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Posted by ブクログ
ある書店でSTANDARD BOOKSのフェアをやっていたのに偶然に出会い、何の気なしに朝永振一郎を選んだ。
本書所収の随筆「鏡のなかの世界」は不思議な一編だ。だって朝永振一郎を含めた科学者の面々が「なぜ鏡には左右が逆に写るのか」を真剣に議論しているから。私ならば「なぜ左右逆かって?鏡なのだから左右が逆に写るのは当たり前じゃないの?」で終わってしまう。だが物質がそれぞれに有する法則性を解明しないと収まらないのが真の科学者らしい。言い方を変えれば「当たり前」でわかったつもりで終えることを良しとせず、物事を統御する真理を自分なりにつかみ取らないと納得できないのが科学者なのだろう。
そう思って改めて鏡のなかの像について考えると、確かに不思議な現象だ。と言うのは、自分自身を鏡に写した場合、鏡に写った自分自身には心臓が右にあるのだから。つまりトリックアートのように製作者がひねって作り出した架空のものではなく、この世に絶対的にありえないものが実存の姿として現れており、科学者のアンテナに引っかかるのもわからないでもない。
鏡に関してどんな主張が科学者から出されているか…「幾何光学」「心理的空間」などの一般的ではない用語が飛び交い、それこそ侃侃諤諤。まあその一編では結論は出ていないし、著者も改めて解答を導き出すつもりもなく、1つの事柄に科学者はこれほどまでに熱中できるのかというその熱量の大きさを文章にしたかったようでもある。
私は結局文系の学部に進んだけれど理科や物理などの自然科学にも若干興味はあるので、朝永の一連の文章もおもしろく読めた。とは言っても、朝永は論文以外で文章を小難しく書くのは好きではなかったようで、この本では原子核物理学のことも花鳥風月のことも同じような調子で書かれている。その証拠に、この本では冒頭に「鳥獣戯画」という一篇がまずあって、飼っていたねこの話や、自然が残る武蔵野の生活風景を書いた随筆が続くが、その後の理化学研究所や留学先での研究生活を書いた各編も同じトーンで読める。
私が一番印象に残った一編は「暗い日の感想」だ。大昔の爬虫類の体格やマンモスの牙が種の存続という目的から逸脱しているとも思えるくらい巨大化し、それゆえに滅びたのではないかと朝永は書く(P188)。そして人類が無自覚に原子力を追求していくことへの警告を朝永なりの比喩で発している。だが朝永は“正直”ゆえに、原子力の研究自体をストレートに否定していない。しかし憂慮はしている。なぜなら朝永自身が尊敬するアインシュタイン博士やオッペンハイマー博士ですら止められなかったほど“手ごわい”ものだからだ。そんな難解な命題を前に朝永がとった選択肢は「歴史の中での評価に委ねる」ことだった。
当初私は朝永に対して、カール・セーガンのように強くて明確な主張と姿勢ではない軟弱なものとして拒否反応が出た。しかし朝永がいくらその道の専門家だからといって彼だけにその責務を負わせるのは結局自分が責任転嫁しているだけであり、正しくはない。この大きな問題が1人の人間だけで解決できるわけがないのだ。だから朝永の文章からは、自分をリレーランナーのように考えて、バトンを落とさず自分ができる限りの力によって走り、そして次のランナー(次の世代)にしっかりとバトンを手渡せばいいと、そう読めるように思えた。
端的に言うと私たちのような物理学の素人が原子力の平和利用を求めるのに原子核理論を学ぶことが要求されているわけではない。一方でその素人の私たちがノーベル物理学賞を受賞する可能性は限りなくゼロだが、私たちの世代が朝永の意思を正確に読解して受け継ぎ次世代に伝えられれば、私たち国民全体としてノーベル平和賞を受賞できる可能性は、必ずしもゼロではない。
Posted by ブクログ
三年前に『物理学とは何だろうか』に挑戦して、あえなく敗退した自分のレビューを見つけてしまい、ちょっと恥ずかしい。
スタンダードブックスシリーズ、第1期完結。
しかし、この人、随筆上手い!
引っ越した先で馴染めず、近所の猫と喧嘩ばかりするのだけど、ついに喧嘩相手が車に轢かれ、ほどなくして自身も車に轢かれてしまう「ねこ」の話。
家に来る小鳥のふんから、どんな樹が育つかを観察した「庭にくる鳥」。
こうした、日常を見る視点も面白いのだが。
副題になっている「見える光、見えない光」や「物理と哲学と政治」から一気に原子力について重みを持って書かれる科学的な話には、グッと引き込まれる。
決して難解ではない。
言葉の選び方が上手いのだと思う。
ノーベル賞を獲るような人というのは、どこか常ではない感性や思考の持ち主なのかと思っていた。
けれど、朝永振一郎が苦心して発見したことをあっさりと海外の研究者に発表され、そのことに落胆し、妬ましくさえ思うと書かれており。
けれども、自身の仕事や立場を、自暴自棄から簡単に投げ出すことも出来ないとも触れている。
こうした、人、の部分はきっと随筆という形態を取らなければ見えないものなのだな。
「原子物理学者の行き方に三つの方法がある。第一は現在の事実には一切眼をつぶって、千年先のことを考えて純粋な研究をすること。第二は千年先の研究は抛って、現在のことに捲込まれ、正しいと考える主張を実現すべく己を無にして努力すること。第三はどっちつかずの立場で、適当に研究もし、現実の問題にも捲込まれない程度にタッチする。
僕などは率直にいって、第一の方法が一番好きなのだが、止むを得ず第三の方法によっている。」
「原子核物理から生まれた第一子が、原子爆弾という凶器であったことはきわめて不幸であった。原子核研究の本流につきすすむことは人類の進歩のためにやめることはできないことだと信じても、原子核物理から生まれ出た鬼子があまりに凶悪であるので、原子物理学者たちは、自分の研究結果の悪用がいかに不幸なものかと痛切に感じさせられている。なるほどこれは物理学にかぎったことではなくて、科学全般の問題である。」
Posted by ブクログ
科学者としての喜びや苦悩を書いたもの、を期待していたのですが、前半は、科学者、というよりも、風流なおっさんが書いた文章でして、読んでいて退屈でした。
後半は、期待していた内容であり、朝永振一郎が生きた時代の物理学の発展の様子を感じることができ、なかなか面白かったです。
自分の中で、朝永振一郎は「天才」というイメージしなかったのですが、想像していたよりも、苦悩の日々を過ごしていた時期が長かった、しかもそれが、若い時期だったことは意外でした。
朝永振一郎も、人間なんですね。
当たり前ですけど。
そして、想像以上に、普通の人だったみたいですね、朝永振一郎。
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