もちろん不勉強が原因なのだけど、学校で教わる「オーストリア皇太子がセルビアの青年に暗殺され云々」のイメージが強すぎるあまり、その意義が今ひとつ理解しにくい第一次世界大戦。あらためてこういった本を読むと、バルカン半島の紛争を当時のヨーロッパ列強のヘゲモニー維持のための論理にすりかえることで始まったこの大戦で、一体何が変わったのか、そして現在まで何が変わっていないのかがよく理解できる。砲弾の大量製造を支える工業化を推し進めるべく国家の社会への介入傾向が強まったこと、アメリカが民主主義擁護の旗印の下に参戦し列強中心の価値観を組み替えたことなどは、この戦争を契機として新しく起った事態でありその後の世界の姿を大きく変えた。その一方で、莫大な戦費は公債発行で賄い、その償還費用は「勝ったら敵に払わせる」という理屈で国民の不満を押さえ込んだために講和のタイミングが遅れたことや、その抑圧された不満が国内少数民族等の排除に向かったことなどは、今後新たな世界大戦が起こった場合でも変わらず想定される事態だろう。
それにしてもヨーロッパという大陸の民族と国境の配置の複雑さを改めて思い知らされる。バルカン諸国を中心とする多くの国に、国境設置時に隣接する国や地域から取り残された別の帰属意識を持つ民族がおり、彼らの民族意識を利用する形で列強間で駆け引きが交わされるのだが、その利害が極めて複雑に絡み合っていることが第一次世界大戦を一言で表すことを困難にしているのではと思った。民族と国境の配置のズレが現在も多くの問題の契機となり得ることはスコットランドやカタルーニャの独立運動を見ても明らかだ。
しかし本書で最も印象に残ったのは淡々と記述される軍事作戦で死傷する人間の数の多さ。何万人という死者の単位に感覚が麻痺しそうになるが、下手をすると一つの軍事作戦で日本の地方都市規模の人口が丸々死んでいたりするのだ。改めて戦争というのは馬鹿みたいに人が死ぬことなのだ、ということを思い知らされた。