菅原健介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「恥じらい」という営みから社会に切り込んでいく本書。
恥じらいは、言語や文化を超えたものだと思っていましたが、言語や文化に大なり小なり影響を受けていることは新たな発見でした。特に、「裸を見られたらどこを隠すか」という箇所は、その国の文化を色濃く反映している面白い事例ではないかと思います。
また、恥じらう際の笑いについての言及は、普段何気なく微笑んでしまう自分のその行為がいったい何を意味するのか、解説してくれることと思います。
題名にひけずおとらずのインパクトのある内容でした。
本書が、恥じらうことについての入門書になるのではないかと思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレセケンという概念がなくなり、身内と他人しかいなくなった。
地域的つながりを超えた価値観いよる新たな連携ウェブの世界は現代のセケンに縮図である。
でもさ、羞恥心関係なしにジベタリアンになるときもあるよね??
羞恥心がどのような基準で、またどのような理由で警鐘を鳴らすように出来ているか、つまり羞恥心という装置の性質について私たちは無知なのである。
羞恥心は警戒範囲が広く、またとても複雑なルートで作動していることを意味しているのだ。
羞恥心=f相手との関係の重要度×じこの評価への不安定度
つまり、中途半端な関係でいるのが一番羞恥心が働く。
これらのメッセージ社会の中に自分の居場所を定め、社 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
近年、駅や車内などで地べたに座り込む「ジベタリアン」、所構わず濃厚なラブシーンを演じる「人前キス」、電車の中で平気で化粧をする「車内化粧」など、街中での“迷惑行動”が目につくようになった。
かつて、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは日本を「恥の文化」であると規定した。
しかし、今、この図式は成り立つのだろうか。
普段、私たちは「恥ずかしい」という感情を毎日のように体験するが、羞恥心の性質についてはあまり知られていない。
人間はなぜ「恥じらう」のだろうか。
「羞恥心」は何の役に立っているのだろうか。
そして現代社会で何が起こっているのだろうか。
「恥」から見えてきたニッポ