博報堂DYグループエンゲージメント研究会のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
201006/
人間が「タグ」の集合になった:ひとりの人間が持っている興味の数だけタグの数がある/
レッテルが「糊がたっぷりべったりの一枚限りの札」だとすると、タグは取ることもできる軽い札。またひとりにつき何枚でも自由にペタペタと貼れる。そして自らに貼ったタグを相手によって使い分けながら生活している/
「今時の若いモン」は10年後の日本の鏡/
自分の行動や感想を話しの材料として、不特定多数の人々の前にそっと「おく」:誰かへ届けることが目的でなく、むしろ誰かが、欲しい・面白い・興味があると思ってくれて取りに来てくれることを期待している/
「この情報、後で使えるかもしれないから取るだけ取っておこう -
Posted by ブクログ
まさにその(タイトルの)とおりなんだよね。ということを確認したくて,読んでみた。ここでいう「自分ごと」の自分は自分のタグの一つ(一側面)でOKだった,というのが言語化できて良かった。
作者がマーケティング畑の人というところも関係しているんだろうけど,この話はBtoCのマーケティングの話に留めておくのはもったいない。せめてBtoBではどうなのか。政治を見ていると,BtoCとBtoB(G)は明らかに違うように見える。例えば,税金でものを買う時に「値段」以外で選択することは許されるだろうか?あと,もう少し社会学的あるいは心理学な視点での分析が欲しかったなあ。 -
Posted by ブクログ
情報があふれていて、時に放棄をする・・・・
つまりは、「スルー」するわけです。
このコトバはちょっとネガティブですが、
スルーできるというのはある意味で、
自分の軸を持っているともいえるわけで、
それと同時に、
本当は気づきになることが流されるという惜しいこともある。
さて、どうしてスルーするのか?
情報を出すほうも、気づくといいよ!っとひっかかりをいいタイミングでつくっていくことが必要だという。
表現したいことだけを表現するのではなく、
相手の反応を起こす表現をする…
これは、実は・・・
アナログでコミュニケーションするときは
自然としていることのように思います。
相手の選 -
Posted by ブクログ
備忘録
◆コミュニティとは「属する」ものではなく、「参加する」もの。コミュニティのために時間を費やすかどうかの判断は自分が決めることが出来る。主導権を持っているのは個人であって、コミュニティそのものは単純な「場所」。時間の使い方は自分が決める。
◆「情報の選択、選別の強化」とても全てをみることのできない情報の海の中でとる行動は、情報を選別すること。
「情報消費のストック化」
デジタル化されたメディア環境の真っただ中に投げられた情報は、出した本人の意図に関わらず、自分が消費する機器だけではない“どこか”も含めて、そのほとんどがストックされてしまいます。マスメディア優位の時代には、貯蓄場所は発信側 -
Posted by ブクログ
メモ
生活者主導社会、「自分ごと」であれば、生活者によって情報はシェアされ波及する。
生活者を標的と考えるのではなく、ともにブランドを構築する主体として、ブランドは「◯◯である」というものではなく、動きをデザインするもの。
自分ごとの第一歩はつっこみどころを用意することであり、共感へ高めるエンゲージメントテーマを設けることが重要。
複雑なタグが絡みあったインサイトからテーマを見出すことが出来る。
生活者が主体的に参加可能な体験装置をつくることが重要。体験装置はニュートラルな視点でつくるべきであり、それはマスメディアであったりイベントであってもいい。
「自分ごと」のプロセス
ステップ1:「エ -
Posted by ブクログ
個人はタグ化してる。タグの集合で個人ができている。
情報は多く、スルーしないとやっていけない世の中。スルーのしかたもいろいろある。無視する、とりあえずストックだけしてほうっておく、見切るなど。スルーされないためには、個人にひっかかりを持つ何かを提示していかなければいけない。
個人のタグに呼応するものを。そして個人本人が気づかないような、タグの結び目となるようなエンゲージメントテーマを見つけて、そのテーマを体感してもらって共感を得て、自分ごとにしてもらう。
まず、自分ごとにしてもらうには、突っ込みどころを用意すること。そして、突っ込みどころで引っかかると、それを共感に変えるためのエンゲージメント