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終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、敗戦から70年が経過した日本。双方を重ね合わせることで、あらためて戦後ニッポンの歩みを検証・考察した、新感覚現代史! タモリが各時代ごとにすごした場所をたどり、そこでの人間関係をひもときながら、戦後という時代を描き出してみると……タモリとは「日本の戦後」そのものだった! (講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
1945年敗戦の年に生まれたタモリさん。早稲田大学でダンモのマネージャーをして後、福岡に帰りサラリーマンになったタモリさんが、いかにしてテレビに出るようになったのか。いいともが終わってタモリさんはどう変わって行くのか。昭和の歴史、時代背景とともに描かれている。
とても面白い戦後日本文化?史。 読後、記述にもあった、赤塚氏葬儀での氏の弔辞を思い出した。タモリと言えばジャズ、という印象だったが、懐かしの4か国語麻雀やらハナモゲラ(言葉だけ聞いたことがあった)の話を通じて、日本の大衆文化を記す、というのが面白かった。
著者のタモリ愛があふれた本. タモリという存在を通して,日本の戦後をまとめている. 産業界でもなく,歴史の教科書でもない. でも,日本の歴史のある一面ではあるけれど,人物を通して見た日本の昭和,平成史として面白い. その人物が,またタモリという存在だから,とらえどころがあるような無いような,でもその...続きを読む視点がすごく面白い. 個人的にはタモリというタレントがテレビにいると安心感がある.ある意味,テレビタレントとしては最後のエンターテイナーのような気もする.
タモリの人生を振り返りながら日本の戦後史を語る。終戦の年に生まれたタモリさんの半生を見ていくことで日本の時代、風俗が立体的に浮かび上がる感がある。 タモリさん自身への直接のインタビューはないので、まるで死後に出版された本みたいな印象も。 ブラタモリは末永く元気に続けてほしい。
おもしろかった。実に想定外だった。歴史的ドキュメンタリーである。そしてこの本が終わったあと、SMAPが解散し、令和になり、コロナの時代になった。
2016/8/20タモリは終戦の一週間後に生まれている。期待した歴史部分は、少なかったがタモリの生涯を描いた力作だった。★4
新書としてはページ数が多いが読み終わってみると飽きない内容。特にタモリの学生時代からのエピソードは興味深い。タモリのようなタレントは今後は出てこないのか。
フリーライターにより、タモリの足跡を通して戦後ニッポンの歩みを振り返ったもの。芸能を中心に、日本の文化や生活について分析されており、特にタモリの生い立ちについては、膨大な文献により詳細な研究がなされている。タモリやたけし、さんまなどの芸人についての評価も、多数の評論家のものが記載されている。学術的と...続きを読むは言えないまでも、豊富なデータに基づいた展開は面白く、参考になった。 「(タモリの本名)一義とは祖父の命名で、日露戦争時には満州軍参謀を務め、陸軍大臣や首相を歴任した田中義一にあやかったものだという。小沢開作が、1935年に満州の奉天で生まれた三男に、満州事変の計画実行者である関東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつとって征爾と名付けたケースと似ている」p20 「(祖父をはじめ森田家の人たち)いかに日本がつまらんかということを喋ってるわけですよ。近所付き合いは窮屈だし、土地も狭い、食べ物はまずい、人間がせこい」p21 「父親が満鉄に勤務していた映画監督の山田洋次の場合、一時東京に戻って地元の小学校に通っていたとき、川でフナをとりながら周囲の田んぼを見て、教科書に書いてある田舎とはこういうものかと理解したという。ここで重要なのは、山田が地方ではなく東京に田舎を発見したということだ。「男はつらいよ」シリーズをはじめ、古きよき日本の風景や人情が描かれているとされる山田作品もまた、その底流には日本を相対化する視線があるといえる」p24 「早稲田大学を除籍となり郷里に戻っていたタモリが二度目の上京を果たしたのは、まさに博多まで延びたばかりの新幹線に乗ってであった」p28 「タモリと同じく福岡市出身のコメディアン小松政夫によると「俺は純粋な博多っ子だけど、タモリは福岡なんだよね」という。