私は,基本的に英語で考え,英語で生活しているため,英語系のアルファベットを使う外国語は話しやすくなってきている。多くの西洋言語や英語の形態は,話し始めからすでに YES の意見か NO の意見かがわかり,答えも YES か NO かのいずれかを求められる。 しかし,日本語の場合,最後まで話を聞かないと YES か NO かがわからないし,あいまいな言い回しが多いように思う。アメリカに永く住んでいると,この日本的なあいまいな言い回しに鈍感になって「いったい,この人は何を言いたいのだろう?」と,相手の話の主旨が時々,わからなくなってしまう。 英語や西洋の言葉にはあいまいな表現はほとんどない。それは西洋社会自体が,あいまいな答えを必要としていないからだろう。それぞれ異なる文化を持った多種民族で構成されている西洋人たちの考え方はさまざまで,1つのことを討論してゆけば膨大な時間を消費することになる。彼らにとって YES と NO の答えは明確で,あいまいな表現では誤解を起こし,かえって共通の接点をなかなか見つけることができなくなっています。
最後に,トーマス・ヤング博士(Dr. Thomas Young:1773-1829)の言葉を紹介しよう。彼は,学習は「自分自身で学ぶこと」だと述べている。自身のやる気と決意で自分自身で学んでいるだけなのだ,と。 ヤング博士は,物理学者,医師,ロゼッタストーンの解読を始めた言語学者であり,エジプト学者,音楽家などでもあった。彼は,1773年,英国サマセットのミルヴァートンにあるクェーカーの家庭に10人兄弟の長男として生まれる。14歳でギリシャ語とラテン語を学んだほか,フランス語,イタリア語,ヘブライ語,ドイツ語,カルデア語,シリア語,サマリア語,アラビア語,ペルシャ語,トルコ語,アムハラ語に精通していたという。 1792年にロンドンで医学を学び,1794年にエジンバラへ移り,1年後にドイツのニーダーザクセン州のゲッティンゲンへ行った。そこで彼は1796年に物理学の博士号を取得し,翌年,ケンブリッジのエマニュエル大学へ入学。同年,彼は叔父のリチャード・ブロックレスビーの遺産を相続したことで経済的に独立することができ,1799年にロンドンのウェルベック通りで医師として開業した。 1801年,ヤングは王立研究所(Royal Institution)での自然哲学(主に物理学)の教授に任命されたが,やがて教授職を辞任。教えることより,研究にもっと時間を注ぎたかったからだという。その後,数多くの理論を発表した。 “Jack of all trades, master of none”(多芸は無芸)は,平均的なレベルで多くのことを上手くやる人(凡人のジャック)を描写するやや軽蔑的な表現だが,どの芸においても抜きん出ることなく,達人にならない場合が往々にしてある。しかしながら,多くの研究分野で抜きん出る珍しい才能のある天才も時にはおり,全ての業界における博学者または達人(polymath or master of all trades)と呼ばれる人がいる。