたいのは、けっして無理をしないことだ。生産的でない日や時間にはいつでも、むしろ雑談をするなり、居眠りでもしていたほうがいいよ。そんなときにものを書いたって、後で、いやな思いをするだけだからね」
「大事なことは、すぐれた意志をもっているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐力をもっているかどうかだよ」等
ニーチェは、本書を「あるかぎりのドイツの書物の中で最良の書」と呼び、本書から無数の引用をしているという。
200年前に生きた巨人ゲーテの言葉が生き生きと伝わってくる。 -
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文豪ゲーテの晩年に約10年身近で過ごした若き詩人エッカーマンが、ゲーテとの談話や対話を日記のように書き綴った手記。1828年6月~1832年3月を収めた、三分冊の中巻。そのテーマは、文学、芸術、科学から人生の過ごし方に及び、優れた上達論として読むことができる。
「ひとかどのものを作るためには、自分もひとかどのものになることが必要だ。ダンテは偉大な人物だと思われている。しかし彼は、数百年の文化を背後に背負っているのだよ。・・・こういうことには、どれ一つとっても、人が想像するよりももっと深い根があるものだ」
「ことにナポレオンが偉大だった点は、いつでも同じ人間であったということだよ。戦闘の前だろうと、戦闘のさなかだろうと、勝利の後だろうと、敗北の後だろうと、彼はつねに断固としてたじろがず、つねに、何をすべきかをはっきりとわきまえていて・・・」
「人間は、・・・さまざまな段階を経ねばならないものだ。そしてどの段階にもそれ独特の美点と欠点があるが、それらもその由来する時期においてはまったく自然なことで、ある程度までは正しいのだよ。次の段階ではまた変わってしまい、以前の美点と欠点は跡方もなくなってしまうが、こんどは別の長所や短所がとってかわることになる」等
200年前に生きた巨人ゲーテの言葉が生き生きと伝わってくる。 -
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文豪ゲーテの晩年に約10年身近で過ごした若き詩人エッカーマンが、ゲーテとの談話や対話を日記のように書き綴った手記。1823年6月~1827年9月を収めた、三分冊の上巻。
そのテーマは、文学、芸術、科学から人生の過ごし方に及び、優れた上達論として読むことができる。
「一方をやれば、他方はおろそかになり、忘れられてしまう。だから、賢明な人というものは、気を散らすような要素は一切しりぞけて、自分を一つの専門に限定し、一つの専門に通暁するわけだよ」
「趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみつくられる・・・だから、最高の作品しか君には見せない」
「重要なことは・・・けっして使い尽くすことのない資本をつくることだ」
「ほんとうに他人の心を動かそうと思うなら、決して非難したりしてはいけない。間違ったことなど気にかけず、どこまでも良いことだけを行うようにすればいい。大事なのは、破壊することではなくて、人間が純粋な喜びを覚えるようなものを建設することだからだ」
「シェークスピアは、あまりにも豊かで、あまりにも強烈だ。創造をしたいと思う人は、彼の作品を年に一つだけ読むにとどめた方がいい。もし、彼のために破壊したくなければね」
「芸術には、すべてを通じて、血統というものがある。巨匠をみれば、つねに、その巨匠が先人の長所を利用していて、そのことが彼を偉大にしているのだ、ということがわかる。ラファエロのような人たちが土台からすぐ生いそだつのじゃない。ちゃんと、古代および、かれら以前につくられた最上のものの上に立脚しているのだ」等
200年前に生きた巨人ゲーテの言葉が生き生きと伝わってくる。 -
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上巻中巻下巻、数年かかってやっと読み終えた。文体が難しいというわけでもなく、内容も退屈というわけではないが、「のんびり」「こつこつ」「とぎれとぎれ」取り組んでいるうちにかなりの歳月が過ぎ去ってしまった。日記形式なので1日1日少しづつ進めていこうと思ったのだが、数行で終わる短い日もあり、十数ページにわたる日もありなかなかペースが掴みづらい。また、中巻と下巻の繋がりに少々混乱することもあった。
とはいえ100年以上にわたって読み続けられている名作。ゲーテの言葉とエッカーマンのセンスは非常に価値あるもので、あらゆる手段を駆使して読破するべき名著である。生きてきた時代も地位も異なる文豪ゲーテの言葉が、即現状の自分に当てはまるというものではないが、その内容は人類普遍のもので「思考の型」として心得ておくべき言葉が非常に多い。
ヴェルテル、ファウストといった名作の裏話もゲーテ本人との会話を通して聞ける。またゲーテ以外のクリエイターが手掛けた、当時流行の文学作品、演劇、思想などについてのゲーテ評もおもしろい。個人的にはヘーゲル、カントの解説はとても興味深かった。さらに個々の場面における描写もとても趣があるものが多く、著者エッカーマンをはじめとした来客がゲーテ宅に訪れ、互いに会話を交わすという様子は当時の雰囲気がよく伝わってくる。超大作映画化もありなのでないかとすら思う。
当時のゲーテのポジションからすれば、保守性の強い思想のように思っていたが、むしろ革新的な考え方が目立つ。もちろん「何もかも新しく」といったような安直な考え方はみられない。物事を深く考えた人は、自ずとその思想性にバランスがとれてくるものなのだろう。本書のような形式で描かれた人物像は、本人による自伝よりもイメージが伝わりやすいように思う。 -
