菱沼一憲のレビュー一覧

  • 源義経の合戦と戦略 その伝説と実像

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     【屋島への出陣】義経が京を離れたのは文治元年正月十日、摂津の渡辺から出港が二月十六日。この間、1ヶ月。兵糧米の徴収と嵯峨源氏の渡辺党などの水軍兵士の動員をかけた様子。また阿波の反平家勢力、近藤近家から協力を得ての渡海の成功であったと考えるのが妥当。
     「今日2月15日、義経の阿波上陸から屋島の合戦をたどって見ようと再読しました。通説では義経は暴風雨の中、数時間で渡海し偶然に阿波の勝浦に上陸したことになっています。しかし準備に一ヶ月を要してわざわざ悪天候の日を選ぶことはないと思っていましたが、実際に義経は摂津の渡辺党の協力や阿波の源氏与党との連絡を行い、上陸地を決定したようです。義経には一ノ谷

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    2017年02月15日