斎藤充功のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2025.08.19
まずわわかること。
いま、トランプとプーチンの会談を受けて、ウクライナのゼレンスキーとトランプの会談の結果が報じられている。
残念ながら、ロシア、ソ連、そしてロシアはまったく信用がならないということが、このノンキャリアの優れた外交官の悲劇を通じてよくわかる。このままでは、アメリカとロシアの都合だけで、ウクライナはむしり取られ続け、蹂躙され続ける。
次にわかることは、いわゆるキャリア官僚がどれだけ自分の都合だけでノンキャリアの優秀な人をしゃぶりつくして、最後は見捨てるという人々なのかがよくわかる。宮川氏はキャリアの試験の受験を自分の所属する外務省に邪魔され続け、挙げ句の果てにはシベリア抑留の憂き目にあい、最後はモスクワで無念の死に至る。
歴史の教科書に出てくるような、松岡、広田などという輩は宮川氏のようやノンキャリアの支えがあって仕事ができていた。だから、便利遣いされ続けた。この本の感想を外務省のノンキャリアであった佐藤優氏にもきいてみたいとも思う。日本の組織は本当に人を大事にしないなとつくづく思う。夏の酷暑が続くが、読んでいる間も読み終えても心が冷え冷えとする。
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Posted by ブクログ
太平洋戦争開戦時の日米の国力差は、GNP(国民総生産)でアメリカは日本の12倍であった。重工業力、化学力、石油や電気などエネルギー、戦争遂行に必要な能力に於いては、日本側アメリカに勝るものなど何一つなく、何故それでも「勝てるはずのない相手」にケンカを売ったのかは謎が多い。様々な意見を集約すれば、表向きはアジアン解放を謳いながら、植民地を欲した日本が大陸に資源を求めて進出し、脅威に感じたアメリカが石油の輸出を停止した結果、カラカラに干される前にやむ無く開戦した、と言った感じだろうか。それにしても、あまりの国力の開きにとても勝つ見込みなどは見出せないだろうし、事実それに気づいた(勝てないなどとは口に出せないかもしれないが)知米派が海軍にも政財界にも居たことはよく知られている。
戦前、日本もアメリカに対して優秀な人材を派遣して、国力などを詳細に調べさせている。本書がフォーカスを当てるのはその1人である、陸軍主計大佐の新庄健吉である。陸軍主計学校を卒業し、昇進を繰り返しながら晩年はアメリカに数字のスパイとして送り込まれた人物である。晩年といってもまだ40代であった人物だが、開戦直前に亡くなっている。その死因については病死とされているものの、本書を読むと陰謀により殺害された可能性があるのではとも思える。何故彼が取り上げられたかは、本書タイトル「開戦通告はなぜ遅れたか」に理由がある。
日本は戦史上はハワイの真珠湾に対して戦線布告前の奇襲作戦を仕掛けたことで知られる。実際のところアメリカはすでにその情報を得ていたとか、様々な説があるが、開戦やむなしの状態にあった事は間違いない。その戦線布告手続きの遅れは、通説としては外務省の不手際とされる。米国との交渉に当たっていた野村吉三郎や来栖三郎等による通告が遅れた原因は前述の新庄健吉の葬儀に参列していたことも一つの要因となる。
本書はこの日本の開戦通告の遅れを題材に、その中心にいる新庄健吉という人物像に迫る内容となっている。同氏は開戦前の緊迫した状況にあるアメリカ社会に180日以上滞在し、自分の目で触れたアメリカの実情を経理将校らしく数値化して分析した人物である。両国の差は誰の目からも明らかであったが、新庄の分析結果は戦後にアメリカによって賞賛されるなど、かなり精緻なものであったようだ。その情報を得て、なお、それでも開戦に踏み切った日本。同士が「数字は嘘をつかない、嘘が数字を作る」と発言をした様に、石油を止められ追い込まれた日本が楽観的観測を超える、超希望的観測に傾き、やむなしという空気感から誰1人抜け出せなかった。当時の状況を冷静に数字から見つめ、最後自ら結果(開戦という事実)を知らずにこの世を去った新庄。
新庄健吉の人生を辿りながら、結果を知る我々には様々な疑問を投げかけてくる一冊である。 -
Posted by ブクログ
戦前のノンキャリア外交官、宮川舩夫の生涯を追った1冊。ソ連との外交交渉の実務的な要とも言える人物で、戦後はソ連により拘束・獄中死した。
宮川に関する記述自体は遺族が残した膨大な資料によって充実したものとなっている。特に若い頃に関しては当時の家制度や外務省キャリアルートの実態を知ることができる貴重なものだろう。
ただし、遺族の資料ではなく本人の著述部分になると恐ろしく「浅い」。
まず宮川の生涯を補完するための歴史事象の引用が殆どジャーナリスト出身の「歴史家もどき」ばかりなのがいただけない。半藤一利はまだともかくとして、ソ連の出す資料は批判的論考を全く加えず鵜呑みにする保坂正康をソ連が深く関わる本で引用するのは言語道断であろう。酷いものになるとWikipediaからの引用まである(しかも張鼓峰事件という他に幾らでも参考文献がある事象についてである)。小学館の編集部は止めなかったのだろうか。大学の卒論どころか中学校の調べ学習でも説教されるレベルだが…。
次に著者の勝手な感情移入が多い。全く入れないことは不可能にせよ、ジャーナリストだから人間の感情が推測できるという傲慢さを感じる。
総じて資料部分以外の価値が無に等しい。これなら資料をほぼ丸写し編集して「編集協力」とでもすれば良かったのではないか?
