ひとつの大きな問題意識に基づいて体系的に書かれた本というよりは、
「今世間で流行ってるインターフェースって絶対じゃないよね。他の選択肢としては、こんなことも考えられるよ」という代替案を、心理学や認証技術に関する最新の研究を紹介しながら、広く浅くちりばめたような本でした。
少し「もやっ」としたのは、『誰のためのデザイン?』の著者であるノーマンの言葉を借りれば、「社会的な対応づけ」への配慮があまりにも軽視されているんじゃないかなぁ、という点です。
例えば、キーボードのqwerty配列(私たちがまさに今使っているキーボードの配列のこと)について。
こんな変な配列になっている理由は、タイプライター時代の名残だそうです。
タイプライターは早く打ちすぎると不具合を起こしてしまうので、わざと変な配列にすることで打鍵を遅くさせ、不具合を防ぐ必要があったそうです。
パソコンのキーボードは、いくら早く打っても不具合は起こさないので、遅く打たせる用のqwerty配列にする必然性は全然ありません。
でも、この配列にすでに習熟してしまっているユーザーが、世の中に何人もいる。(それを「社会的な対応付け」といいます。)
そのユーザーに、新しい入力の方法を学習させなおすコストと天秤にかければ、qwerty配列を残すという選択はまぁまぁ合理的なわけです。
qwerty配列なんて、パソコンの世界では全然合理的じゃないんだぜ! と主張するのは簡単ですが、
「全然合理的じゃないものにすでに習熟しているユーザーが、混乱なく適応できるように」
という視点での配慮をすっ飛ばした 「新しいシステム」 は、 たぶん、 うまくいかないんじゃないかなぁ・・・
とはいえ、本書の主旨は 「社会的になってしまった対応づけ」 を疑う! というところにあるので、あえてそのあたりを無視して書かれているのかもしれません。
何より、「新しい技術(スタイル)と既存の常識をどうつないでいくか」なんて考える前段として、
既存の常識にとらわれないで新しいスタイルをすっと適用していける一握りの人たちの存在が絶対に必要で、
それこそがイノベーションの起点なんだろうなぁ、と。
この本を書いた増井さんは、きっとその 「一握りの人たち」 なんだろうなぁ。
この本を読んで「なるほど」と思えるのも、そういう 「一握りの人たち」 なのかなぁ。
なんてことを思った、一握りの人たちじゃない私でした。