小松に言わせれば博多とは当地を代表する祭りの一つ、博多どんたくが家から見えるところを指すのであって、タモリの生まれ育った福岡市南区はあくまで福岡なのだ」p35 「80年代前半、タモリがしきりに「カラオケ撲滅」を訴えていたのも、社交の場としてのバーやスナックが、カラオケによってぶち壊されたとの理由からだ」p108 「タモリが30歳になったのは、戦後30年の節目でもあった。1975年8月、戦後生まれは日本の総人口の49.4%に達していた。この時点で日本は、人口の半分が30歳以下という若い国だったのだ」p130 「テレビでタモリの芸を初めて見た黒柳徹子が、すぐさまテレビ局の受付に電話をかけて赤塚を呼び出し「あの人は誰?」と訊ねたという話は、「徹子の部屋」でもたびたび語られている」p132 「近田: 花輪はケッコウですから。前もって言っておかないと。あれ、意外とお返しが大変なんですよ。 タモリ: あの花を贈ったり、贈られたりこそ、芸能界じゃないですか。うるさいんだよナ、あれ。 近田: それにケッコウ高いんですよ。 タモリ: 花をちょっと怠ると、かなり感情がズレ合うんだよネ」p193 「近頃のタモリは何だ! すっかり全国民的芸能人、茶の間のスーパースターになり下がってしまったではないか。間違いのもとは「笑っていいとも!」だ。毎日、昼間、ナマ、出ずっぱり、こんなことしてたら影も毒もうすくなって当然だろう。スタジオは、誰を見てもカワユーイ、何をきいてもギャハハハのアホガキが陣取ってる。目の前にこんなのがいればどうしてもそのレベルに合わせてしまう」p259 「(長寿番組)僕はいつもこう答えてるんですよ。秘訣はやる気を出さないことですって。いや、スタッフにはやる気が必要ですよ。でも、タレントはなくて大丈夫。いや、やる気はない方がいい。流されなきゃできないですよ。毎日今日の反省とかして、あそこが悪かってから明日はこうしよう、なんてやってたらこんなに何年も続かないでしょう」p285
〇目次 序章:偽郷としての満州 第1章:坂とラジオ、そしてジャズ―祖父母に育てられて 第2章:大学紛争とダンモ研狂騒曲―森田一義から「タモリ」へ 第3章:空白の7年間―ボウリングブームのなかで 第4章:ニッポン最後の居候―タモリ出現 第5章:テレビ「お笑い」革命―芸能人と文化人のあいだで 第6章: ...続きを読む“変節”と“不変”―フジテレビの絶頂と『笑っていいとも!』 第7章:「リスペクト・フォー・タモリ」ブーム―テレビは終わらない 終章:タモリとニッポンの“老後” タモリとその周りの環境や人々との関係を軸に戦後の日本の歩みを描いていく。そもそも、タモリはなぜドライに客観的に物を観察し面白く感じることができるのか。これはタモリを語る上でキーポイントであろう。 筆者はタモリの祖父家族の満州での生活体験、大陸での話を聞いて育ったタモリは冷めた見方を身につけていく。 ここに日本の農村社会的なものを馬鹿らしく思うタモリが現れることになった。タモリがテレビに登場するのは、奇しくも農村の村落共同体が終焉する高度経済成長末期の時期にあたる。時代がタモリ的な存在を欲していたのか。 タモリがテレビに登場し始めた時期から、タレントと文化人が混ざったタイプの「文化人タレント」が登場し始める。タモリが際物タレントから茶の間の人気者になっていくのも「文化人タレント」に乗っかったからという指摘は、近年のタモリが若いサブカル・ヲタク層から人気なことからも納得できる。 「文化人タレント」が受けるということは、都市化され洗練されていく国民の知的欲求の高まりから起きた現象という本書の見方は、これまた農村社会の崩壊と軌を一にする。 タモリから見た戦後日本の社会的な変化は、まさに高度経済成長期を境に農村社会的なものから都市的なものへの変化を描いている。 今後の日本社会とタモリは一体どのようになっていくのか、気になるところである。
関係する多くの人が登場し、芸能史の勉強になりました。大学を卒業してしばらくののち、福岡でサラリーマン時代があったことがいちばんの驚きでした。タモリさんの面白さを当初、山下洋輔、筒井康隆、赤塚不二夫と、文化人が支持してたことも当時の独自路線であったのかなと思いました。
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