資料の貴重さとしては⭐︎5以上、著者の記述部分の価値は⭐︎1。 -
Posted by ブクログ
内容(「BOOK」データベースより)
時代を感じさせる一枚の「古写真」―西洋の親子を中心にその周囲を取り囲む44人のサムライたち。この写真は「フルベッキ群像写真」と呼ばれ、歴史ファンの間では“謎の写真”とされてきた。曰く―この写真は、西郷隆盛、大久保利通、中岡慎太郎、坂本龍馬、伊藤博文などの幕末の英傑たちが秘密裏に集まって撮影された歴史的な一枚である。曰く―この写真には、後に明治天皇と“すり替わった”大室寅之祐という青年が写っている。一枚の古写真が投げかけた謎を追い求めた筆者がたどり着いた真実…今、すべての謎が明らかになる…!
日本史に疎い私でさえ、この写真の名前入りのものを見たらわくわくが止まらないです。名だたる有名人たちが勢揃いですので、これが本当に志士たちの記念写真だとしたら幕末小説に更なる物語が追加される事になるでしょうね。この写真の真偽から、伊藤博文の暗殺事件、明治天皇のすり替えまで数珠つなぎにつながっていて、たった一枚の写真から、なんと人間の想像力の豊かな事かとびっくりします。ところがそんな夢いっぱいのうさんくさい写真の謎を実地的に暴いて行きます。市井の研究家たちがロマンを持って語る数々の持論、大変興味深いながらも歴史を捻じ曲げる原因になってしまっていたんですね。てっきり本当にそういう写真かと思って、名前と照らし合わせてしげしげと見てしまった自分が可愛い。
この話の中でもっとも興味深かったっと言うか、それだけで1冊になるなと思ったのが、渡辺魁という人物。一生強制労働のような刑に処された彼が、見張りを打倒して脱獄し、名前を変えて裁判官に迄上り詰めるという冗談のような話。相当に優秀な人物だったんでしょうね。これだけで映画化できそうです。 -
Posted by ブクログ
幻の特務機関「ヤマ」の名称は何に由来するのか。 それは「山」と言えば「川」のヤマからとられた。ふざけてるわけではない。ただの秘匿名だから正式名称は違うし、そもそもそんな機関は存在しないのが表向き。
「ヤマ」は陸軍大臣直轄の防諜機関だったため、国内で諜報活動をするスパイを捕らえることに活動の主眼があった。
「ヤマ」の活躍により逮捕にいたった最大のスパイは、誰もが知るゾルゲだ。ゾルゲを逮捕したのは憲兵隊ということになっているが、電波探知のプロであった「ヤマ」の人間による執拗な調査、そして登戸研究所によって開発された新装備によって初めて可能にだった。
ゾルゲ事件についての本を読んだことがないので確かなことは言えないが、たぶんこのゾルゲ摘発を可能にしたのが「ヤマ」だというのが、新事実なのだろう。
スパイは本国にむけて必ず無線電波をつかって連絡をとらなくてはならない。それはできるだけ短く、そしてどこから発信しているのかをバレてはいけないのが鉄則だ。そして、その当時の常識では、これくらいの電波で、これくらいの時間だったら発見されないだろうと考えられていた範囲内だった。そしてその予想通り、憲兵隊には発見できなかったのだが、最新設備を使い、防諜訓練を積んだ「ヤマ」の人間には発見できたというわけだ。
吉田茂の近辺にも「ヤマ」は貼りついていた。吉田は戦前戦中を通して、親米英の立場をとっていたので、捜査、監視の対象となっていた。なんとか決定的な証拠をおさえたいということで、スパイを書生として潜り込ませていた。
吉田は米英を利する行動をおこしたわけではないので、犯罪を犯してはいないが、親米英派の一掃という政治的な駆け引きのなかで、逮捕されることになる。その際には「ヤマ」が集めた証拠が採用されている。
興味深いことに、吉田の家にはもうひとり中野学校出身の諜報員が書生として潜り込んでおり、そのあたりの事情は『私は吉田茂のスパイだった』という本に詳しいらしい(自分は読んだことはない) どうも、お互いがスパイだということは知らなかったようだ。
文献資料がほとんどなく、元機関員と関係者の口承だけで伝わってきた幻の機関なので、全貌がよくわからないのが現状だ。
