Posted by ブクログ
2019年06月10日
地下鉄サリン事件は何より衝撃的だった。日本人の記憶に共有された事件として、誰もがあのときに自分はどういうことをしていたと語り合うことができるほど、大きく日本現代史に刻まれている。
そして事件発生後20年以上経った2018年7月、オウム真理教教祖麻原彰晃を含む13人の死刑が執行された。本書の主役である...続きを読む中川智正もその一人であった。ここに書かれている内容の一部は、彼の死刑後であれば公開してもよいとされたものであり、皮肉なことに望まない彼の死刑執行が本書刊行のきっかけとなったのである。
著者アンソニー・トゥー(杜祖建)は、毒物専門の化学者であり、サリン検出の方法を警察に伝えるなど、オウム事件の捜査に科学知識面で大いに協力した人物である。米国のコロラド州立大学の教授であるが、日本語にも堪能であったことから、それまでどこにも知見がなかった化学兵器を使った未曾有のテロの捜査において非常に重要な役割を果たした。その調査の過程で、著者は、麻原の主治医とも呼ばれた獄中の中川氏と親交を持つこととなった。本書は、著者と中川氏との手紙・メールでのやりとり、面会時の会話を元に、あの事件を振り返ったものである。親族以外でオウムの死刑囚に定期的に面会を行うことができたのは数少なく、本書はその貴重な情報をもとに生まれたものである。
中川氏は、医者でありながら、化学知識にも造詣が深く、またオウムの組織にも精通していた。中川氏との会話の中には、化学兵器・生物兵器の製造に関する調査のためもあったのだろうが、遠藤、土谷、村井、井上、青山、などの重要な関係者の役割や評価が語られる。その内容はとても興味深く、もう20年以上前のオウムサリン事件の背景で何が起こっていたかがよくわかるのである。
オウム真理教団は、サリンだけではなく、ボツリヌス菌、炭疽菌、VXガス、ソマン、タブン、マスタードガス、ホスゲン、シアンガス、など使えそうな毒物は何でも作ろうとしていた。しかし、人を殺すための道具である化学兵器を宗教施設内で生産するという行為を悪びれることなく営々と行っていたのは改めて驚く。その判断が宗教組織の中でどのようになされて実行されていたのかが気になる。しかし、本書ではその点については深く掘り下げられることはない。というよりも著者と中川氏との対話の中では、その点については語られることはなかったのかもしれず、それは中川氏自身にもわからないことだったのかもしれない。
著者が評価するように中川氏は良い人で、聡明である。学生時代の周りの評価も高かった。自分の犯した行為についても反省している。ただ、そこには心の葛藤らしきものがほとんど見られない。それは、彼らが化学兵器を作っていたときもそうだし、それを実際に使うときもそうであった。人は、そして著者も、あんなに良い人がなぜオウム真理教に入信して、あんな事件を起こしてしまったのかと言う。しかし、逆に実直で良い人でなければ、あのような行為には至らなかったであろうと改めて思う。また、著者は高学歴の信者がなぜ高卒の麻原に帰依したのかという疑問を呈しているが、それは高学歴であったからこそ帰依をしたと言うべきなのである。日本の教育システムにおいて高学歴であることは、教師の指示にはその理由を問うことなくまず従うことができる素養があるということを示すものである。そのような思考回路が、いわゆるよい大学に入るために試験でよい点数を取るためには有利に働くのである。もしくは、教育システムがそのような素養をもつ人を育てるのだと言ってもいいかと思う。もちろん、単純化しすぎた論理であり、たとえそれがオウム真理教に多くの高学歴の人物が入信した理由であったとしても一面に過ぎない。しかし、仮に日本人が全体として馴致されやすい集団だとすれば、それは国民的な一様性とともに、教育システムにも一因があると言ってもよいだろう。それは、オウム事件に深い根を下ろした課題にも改めて思える。
先に書いたように、中川氏にはあるべきであった躊躇いを少なくとも本書の記述の中からは感じ取ることができなかった。そしてオウム真理教が、集団としてサリンを実際に使うにあたってあまりにも躊躇いが見えないことに違和感を覚える。その行為の要請が宗教的な試練であり、結果としての死はその人にとっての救いですらあるという考えに囚われていたのだとは言える。だとしたしても、そのことは理解の範囲を超えてしまっていると言う方が正しい感覚だろう。もし、中川氏をはじめとした信者にその躊躇いと迷いがないことが麻原や教義への心理的依存であったとするならば、麻原には判断における何かの躊躇いがあったはずだ。それは中川氏もそのように感じている。
「中川氏はたびたび私に言った。