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岩波文庫の「ゲーテとの対話」は上・中・下巻の三巻からなり、中巻は原著「その生涯の晩年における、ゲーテとの対話」の第二部(1828年から1832年(ゲーテ没年)まで)を収録している。
著者であるエッカーマンがゲーテとの談話や対話をまとめたもの。詩人・作家であるエッカーマンが書いた内容は当然のことながら芸術、殊に文学に対する話題がほとんどを占めている。中巻では「ファウスト」の話題が良く出てくる。
文学や戯曲に関心がある人は興味深いものになるだろうが、私は人生訓となるような部分に関心を持って読んだので、ゲーテの人間心理に関する考察を引用しておく。
ナポレオンの話題で、エッカーマンが「ナポレオンは一種独特の魔力を備えていたから、人々は彼のものになり、彼のいいなりになったのでしょうね」というと、ゲーテはこう言った。
「彼の人格はずばぬけたものだったよ。けれども、大事なことは、人々が彼を指導者と仰いでいれば、自分たちの目的がかなえられると確信した点にある。だから、彼のものになってしまったのさ。だが、そういった確信をおこさせる人なら、相手えらばずそうするわけさ。俳優たちにしても、いい役につけてくれると信じれば、新しい舞台監督でも、いうことをきくじゃないか。これはお古い話だが、相変らずむし返されている話だね。人間の本性とは所詮そんな仕組みになっているのだ。誰も、自ら進んで他人に仕える者はいないよ。だが、そうすることが結局自分のためになると知れば、誰だって喜んでそうするものさ。ナポレオンは、人間を十二分に知りつくしていた。それで、人間のこの弱点を存分に利用することができたのだね。(p117-118) -
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岩波文庫の「ゲーテとの対話」は上・中・下巻の三巻からなる。上巻は原著「その生涯の晩年における、ゲーテとの対話」の第一部(1823年から1827年まで)を収録している。
著者であるエッカーマンが、ゲーテとの談話や対話をまとめたもの。まえがきに書いあるように、著者のフィルターを通したゲーテである。
「これは私(エッカーマン)のゲーテである」
「私(エッカーマン)が彼(ゲーテ)をどのようにとらえ、どのように再現することができたか」
詩人・作家のエッカーマンが書いた内容は、当然のことながら芸術、殊に文学に関する話題がほとんどを占めている。
何を求めるかによって、本書の評価は変わってくるだろう。
ゲーテの会話に触れることによって、人間関係の機微や思考法などを学びたい人というには向いていない。人生訓として訳に立つ部分もあるのだが、先述したように芸術の話題が多すぎる。ゲーテの人柄や芸術に対する考え方を知りたい人に特に向いている。
1968年の翻訳なので、多少の読みづらさを覚悟していたが、2024年現在の目で読んでも古臭い感じはしない。読みやすい文章だった。
本書の翻訳のサンプルとして、また、人生訓に関する文面の例として、以下に引用しておく。
「われわれの行動には、すべて結果がともなうが、利口な正しい行動が、必ずしも好ましい結果をもたらすとはかぎらないし、その逆の行動が必ずしも悪い結果を生むわけでもなく、むしろ、しばしばまるっきり正反対の結果になることさえあるね。」「私は、少し前に、ちょうど出版社の人たちとのあの交渉のさいに、あるまちがいをしでかしたのだ。そしてそれをやったことを後悔していた。ところがだ、今になると、事情がまるっきり一変してしまったので、もしあのまちがいをしていなかったら、かえって大失態を演じる破目におちいるところだった。同じようなことが、人生にはよくくり返し起こるものだな。だから、こういうことをよく心得ている世間人は、じつに大胆に、横着に仕事をしているのが目につくよ。」
私は、この見方に注目した。それは私の気づかなかったことだ。(P.252) -
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岩波文庫 ゲーテとの対話
1828年〜1832年のゲーテの言葉。
中巻はゲーテが死んで終わる。下巻はどうなるのか?
ゲーテの晩年は 自然から人間を見る傾向が強くなっている。生命と自然が一体になっている感じが 死生観へつながっている。
自然科学的な著書「色彩論」が評価されていない点について 納得していない様子。色彩論に関してはニュートンすら誤っており、真実を知っているのは 自分だけとする論調。上巻で大作に要注意と言いながらも、ゲーテ自身 大作の罠にはまっている気もする
ゲーテ「一人で仕事をするのはよくない。何事か成し遂げようと思ったら、他人の協力と刺激が必要」は御意。
ゲーテ「自分自身を知るのは、楽しんでいるか、悩んでいるときだけ。悩みと喜びを通してのみ、自分が何を求め何を避けるべきか教えられる」は なるほどと思う。
デーモンやデモーニッシュという言葉が繰り返し出てくる。同じ意味なのか?神性に近いのか、悟性に近いのかわからなかった。
*人間は高級であるほど、デーモンの影響を受ける
*デーモンは、人間をからかったり、馬鹿にしたりするために〜誰も到達できない人物を作る
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エッカーマンが晩年のゲーテとのやりとりを収めたもの。日記という形式を取っている為、やや冗長のきらいがある。また、200年近くも前の出来事なので、知らない人が一杯出て来ていまいちピンと来ない。
しかし、詩人であり芸術に関する造詣が深く、光や植物の研究など自然科学に関しても一流と言われる鉄人じゃなかった哲人 ゲーテ。彼が長い間考えてきたことや彼の価値観、人柄などがエッカーマンのお陰で知ることができる。
正直なところ、忙しい受験生やビジネスマン、主婦などにはお薦めしないが、芸術や学問(特に自然科学)を志す人は読んでおくべきだろう。
しっかし、エッカーマンは日付や曜日間違えすぎ!いい加減だなぁ。俺みたい(笑)