明らかになる日があるのだろうか。 -
Posted by ブクログ
「塀の中の事情」とあわせて、朝日新聞の書評で見かけたので読みました。
こちらは、取材のすべてをここに記載している、裏を返せばちょっと取材もとが限られている、という印象を受けました。自分もしてきたような1回限りの見学記・インタビューを並べたものより、せっかくなら、出所者のその後等、まとまった期間、継続的な形で生活を取材したようなものが読みたかったです。
特に知らない話で面白かったのは、出所者の社会復帰のための民間事業を行っている人へのインタビューでした。受刑者専門の求人誌を発行している女性。出所者支援といっても対象・強みはいろいろであり、この女性の言う通り、出所者支援の組織・事業が横断的に連携できる仕組みがあるといいと思いました。
自分もこんなこと言える立場かわからないけど、すみません、時々、日本語の文法が気になりました。。校閲する人は手が回らないのか、あるいは、あまり強く言えないのでしょうか。 -
Posted by ブクログ
書名は『開戦通告はなぜ遅れたか』だが、これに対する答えはあくまで憶測だ。
簡単に要約すると、野村大使が開戦通告を届けるのが遅れた原因は、ある日本人の葬儀に出席していたため、その参列の席から外れることができずに結果として遅れてしまった、というもの。
そんなアホな理由があるかいな、とツッコミたくもなるが、日本側にも米国側にも、開戦通告を遅らせたい思惑があったというのが著者の主張。
つまり遅れたのではなく、わざと遅らせたというのだ。
開戦時の首相、東條は戦争の常道は「夜討ち朝駆け」という考えを持っていて、真珠湾も不意打ちを当初から意図していた。宣戦布告などは奇襲が成功した後にすれば良く、先にしたら奇襲そのものが失敗に終わると思っていた。
開戦前の御前会議では、開戦通告なき奇襲で一度は意見がまとまったらしいが、陛下から「ちゃんとした手続きをとるように」といった内容で、異例のお言葉があり、事前通告をしなくてはならないことになってしまった。
しかし、東條は当初の夜討朝駆けの考えを変えることはせずに、なおかつ陛下の言葉を考慮したという形をとることにした。つまり、開戦通告を出そうとしたが、開戦に間に合わなかった、という言い訳を考え、それを実行した。
戦後、マッカーサーと対面した陛下の口から「東条のトリックにひっかかってしまった」という発言があったらしい。(そういう発言録が残っているようなので、実際にあった発言なんだろうけれど、それが開戦通告の遅れを言っているのかどうかは著者の推測)
米国側にも通告を開戦前に受け取りたくない理由があった。
良く知られている話だから説明はいらないかもしれないが、それは真珠湾を奇襲させて、戦争に反対だった世論を一気に参戦へと導くためだった。そして事実”リメンバー・パールハーバー”を合言葉として見事に世論を誘導した。
このあたりの事情は、真相がどうだったのか詮索しても決定的な証拠は出てこないので、うっちゃるしかない。
この本はブクレポタイトルにもした新庄健吉という人物が、どういう人物だったのかという”伝記”と思った方がいい。これが結構おもしろい。この人は陸軍大佐ながら開戦前から「日米が戦わば、必ず日本は負ける」と発言し、米国で収集したデータを用いてその裏付けとした。スパイ活動で極秘情報を集めたのかと思いきや、公然と売られている新聞や雑誌、政府発表の統計資料などの情報から計算をして弾き出しただけなのだ。しかし、それがあまりに正確だったため、戦後GHQがそのデータを見て驚き、舌を巻いたらしい。
彼は「米国と日本の国力の差は20対1、米国の損害を100%とした場合、日本の損害は常に5%以内に抑えなければ勝てない」ということを報告書にまとめ上層部に提出したが、それを軍首脳は認めなかった。(まあ、当然と言えば当然)
彼の仕事はけっして報われない性格のものだった。彼の提出した報告書も無駄になった。
戦争という大波の前で、成す術の無い人間の無力さを感じた。