「麻原氏がちゃんと話してくれたらいいのですが、彼は法廷で十分話す機会がなく、やがては手続きの落ち度で刑が確定してしまった。麻原は今は言動不能で何も言えない状態になってしまった。麻原氏だけが知っていることが多く、彼でなければ真相がわからないことがたくさんあるのです」
これは事実であろう。麻原の健康状態・心理状態では、真意を聞き出すことは不可能である。多くの謎の答えが麻原の処刑と共に永遠に消滅するであろう」
この意味で、著者のオウムの裁判に対する評価は、結果についてはよしとするものの、そのプロセスに関して強く批判的である。少なくとも麻原の精神状態が破綻をしていて、裁判に耐えうる状態ではなく、結果としても多くの秘密が彼の死によってわからないままとなってしまった、ということに関しては残念なことだと考えている。その点に関していうと、内部から見たオウム真理教を撮った映画『A』、『A2』の監督であり著述家森達也と同じ考えである。本書の中で森達也の著書に言及している箇所があることから、おそらくはオウム真理教裁判のやり方を強烈に批判した『A3』を含むいくつかの彼の著書を読んでいるものと想像する。一方で、著者は森達也と違い、死刑執行についてはやむを得ないとの立場を取っているように思う。その原因には、被害者や検察への心理的共感もあるだろう。
「日本の国民は皆麻原は悪い奴だ、早く死刑にしろというが、弁護士達の意見は必ずしもそうではなかった。
彼らの意見をまとめてみるとこうなる。「政府は早く死刑判決にしたいので一審で技術的な点を利用してさっさと死刑判決にしてしまった。麻原に十分な弁護の機会を与えていない。オウムの被告はみな自分の刑を軽くしてもらいたいので、全ては麻原や村井の命令でしたと言っている。村井は殺されてしまったので、死人に口なしで多くの被告はみな村井の責任にしている」」
と著者が書くとき、あくまでそういう意見を持つ人がいるとするのみで、そこにおいて自分の意見を表明することを差し控えている。しかし、この文章を置くことで、暗黙に自らの微妙な立場において意見を表現しているとも言える。
この本を読むと、松本サリン事件の後に警察がもっと積極的に動いていれば、地下鉄サリン事件は防ぐことができた可能性があったことがわかる。一方で、彼らがもっと「うまく」やることができたなら、被害はさらに甚大になっていた可能性もあった。上九一色村の土壌からサリンの分解成分が検出されたことが読売新聞で報道されたことで、オウムはそれまでに製造していたサリンの大部分を廃棄したが、もしそうならずに、より多くのそしてより純度が高く危険なサリンが保存されていたら、死者や被害範囲はあの程度ではすまなかったはずだ。
可能性はあくまで過去の可能性であり、過去はすでに変えることはできず、そして、中川氏を含めて13人の声を聞くことももうできない。
著者はおそらくはその死刑判決を妥当であると考えながらも最後にこう書く。
「彼の死刑執行という事実で中川という個体がこの世から消されてしまったことに対し、私は一抹の哀悼を感ずる」
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本来はここまでで、書評は終えるべきかもしれない。
改めて内容はよかった。しかし、あまりにも同じエピソードが複数の場所で重複して使われていることが多く、本としての完成度はひどいものだというしかない。編集者・校正者はいったい何をやってるんだと言いたい。その点は非常に残念。
例えば、VXガスの製造について、著者が「現代化学」に寄稿した記事を参考にして土谷が製造したこと、さらに中川氏が手紙でその記事がなくても最終的に自分で作ることができたであろうと伝えたこと。
例えば、中川氏が逃亡する菊池、髙橋、平田に対して、「忠実な信者を殺すようなことをしない」と言ったことに驚いたこと。
例えば、中川氏にサリン残留物の検出を助言したのが著者だったことを伝えて驚かれたこと。
こういった重要なエピソードが、二度目以降に出てくるときにも、いずれもあたかもこの本の中で新しい情報として書かれているかのように書かれている。もともと本の構成として、時間軸に沿って書かれているものではないので、そういったエピソードの置き方は前後関係含めて注意をする必要があるはずだ。著者は専門の物書きではないのだから、編集者はプロフェッショナルとして校正を通した完成度の向上に責任を持って自ら自信のある本として世に出していかなくてはならない。この本の編集者からは、この本をできるだけよいものにしようとする熱意、つまりは愛、を感じることができない。ここに書かれている情報はとても貴重で、素材として面白く、広く読まれるべきものなのに。とても残念だ。
要するに読まれるべき本のひとつ、ということ。文庫本にしたり改版する機会があれば、思い切って大幅に改版してほしい...。