藤田貴大のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
本書のテーマは異性である「おんなのこ」について考えをめぐらせるということであるが
劇作家、演出家という職業につく人の狂気とも思える執着、執念が溢れていて、気持ち悪いながら面白い。
役者やそれ以外の女子について、具体的に関わるでもなく深く考察し妄想をふくらませる。
人間について考えるとき、一人ひとりの人生を最初から将来まで出来る限り空想する
子供の頃や、両親との関係、異性との関わり、服装、病気などなど
人間を構成する全てにまで出来る限り思いをはせて、それをもとに人間を理解し好きになる、
これが演劇を通じて人間を表現する土台となっているのだろうかと感じる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ演劇には疎く、マームとジプシーも藤田貴大も名前しか知らないという程度なのだけれど。
おそらくふたりの相性抜群というか、お互いに魅力を引き出し合っているのだろう。
リフレイン……というか、アラン・ロブ=グリエのヌーヴォー・ロマン「快楽の館」を思い出した。
「快楽の館」レビューで書いたのは、(以下引用)
◇起きていること自体は単純なもの。
◇小説に限らず映画、絵画すべて「お話のある芸術」には当てはまることだが、「何を伝えるか」同様に「何を伝えないか」が作品を決定する。
◇読者を翻弄する。
◇スポットのあたらない箇所、カメラの向けられない箇所、言及されない箇所をずっしりと袋に詰め込み背負ったまま、 -
Posted by ブクログ
今日マチ子の「今日マチ子」性をマームとジプシーの藤田貴大が存分に引き出した「mina-mo-no-gram」という物語。
マームとジプシーらしさとして、リフレインという手法が存分に用いられていますが、僕らの実人生もやはり「靴を履いたり、脱いだりする毎日」の繰り返しなのじゃないか。
それでも少しずつ、本当に少しずつ前に進んでいく(流れていくと言っても良い、そう水のように)。
それでいて、ふとした瞬間に過去に絡め取られたりする。そして、またそこから始めるのだ。そう、自分の意思で切り開いていかなければならない。過去を振り切るのだ。
生と死とか、希望と絶望とか、両極端なものは一方向にしか進まないのか