Posted by ブクログ
2017年03月13日
「ブージャム」こと新田秀哉が何故カリスマ的存在にまでなったのか。
実際、派手な事件を起こした者がインターネット上などで祭り上げられることはある。
だがそれは一過性のものでしかない。
匿名性に守られた無責任な人間たちが、勝手に「神」などと呼び盛り上がるだけの現象でしかない。
物語の中では「ブージャム」...続きを読むはリアル社会でも信奉者がいた設定になっている。
果たしてそんなことがあるのだろうか?
ブームが去れば忘れ去られる…それが世間というものだと思うのだけれど。
犯人にとって新田が特別な存在だったのは理解できた。
精神的にまだ大人になりきれていない時期に出会った本物の「殺人者」。
彼にしかわからないルールに乗っ取り、彼は淡々と人を殺していたにすぎない。
けれど、犯人にはそれがとても魅力的に映ったのだろう。
だが、自分が第二の「ブージャム」となって再び惨劇を繰り返す動機としてはどうだろうか。
新田には新田なりのきちんとした動機があった。
欲しいものを手に入れるために殺人を繰り返すしか方法がなかったからだ。
犯人にも犯人にしかわからない動機がある。
けれど、それは所詮模倣でしかない。
何故なら、新田の動機には苦しいまでの「渇望」があった。
犯人が望んでいたものは何か?
新田に心酔しながら、実は心の憶測にある「憎しみ」に決着をつけようとしていたのでは?と思う。
出版にあたりある程度の改稿もしたとは思うのだけれど、粗が目立つ箇所がかなりあった。
乱歩賞受賞作というのは当たり外れが大きい。
デビュー作ということを考えれば仕方がないのかもしれないが。
帯に書かれている「時折ぎらきと光る」や「何かを伝えたいという思いが一番強かった作品」といった選考委員の声に表れている気がした。
時折…とか、思いが強かった…とか。
物語そのものを認めての賞ではないのだな、と感じた。
将来性を買っての受賞なのだろう。
今後の作品を楽しみに待つことにしよう。